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撮影禁止の看板が埋め尽くす秘祭「アカマタ・クロマタ」。石垣島で私が見たものは...

2017年08月08日 17時39分 JST | 更新 2017年08月10日 14時55分 JST

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8月4日、人通りの少ない寂しげな集落の至るところに異様な看板が並んでいた。

「スマートホン ビデオ 写真 携帯電話 撮影録音禁止」と荒々しい筆致で書かれているが、何が撮影禁止なのかは一切書かれていない。

ここは沖縄県。リゾート地としても有名な石垣島の一角にある宮良(みやら)地区だ。これから数時間後に「アカマタ・クロマタ」と呼ばれる神々が出現する秘祭が行われる。その神々の姿を写すことは、犯してはならない絶対のタブーだ。この地域で撮影された「アカマタ・クロマタ」の写真を私は一度も見たことがない。

私は背筋にゾクゾクするものを感じた。


■「撮ったら命の保証ない」と言われる秘祭とは?

私達は、インターネットが世界の津々浦々まで普及した世界に生きている。この世で起きているあらゆる事象は、写真や動画で記録され、いつでも追体験できるような気分にさえなる。

だが、「アカマタ・クロマタ」は違う。沖縄県の八重山諸島で1年に1回、旧暦の6月に行われる祭祀で、200年以上前から連綿と続いているが、集落の人間以外は見ることすら困難な秘祭だ。異界から出現した「アカマタ」と「クロマタ」と呼ばれる来訪神が集落を訪れ、五穀豊穣を祈るという内容だ。後に東京都知事になった石原慎太郎は、この祭祀をモデルに1984年に『秘祭』という小説を発表している。

現在は4カ所で実施。発祥地と言われる西表(いりおもて)島の古見(こみ)のほか、新城(あらぐすく)島の上地、小浜島、石垣島の宮良(みやら)だ。

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宮良高弘「八重山群島における秘密結社について」より。「民族学研究」1962年12月号より

多くの地域では祭りの期間は立入禁止。部外者は見学すらできないと言われている。資料を漁ったが、50年以上前の不鮮明なモノクロ写真しか確認できなかった。民俗学者の宮良高弘さんが1960年に西表島・古見で、経済社会学者の住谷一彦さんが1963年に新城島・上地で撮影している。

しかし、小浜島と石垣島・宮良に至っては1枚の写真も見つからなかった。

映画監督の北村皆雄さんは1972年、西表島・古見でアカマタ・クロマタのドキュメンタリー映画を撮影しようとしたが「勝手な真似をしたらぶっ殺す!」と住民の強硬な反対に遭い、断念した。

祭り初日の夜中だった。小学校の教室を借りて寝ていると、突然、私は青年5、6名に外に呼び出され、ぐるりと取り囲まれた。外から帰ってきた青年もいるようだ。腰に鎌をさしている者もいる。彼らは私たちが村に進呈した酒を突っ返し、「アカマタはお前らに撮らせない。勝手な真似をしたらぶっ殺す!」「この祭りは自分たちが何をしても罪にならない」と、凄んだ。研究者や新聞記者、カメラマンが、海にたたき込まれたり、姿を消したなどという噂話が、脳裏によぎった。

(『見る、撮る、見せるアジア・アフリカ!』新宿書房)

私はもともと、日本の離島の奇祭を見るのが好きだった。2016年の夏には、鹿児島県の薩摩硫黄島を訪ね、仮面神「メンドン」をFacebook上でライブ中継をしたこともあった。その情報収集をする過程でアカマタ・クロマタも知ったのだが、ネット上では「撮ったら命の保証ない」「撮影した人が袋だたきにあった」などの物騒な噂が並んでいた。

実際に1968年7月には暴行事件すら起きている。同年8月17日付の八重山毎日新聞によると、新城島のアカマタ・クロマタを覗き見た波照間(はてるま)島の青年が暴行を受けた。親族が「殴られたショックで精神障害になった」になったと訴え出たことで、八重山署が集団暴行の疑いで捜査したという。

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1968年8月17日付けの八重山毎日新聞

下手なことをしたら殺されるかもしれない......。怖い気持ちはあったが「ここまで撮影されるとことを拒む祭りとはどんな物か」と興味はわき上がる一方だった。

アカマタ・クロマタが出現する4カ所のうち3カ所は、祭祀中に限って部外者は立入禁止。だが石垣島・宮良に限っては「絶対に撮影録音するな」という条件はつくが、部外者で見た人がいるようだ。私は好奇心に勝てず、石垣島に飛んだ。


■撮影禁止の理由を尋ねると...

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日中は静けさに包まれていた石垣島の宮良地区(8月4日撮影)

エメラルドブルーに輝くサンゴ礁の海岸を越えて、琉球エアーコミューターのプロペラ機は新石垣空港に到着した。宮良地区は、そこからレンタカーを走らせることわずか10分ほどで到着した。サトウキビ畑に囲まれた閑静な住宅街の上を飛行機が飛んでいくのが見えた。

8月4日、集落内の食堂の夫妻に話を聞いたところ「撮影禁止だが見るのは大丈夫。時間は、はっきりしていないが日が暮れてから出る。撮影禁止の禁を破った人は、昔は杖でたたかれたり、カメラを壊されたりしたこともあったようだ」と気さくに答えてくれた。撮影禁止の理由は「昔からそう決まってるから」とだけ。詳しくは教えてくれなかった。

午後6時すぎ、夕闇が迫る中、宮良小学校の近隣にある広場に向かった。手荷物検査があるという噂もあり、あえてスマートフォンもデジカメも持たずに手ぶらで行ったのだが、広場にはノーチェックで入れた。すでに200〜300人が集まっていた。見た感じ、観光客は少なく、見物人の多くも地元民や帰省者ばかりのようだった。

豊年祭の2日目にあたるこの日、この場所にアカマタ・クロマタが出現するらしい。広場の中にも、あちこちに撮影禁止の看板が掲げられていた。受付にいた自治会長にそれとなく「撮影禁止の理由は?」と聞くと、厳しい目つきで「公開されてないから!」と一喝された。

午後7時を少しすぎたころ、先ほどの自治会長のあいさつで豊年祭が始まった。「宮良の産物はサトウキビを主として畜産などを...」と農業主体の集落であることを示した。そして「今年の収穫を祝い、来年の豊穣を期して二ーロー神(アカマタ・クロマタのこと)を呼びます」「神ごとでありますことから、一切の撮影を禁止します」と宣言した。

そのあと石垣市長、地元のJA会長、精糖会社の社長の演説が続いた。かつては集落のみの秘祭だったから、当日は「治外法権」と言われるほどの厳重な交通規制が引かれていた。そのため、周辺地域との摩擦もあったという。地元の有力者が公認する祭礼であることを強くアピールする背景にはそうした事情があるのかもしれない。しかし、私は早くアカマタ・クロマタの姿が見たいと気が焦るばかり。演説の内容に身が入らなかった。

30分ほど経っただろうか。すでに日は落ち、黄昏時になっていた。広場の向こうにあるサトウキビ畑の向こうから法被のような民族衣装を来た人々が来て広場を埋め尽くした。100人以上はいるだろうか。やがて「ドンドンドン、ドンドンドン」と太鼓の音が大きくなってきた。そして、高く掲げた旗印とともに、異様な怪物のような姿をした巨体が広場に近づいてくるのが見えた。

「変なのがいるー!」と幼児が叫ぶ声が聞こえた。「変なのじゃなくて神様よ」と母親らしき人がたしなめていた。

異界から1年ぶりに、アカマタとクロマタが来訪したのだ。


■怖いけどユーモラスな巨神

彼らの姿は一言で形容すると、顔と手足がついた巨大なパイナップルだ。スマートフォン向けゲーム「ポケモンGO」に出てくるモンスター「ナッシー」から、3つある顔を1つにした感じとも言える。

ツル草のような物で覆われた丸い胴体に、パンクロッカーのようなツンツンとした髪の毛のようなネギ状の草が生えている。身長は人の背丈よりも、はるかに高く2.5メートルくらいはありそうだ。赤い面をかぶっているのがアカマタ。ヒゲが生えているから男の神だという。黒い面をかぶっているのがクロマタで、こちらは女の神だ。

顔は細長く、丸い目がキラキラと反射で光った。口さけ女のように頬の方まで裂けた口には歯が剥き出しになっていた。鬼のような形相ではあるが、ユーモラスな姿だとも感じた。

法被のような姿の100人近い人々が、太鼓を叩きながらアカペラを歌って舞い踊る。短いフレーズのループで、トリップ状態に入るのが目的だろう。その中心で、アカマタ・クロマタは両手に2本の棒を持って、体を揺らして踊っている。これが何百年と変わらずに続いている祭祀なのかと思うと、感慨深かった。この歌詞は現地では聴き取れなかったが、資料によると以下のような内容らしい。

オボヨモチィオールン(大世持が来臨になった)
ピィロヨモチィ オールン(広世持が来臨になった)
トゥトゥシユオーラバ(毎年お迎えして)
ウガミシィディラ(拝みましょう)

(「宮良村史」宮良公民館発行)

周囲はますます暗くなり、アカマタ・クロマタの姿は闇に溶けて行った。満月に近い月が煌々と広場を照らしていた。30分ほどで踊りが終わった。「これで豊年祭は終わりです、このあとは集落の行事になるので、部外者は帰ってください」と、そっけないアナウンスが流れた。

このあと、アカマタ・クロマタは集落の各家を回るのだ。「帰ってくれ」と言われても、どうしても気になる。同じ民宿に泊まっている山形県の男性とスイス人のカップル、それと民俗学を学んでいる学生らと一緒にアカマタ・クロマタを追いかけた。

しかし、アカマタ・クロマタの付き人からは「ここは通れない」と、杖で通行路を塞がれた。かすかに聞こえる太鼓の音を頼りに、街灯が消えた集落を、回り道を重ねた。やっとの思いで追いつくと、民家の庭先でアカマタ・クロマタが先ほどの歌と太鼓の伴奏に合わせて体を揺らして踊っていた。各家では付き人のためにお酒や飲み物を用意して待っている。付き人は何十人もいて、先導役や通行禁止役、伴奏役など分担が分かれているように見える。

あるとき、電子音のメロディーが見物人の一角から上がった。付き人が「携帯電話を切って!」と大声で叫んだ。携帯電話でアカマタ・クロマタが撮影されるのを恐れてのことだろう。撮影禁止のタブーはしっかり生きているようだ。

10軒近く回っただろうか。付き人の一人から「見るなら隣の家で待ってな」と言われた。次の家での庭先で待っていると、間近でアカマタ・クロマタを見ることができた。真珠貝のようなまん丸に光る目と口まで裂けた口が印象的だった。


■テクノロジーに記録されることを拒む背景は?

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石垣島の宮良地区に隣接した白保地区の海岸

神様たちの家庭訪問は、夜通し続くという。私は夜9時半ごろに宿泊先の民宿へ徒歩で帰った。月明かりが照らす国道を歩きながら、私は「禁断の秘祭をついに見れた...」と、穏やかな高揚感に包まれていた。

アカマタ・クロマタとは何の神なのか。公民館長は「ニーロー神」と呼んでいたが、宮良地区ではこちらが正式名称のようだ。「石垣市史 各論篇 民俗下」などの資料によると、ニーローとは、底が分からないほど深い穴を意味する。地の底にあるとも、海の彼方の島にあるとも言われる異界「ニライカナイ」のことを指しているという。

沖縄地方では稲作は2期作で、一度目の収穫は7〜8月と早い。この収穫を終えた時期に村人に五穀豊穣の恵みを授けるために、異界「ニライカナイ」からアカマタ・クロマタは集落に出現するのだ。

アカマタ・クロマタは、一説にはパプアニューギニア周辺の仮面神とも共通する特徴があることから、南太平洋から伝わったとも言われている。八重山諸島の他の地域の神々とは全く異なるからだ。そのため、18世紀には琉球王朝から「異様な服装で神の真似をするなどけしからん」と禁令が出たが、各集落では禁令を破って脈々と祭礼を続けてきた。1986年に発行された「宮良村史」には次のように書かれている。

王府の政策により、村人の祭事は役人の厳しい統制のもとにおかれることとなった。このようにして信仰行事は抑圧されたが、素朴な農民たちは夜間役人の目を逃れ、神の恵みを信じ、来夏世の豊穣を祈願して生産に励んできたのであった。

(「宮良村史」宮良公民館発行)

禁令を破って続けたことや、他の地域と全く違う神ということで偏見や差別もあったはずだ。集落以外には門外不出の祭りになった背景には、こうした経緯も関係しているのだろう。

ただ、21世紀になった現在も神々の姿を撮影禁止にして年に1回だけ、その場にいる人だけが姿を見ることができることになったのは、集落の存続を計る狙いもありそうだ。前述の映画監督の北村皆雄さんは、西表島・古見の住人がアカマタ・クロマタの撮影に反対した理由を、沖縄大学のシンポジウムで次のように振り返った。

「何で撮影してはいけないのかという問いに対して、島の人たちは、アカマタ・クロマタ・シロマタの聖なる姿を撮るということは、神を汚すことになるんだと、年に一度しか訪れない神さまがフィルムに納められたらいつでもどこでも見られることになって、祭りをやることの意味がなくなってしまうのではないかと言われる。

そうなった時はもう祭りをしに帰ってきた人たちも村のことを忘れてしまうんだと。

だから村を存続させるためにも、この祭りを秘密の中に置いておかなければならないんだというようなことを、村の人からも村から出ていった人も口々におっしゃるわけです」(『見る、撮る、見せるアジア・アフリカ!』新宿書房)

年に一回、特定の場所にいる人しか見ることができないアカマタ・クロマタ。それはインターネットが世界を覆い尽くす情報化社会に対する離島のコミュニティの逆襲かもしれない。

石垣島の熱帯夜、アカマタ・クロマタと目が合った瞬間を今でもありありと思い返す。

彼らは、こんなことを私に語りかけていたのかもしれない。

「お前らはテクノロジーとかいうもので、俺らをコピーしようとしているがそうは行かない。俺らはこの瞬間、この村にしかいないのだ!」

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旅客機が「撮影禁止」の看板の上を飛んでいった

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