自己犠牲の上に成り立つ医療は、もう終わりにしよう。

4月6日に、厚生労働省が「新たな医療の在り方を踏まえた医師・看護師等の働き方ビジョン検討会報告書」を公表した。

4月6日に、厚生労働省が「新たな医療の在り方を踏まえた医師・看護師等の働き方ビジョン検討会報告書」を公表した。これは非常に重要な提言だ。日本の医療がこれからも私たちの健康を守ることができるか、それともシステムごと疲弊して機能しなくなるか。その分岐点となる提案だと、個人的には思っている。

なぜ、医療従事者の働き方を変えるのか。ひとことで言えば、真のプロフェッショナルになるためだ。それは、制度や組織に頼って、物言わぬ存在として在り続けることではない。矜持と自律を備えた職業人として、緊張感を持って、精一杯自らの力量を発揮し、患者や家族、そして人々に尽くすことだと考える。私自身、昔からこうした問題意識を強く持っていた。国の発表はどうしても堅く難しくなってしまうので、こちらでは本プロジェクトの座長を務めた私自身の経験をベースに書いてみたいと思う。

日本の医療の異常なヒエラルキーと縦割り構造

私の父親は、医者だった。決して尊敬の眼差しで見ていたわけではないが、子供の頃からずっと患者に感謝される姿を見ていた。医療は社会にとって必要な役割なんだ、と子供ながらに感じていた。

大学は医学部に進学したが、正直キャリアについて決めあぐねていた。しかし、途上国を回ったときに、適切な医療が届かずに苦しんでいる人たちを目の当たりにし、医師になることを決断した。早く現場に出て、一人でも多くの人を健康にしたいと心底思った。

5年生になり、大学付属病院での臨床実習に参加した時、私は衝撃的な光景を見た。それは、60代の医者が慣れないオペをし、その横で30代半ばの油が乗った医者が、人工心肺を冷やすために、ただひたすら氷を割る作業をしていたことだ。一般的な企業では、中堅どころとして活躍するはずの優秀な30代が、誰でもできるような補助仕事をしている姿に強烈な違和感を感じた。

自分を騙せない面倒な私は、結局その違和感から大学の医局には属さなかった。どうしようかと考えていたら、米ボストンのマサチューセッツ総合病院で研修して帰国したばかりの新進気鋭の先生に出会い、彼に感化され、千葉のとある病院の麻酔科に入れてもらった。

そこでは、経験豊かな准看護師の方に「指導」されながら、地域医療の現場を学んだ。時には、ルワンダの難民キャンプなど海外も回り、様々な貴重な経験を積んだ。それでも、科そのものは柔軟で先進的だったが、病院全体としては大学と同じく、慣習に縛られた強烈なヒエラルキーと縦割り構造があった。これは日本の医療全体の問題と感じた。

疲弊することなく働くアメリカの医師たち

「この中にいたら自分が自分でなくなってしまう」そう思った私は、医療制度から勉強し直そうと、アメリカへ飛んで大学院に入った。そこには、日本とは全く別の医療の姿があった。

例えば、プロフェショナルとしての力量がちゃんと評価されるシステム。医者をはじめとした医療従事者が、ヒエラルキーと縦割りによって序列が決まるのではなく、パフォーマンスに基づいて正当に評価されていた。そのために、組織や職種の枠を超えてスキルを身につけたり、協働したりするのは歓迎されていた。医師それぞれが目一杯自分自身と向き合い、チャレンジしている姿がそこにはあった。

また、日本の医療従事者と異なり、彼らは疲弊していなかった。交代制でメリハリが効いた働き方をしていた。定時になるとちゃんと早く帰り、どんな忙しい医者も家族との時間を大切にしていた。医者も看護師も、プロとして自立し、リスペクトされた存在だった。家族や人生があっての職業であることを改めて思い知らされた。

一方で、日本の医療の素晴らしさも改めて知った。アメリカでは、医療はお金を支払える一部の人のものだと感じることがあったが、日本は本当に誰でも公平に治療を受けられる。それは、何よりも強い社会的アセットであり、誇るべき事実だ。

個人の自己犠牲に依存しない、持続可能なシステムへの改革

しかし残念ながら、質の高い医療が広く届けられる理由は、医療現場の個々人の努力、もっと言えば自己犠牲によって支えられてただけ。今回10万人規模を対象とした調査をして明らかになったのは、ほとんどの医師が、過重労働や超過勤務が継続している実態。子育てにも参画できない男性医師たち。キャリア選択に懊悩する若手医師たち。これでは持続可能ではない。

患者数と需要の増加、プライマリ・ケア対応への遅れ、テクノロジーの変化など、医療を取り巻く環境が大きく変わる中、このままでは、この国の医療は疲弊してしまう。それはつまり、患者に質の高い医療を届けられなくなるということ。事実、疾病が多様化しても学び直しが不十分な日本の医療現場には、国際標準で見ると専門性があるとは言い難い医者が診断したりしていることもある。

このままでは日本が誇るべき、医療の国際的競争力を失ってしまう。日本が真に「健康先進国」でいるためには、今、医師や看護師をはじめとした人々の働き方をいま改革しないといけない。本当にもう時間が無いのだ。

わかりやすく言えば、改革のポイントは大きく4つ。

1:医療従事者に、柔軟な働き方を。

自らの目標や状況、スキルセットに合わせて、都度、柔軟にキャリアを選べるようにする。

2:地域主体で、医療リソースを最適化。

地域が、国からのトップダウンではなく、自分たちで限られた医療リソースの決めるような権限と仕組み。

3:テクノロジーの最大活用。

新しいテクノロジーを積極的に使うことで、本当に「なすべき」仕事に集中できるようにする。

4:タスクシフト・タスクシェアの推進。

時代の変化に応じ、既存の職種の枠組みを超えて、仕事の領域を広げられるようにする。

詳しくはこちらを見てほしい。

医療に携わる人たちの選択肢を増やすことは、救える命を増やすこと

私はもう50歳を超えた。医療という業界ではまだまだ若者扱いだが、社会からみれば十分な経験者であり、責任者だ。最近ずっと、自分は若い医師たちにどういう希望を残せるだろうか、と真剣に考え続けてきた。

大事なのは、医療に関わる人たちが、「自分の人生を取り戻す」ということなんじゃないかと思っている。誤解を恐れずに言えば、今の医療は、自己犠牲産業だ。医者や看護師という仕事に誇りを持って働き続けるためには、働き方から変えていかなければならない。医療に携わる人たちがその人生と時間を主体的に選び取ることが、ひいては救える命を増やすことにつながる。私はそう、信じている。

自己犠牲が積み重なれば、いつしか、医師たちは患者への優越感を持ってしまう。「何でも分かっている」という全能感を持ってしまう。だから、自らと向き合い、自分の在り方、家族や社会との関わりを見つめなおす時間を持つこと。何かに守られて生きようとせず、自分の足で立つこと。そして、生涯をかけて、自分の力を尽くすこと。これをするのが、真のプロフェッショナルであり、それが医療を求める人々への眼差しに温もりを与える。そう私は信じている。

しかし、既存の仕組みを変えることは大変である。そこには社会の広い支持が必要だ。一部の関係者だけの議論になってしまってはいけない。誰かが英雄気取りで声高に叫んでも虚しい。すべての医療従事者、関係者が自分のこととして議論し、取り組んでいくべきだ。一人でも多くの人に、医療従事者の声とともに、日本の医療の現実と本提言に込めた思いが伝わってほしいと願っている。

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