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岡田憲治 Headshot

トランプに立ちはだかる壁:我々が本当に恐るべきものとは?

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<「恐怖」とともに迎えられるトランプ> 
 
共和党大統領候補ドナルド・トランプの当選の第一報は、驚きと種々の「恐怖」を伴って世界中に伝わった。
 
各種メディアは、口々に「恐ろしい時代がやってくる」、「今後の世界は恐怖に支配されるだろう」、そしてやや短兵急に「しかし、我々は彼を恐れてはいけない」などと、この受け入れにくい事態をよたよたと表現した。
 
極東の島国においても、早速様々なメディアで「在日米軍の撤退を叫ぶトランプ以後日本の安全は?」と心配が表明された。そして相も変わらず「ドル売り加速、円買い進むか?」と「銭金が失われる恐怖」というジャパン・スタンダードとともに、トランプの「アメリカ」を恐れた。
 
<何が怖いのか?>

人々が政治を評価するやり方は、高度情報化社会の下では、様々な視覚的イメージを伴いつつ形成される。それゆえある意味「異形」風の未知なる政治指導者の登場は、彼が発する様々な似非政策論ではなく、指導者本人が醸し出す人格的イメージの比重を大きくする。
 
つまりトランプ新大統領がもたらすものについて、人々はトランプの「人となり」、パーソナリティから類推するということになりがちだ。だから恐れる。
 
長い選挙戦を通じて報じられたトランプのヘイトスピーチ、種々の差別発言、従来のワシントンDCの常識ではありえない公職者としての経験の無さ、荒唐無稽とされるような思いつきの政策やアイデア、その富に物を言わせた醜悪なる生活イメージ、つまりおよそ政治家らしからぬトランプ個人の「人品卑しきたたずまい」は、不透明な未来への恐怖をもたらした。
 
トランプの支持者は、「だから世界は変わるのだ」と強引に意味を変換させ、ヒラリーの支持者たちは、それを「正義の失われた世界」として恐れている。

しかし本当は、なぜトランプを恐れるのだろうか?

我々は、あらゆる意味でバッド・センスのこの70歳の大富豪が、メキシコ国境に壁を「本当に作ってしまうかもしれない」から恐れるのか?
 
南部のレッド・ネック(低学歴貧困白人)の劣情に火をつけて、またぞろ「ジム・クロウ」(南部の差別的社会諸制度)を復活させるから恐れるのか?世界中から「アメリカ人はレイシスト(差別主義者)だ」とバカにされることを恐れるのか?そして、「米軍を沖縄から撤収されたら中国から侵略されるから」怖いのか?それとも、そうなった時「全額日本が負担しますから頼むからいてください」と外務官僚が本気で土下座しそうだから」怖いのか?

<人格が政治を行うのではない>

実は、アメリカ大統領選挙という長いお祭りを経たのちに、人々はいささか二日酔いの頭痛の中で、ヒラリーやドナルドの名前がプリントされたチラシごみのわきに、依然として残された政治の舞台のからくりに気がつくのである。
 
それは政治制度であり、それを支える憲法である。

ひとしきり驚き恐れた後に、人々はごく普通のことを思い返す。それは、今後のアメリカの政治は、トランプの「人格」が政治を行うわけではないということである。
 
正確に言えば、政治は時にはトランプの人格によって媒介された価値、良きことを、人々一般のための法律に変えることをめぐってなされる。
 
普通に生きる人々の心の縫い目に沿って物事を考え、そこに見え隠れする切実さから乖離することなく、種々の決め事をするのが民主政治であるとするならば、指導者の人格は、人々の気持ちを救うためのある種の触媒となって、政策的合理だけでは表現できない、その時代を生きる者たちの欲望を引き出すだろう。星の数ほどの悪評をものともせずトランプに6000万人が投票した理由がここにある。
 
しかし、人々の感情を動員して最高権力者の地位に就いても、アメリカの政治制度には、「大統領が権力を行使しにくいようにするための手枷足枷」が芸術的と呼ぶべき統治制度として待ち構えている。人々の感情の烈風を受けた政治家の人格に、政治が過度に左右されないための建国者たちの工夫である。
 
法の制定機関(議会)と執行機関(内閣)が一体化しやすい議院内閣制と異なり、アメリカでは大統領を有権者の投票で選ぶ厳格な三権分立制度である。つまり簡単に言うと、ドナルド・トランプがそのユニークな人格に依拠して「好きなことを好きなように決定すること」はほぼ不可能である。相互にチェック・アンド・バランスをする議会、大統領、司法は、いずれの部門においても他を凌駕するような突出的権力を行使できないように作られているからだ。
 
トランプがやろうとしている「メキシコとの国境に壁を作る」という政策も、トランプ個人と必ずしも良き関係を構築していない上下両院の多数派である共和党の中から一部反対者が出れば、単純な話で言えば、壁を作るためのセメントを購入する予算すら降りないだろう。
 
膨大な予算を組んで壁を構築して、移民を遮断した後、ウィスコンシンやオハイオの白人労働者に雇用が増えなかったら、その憤怒と怨嗟は次の選挙でトランプと共和党を吹き飛ばすだろう。
 
「メキシコ人はみんなレイプ犯だ」、あるいは「イスラム教徒など入国させない」と発言し続ける、それによって外交上の国益を著しく損なわせる大統領は、任期6年でじっくりと正義を貫ける上院議員の協議によって、辞めさせられてしまうだろう(上院議会大統領弾劾委員会)40数年前にR・ニクソンは、それで辞任を決意したのである。
 
沖縄の米軍基地駐留を極東の安全保障にとって「絶対に必要」とも思っていないオバマ大統領が「グアム移転でカタを付けろ」と決して言わなかったのは、上下両院にアメリカ海兵隊の利益集団をバックにした議員がいたからであり、彼らの協力を取り付けないと「オバマ・ケア」法案通過は不可能だと判断したからだ。
 
つまり、アメリカの政治制度は、多様なプレーヤーに権限を分散させることによって、ほとんどの政策が穏健な着地点を目指さざるをえないことになるよう設計されているのである。

<民主政治を根底から支える条件>
 
しかし、こうした「過激なことは基本的にはできないカラクリとなっているアメリカ」が維持されるためには、どうしても失われてはいけないものがある。それは「いくらトランプが6000万人の人に支持され、我ら共和党の大統領であっても、やっていいことと悪いことがある。それはできないし、賛成もできない。どうしてですかだと?何を今更尋ねているのかね?それが憲法に書いてないからだよ」と、「正しくプラグを抜く」アメリカ政治エリートの最後に残された規範意識である。(拙稿「最後に政治家を縛るものは何か?」)
 
人格に問題のあるとされるトランプを大統領に選んでしまったことをもって、「アメリカ政治の終焉」などと、したり顔で言う人もあるかもしれない。しかし、トランプ当選は今、そして今後、トランプ大統領だからこそ学べる民主政治と憲法の基本を我々に突き付けてくれるのかもしれない。
 
民主政治は、普通の人々の気持ちを集約させてリーダーを決める。しかし、そのシステムを死守するためには「いくら民主政治でも絶対にやってはいけないこと」を決めておかねばならない。それは、「人間を差別して良いかどうかを投票によって決めること」と「誰にすべての権力を全面的に委ねるかという投票をしてはならないこと」である(人権規定と権力分立)。
 
人々の気持ちを動員して選挙をしても「良いこと」と「ダメなこと」をあらかじめ決めておくのが憲法なのである。そして、「これだけは、いくら仲が悪い民主党の馬鹿野郎とも唯一共有するルールだ」という矜持こそ、統治エリートたるものを支えていなければならない。
 
世界はトランプのやることに戦々恐々としている。しかし、恐るべきはトランプ個人ではない。本当に恐るべきは、「どれほどデタラメな人間が、人々の突風のような迂闊な投票によって選ばれても、破滅の淵までは行っても絶対に下に落ちない最後のネット(憲法!)」が失われる、あるいは著しく軽視されることである。
 
日本のメディアも、トランプが「予想に反して穏健かつ常識的な選択をすることによって、かなり早い時期に、己の中核的支持者の反転した怨嗟にさらされる」プロセスから、デモクラシーの基礎をえぐり出し、これまでの枠組みとは異なる報道するべきだ。つまり、恐るべきものを見失ってはいけない。
 
そもそも日本のメディアがトランプをヘイト・スピーカーであるとか、差別主義者であると、今更のように騒ぎ立てるのも奇妙な話だ。我々極東の島国では、もうとっくの昔からアジア人差別を公言し、女性を蔑視するコメントを垂れ流しながら10年以上も東京都知事を務めた者が放置されてきたし、言語不明瞭意味不明の答弁を繰り返す、合理に依拠しない統治リーダーの開き直りをもう何年も許し続けているからだ。そして、我が国は憲法の解釈がどういう議論で変えられたのかについて一切議事録に残っていないという万邦無比なるものだからだ。
 
本当は何を恐れねばならないかを、痩せても枯れてもトランプのアメリカは教えてくれるだろう。対米追従するなら、そこを追従したらいかがか?