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「かつ江さん」鳥取城のマスコットが3日間で公開停止 作者の思いは?

2014年08月05日 01時37分 JST | 更新 2017年04月29日 01時59分 JST
安藤健二

鳥取城跡のマスコットキャラクター「かつ江(渇え)さん」が、お披露目からわずか3日間で公開停止となった。7月7日に鳥取市役所の公式サイトで公開されるとネットで拡散。苦情や問い合わせが相次いだことを受けて、7月9日にはサイトから削除された。なぜ市は公開を中止したのか、どんな思いで作られたキャラクターだったのか。鳥取市内で現地取材してきた。

■封印された「ご当地キャラ」

写真を見てもらえれば分かるように、「かつ江さん」は、ツギハギだらけのピンク色の着物を着た、血色の悪い顔をしたやせ細った女性。カエルを片手に立っている。いわゆる「ゆるキャラ」とは違う強烈なインパクトを見る物に残す。鳥取城で実際に起こった籠城戦で多くの餓死者を出した「鳥取の渇え(かつえ)殺し」をモチーフにしたキャラクターだ。

鳥取市が2013年末に公募したコンテストで次点に選ばれた。7月7日に市の公式サイトで発表されたところ、インターネットで拡散して大きな反響を呼んだ。当該ページへのアクセス数は当日だけで1万を超えた。最優秀賞に選ばれて4月に公開された「とりのじょう」が、それまで1000以下のアクセス数しかなかったのとは格段の差だった。

7月中に電話やメールで市役所に寄せられた意見は約130件。そのうち6割以上は批判的な意見で「飢餓をちゃかしている」「こういうキャラクターを使うべきではない」という苦情だった。ただし、公開停止後には「かつ江さん」を惜しむ声も寄せられており、「鳥取城の歴史がよくわかった」「公開を続けるべき」という意見があったという。

市教委文化財課の森下俊介課長は「こうした反響は全く予想していませんでした。抗議の中には『同名の女の子がイジメを受ける』といった声もあって、名前については配慮が足りなかったと思っています。名前を変更して活用することを検討していましたが、現時点では白紙です」と話す。「かつ江さん」のイラスト入りで鳥取城跡を紹介するパンフレットを3500部作成していたが、こちらも廃棄する予定だ。

■逆さになったカエルに込めた願い

「一見するとインパクトが強いですけど、よく見ると親しみがわいてくるキャラクターにしました。着ぐるみやストラップなど立体化する展開も思い描いていたのですが......」

「かつ江さん」の発案者の男性は悔しそうに唇をかみしめた。現在40歳で市内で建築事務所を開いている。歴史が好きで城歩きが趣味だという。彼は発案したきっかけを次のように振り返った。

「あのデザインが名前とともに、脳裏にある日、降りてきたんです。ネーミングの由来を説明すれば、自然と鳥取城の歴史を紹介することができると思いました。カエルを持っている理由は『自害した殿様の辞世の句から』とマスコミでは報道されたんですが、作者としては全く考えていなかった。空腹の象徴はもちろんですが、『カエルが逆さになっている』ということで『カエラない』すなわち『悲惨な歴史を繰り返さない』という意味を込めたんです」

安土桃山時代の1581年6月、鳥取城は織田信長の家臣である羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)率いる2万人の軍勢に包囲されていた。立てこもるのは毛利氏の家臣、吉川経家(きっかわ・つねいえ)。周辺住民2000人を含む4000人が城内に立てこもっていたが、兵糧は城兵3カ月分の蓄えしかなかった。

家畜や草に至るまで食べつくし、やがて城内は餓死した人の肉をむさぼり食う地獄絵図になった。歴史書は以下のように伝えている。

餓鬼のように痩せ衰えた男女が、(包囲網の)柵に取り付いて「ここから出してくれ!」と嘆き、泣き叫んだ。その悲しく哀れな様子は目も当てられないほどだ。

彼らに向かって鉄砲を打つのだが、弾が当たった負傷者の周りに人が集まって、まだ息があるのに刃物で体の節々を切って肉を取っていく。中でも頭部には栄養があると見えて、死者の首をめぐって争奪戦となっていた。

(大田牛一「信長公記 巻十四」より 現代語に筆者訳)

これが世に言う「鳥取の渇え殺し」だ。かつ江さんは、このエピソードから生まれた。飢えた人々が、首を奪い合う姿は、おぞましくて言葉も出ない。

籠城4カ月目の10月25日、吉川経家が城兵の命と引き替えに自害することで凄惨な戦いは終わった。地元でこの話が美談として伝わっていることに、「かつ江さん」の発案者の男性は違和感があったという。

「吉川経家の自害は地元では美しい話として流布しているんですが、その裏には多くの一般市民が巻き込まれているんです。どうしても『殿様が自分の命と引き替えに家臣や周辺住民の命を救った』ということの方が耳障りがいいんですが、悲惨な歴史を伝えたかった。吉川経家も地元出身というわけではなく、毛利方の武将です。鳥取は毛利と織田の勢力争いに巻き込まれて、人々は生き延びるのに必死だった。そういう姿を『渇え殺し』に巻き込まれた『かつ江さん』という一民衆の姿を通して描きたかったんです」

■鳥取城から見えた景色

険しい山道を汗だくになって40分ほど登ると久松山(きゅうしょうざん)の山頂についた。吉川常家の本陣が置かれた鳥取城の「山上(さんじょう)の丸」だ。標高263mの小さな山だが、木の根が石段に絡む急勾配が続くので、ちょっとした登山だった。よくこんなところに城を作る気になったものだと感心した。

山頂の天守台からは鳥取平野を一望でき、天下の絶景というに相応しいものだった。鳥取砂丘を望遠レンズでのぞくと、砂の山にまるでアリが群がっているように見えた。

秀吉の本陣が築かれた太閤ヶ平(たいこうがなる)の山頂を探したが、なかなか見つからない。通行人の女性が「NTTの鉄塔が建っているあの山よ」と教えてくれた。あの鉄塔と、自分が今いる場所の間に柵の包囲網でぐるりと取り囲まれ、鳥取城内には米一粒足りとも入らないようにシャットアウトされたのだと思うと感慨深かった。

城跡には健康のために山頂に登っている鳥取市在住の人も多かった。彼らに「かつ江さん」を実際に見せて意見を聞いてみた。

年配の女性は「勇猛な武将のキャラクターならいいんだけど、ちょっと鳥取城のイメージキャラとしてふさわしくない気がする」と否定的。一方、20代の若い男性は「こういった歴史があったのは事実だし、鳥取市として重大なこととして受け止めていくことが必要。公開を止めるべきではなかったと思う」と擁護していた。地元でも賛否両論のようだ。

山頂には突風が吹き荒れていた。木の葉が揺れる音に混じって、空腹にあえぐ民衆のうめきが聞こえたような気がした。

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