私は、死を超えたところに、なにかが存在すると感じずにはいられない。

南米チリのパタゴニア地方、原生林と川と湖と氷河に囲まれた大自然の中で暮らす私たちの日常のストーリーを綴っています。今回は、その15回目です。

「シンプル・ライフ・ダイアリー」 8月15日の日記から。

昨夜、レオがうちに来た。昨日の朝、早くに登山道具やテント、寝袋をバックパックに詰め、山登りをする予定で家を出たのだけれど、雨が激しく降り始めたので、今回は見送ることにし、私たちを訪ねることにしたと言う。

レオは、自分で焼いたパンとワインを2本、持って来てくれたので、夕食には、ジャガイモと玉ねぎのスパニッシュ・オムレツを作って、パンをスライスして添えた。レオが焼いたパンには、亜麻仁がたくさん入っていて、とても美味しかった。

「今朝、叔母さんのお葬式に行って来たんだ」と、夕食を食べながら、レオは言った。レオの叔母さんのお葬式には、私たちも出席したがったのだけれど、残念なことに、私たちがお葬式があったことを知ったのは、その日の午後だった。

Paul Colaman

レオの叔母さんは、パッチーさんと言って、私たちも、よく知っていた。パッチーさんは、リンゴのエンパナーダ(チリで良く食べられている揚げ菓子)や、ラズベリーのパイが上手で、私たちもよく注文して、作ってもらっていた。旦那さんのチートさんと二人で、観光客用のキャビンとキャンプサイトを運営していて、私たちも、よく訪ねて行った。私たちが行くと、必ず、家に招き入れてくれ、マテ茶とケーキをご馳走になりながら、いろんなことを話し、冗談を言っては、よく大笑いした。

だから、パッチーさんが、癌にかかっていて、すでに末期だと聞いた時、とてもショックだったし、悲しかった。パッチーさんは、どこも具合が悪そうに見えなかったし、村の人も、みな、そう思っていた。ある日、パッチーさんは、左の腕の麻痺がひどくなっていることに気が付いて、心臓と関係があるのかもしれないと思い、村のクリニックを訪ねた。すると、検査の後、300キロ離れたコヤイケ市の病院に行くようにと言われ、そこで、さらに精密検査をしたところ、末期の胃癌にかかっていると診断されたのだった。

パッチーさんは、化学療法を受けずに、友達に勧められて、ブラジルに住んでいる僧侶に連絡を取ることを選んだ。この僧侶は、遠隔で病気を治療することで有名だった。それから2週間後ぐらいに、祈りのセレモニーがあると聞いた。僧侶がブラジルからパッチーさんにエネルギーを送るので、同じ時間に、みなで、パッチーさんの治癒を願ってお祈りをしようと言うもので、村人の多くが参加した。それが、4か月前のことだった。

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「お葬式で、従兄が興味深い話をしてくれたんだ」

夕食の後、ワインを飲みながら、レオが言った。

「叔母さんが亡くなる日、叔母さんが『水を持ってきてほしい』と言ったので、従兄がコップに水を入れて渡すと、叔母さんは、その水をごくりと飲んで、『じゃあ、行くね』と言って、息を引き取ったんだって」

「・・・・・」私もポールも、言葉を失っていた。

「それを聞いて、すごく驚いたんだよ。叔母さんが、死を受け入れていたということが、驚きだった。普通は、自分の死を受け入れるなんて、すごく難しいことだし、誰だって死にたくないよね。多分、怖いと思うんだ。だけど、叔母さんは、とても穏やかった」

「美しい話だね」ポールが言った。

「もちろん、残された家族にとっては、彼女を失うことはとても辛いことだけれど、少なくても、彼女自身が心穏やかに逝ったということを聞いて、気が楽になったよ」

私も、ポールと同じ気持ちだった。

「もう一つ、興味深かったのは・・・」レオが続けた。

「これも、従兄が言っていたんだけれど、僧侶が遠隔で治療をしている時、叔母さんは、彼の存在を感じていたんだって。治療をする時は、日にちだけ決めて、時間は決めていなかったんだけど、治療の日には、はっきりと、誰かが身体の中をいじっている感覚があったんだって。僧侶は、叔母さんに言ったらしい。『治してあげることはできないけれど、痛みを取ってあげることはできる』と。本当にその通り、最期まで、まったく痛みはなかったんだよ。本当に、不思議な話だよね」

こういう話を聞くたびに、この世には肉体の世界を超えた何かがあると思わずにはいられない。そして、私は、ポールの妹のグエンが亡くなった時のことを思い出していた。

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ポールが、妹のグエンの訃報を受け取ったのは、カリフォルニアの友達、クリフの家に滞在していた時だった。グエンは、何十年も、多発性硬化症を患っていた。お姉さんからのメールを見て、すぐに、ポールは、スカイプでお母さんに電話をした。最後の数日、グエンは昏睡状態に陥っていた。お母さんは、ベッドの横に座り、グエンの手を握っていた。そして、お母さんは、何十年も、ずっと痛みと戦って来たグエンに言った。

「グエン、大丈夫だよ。もう、逝っていいんだよ」

すると、グエンは、突然、目を開けて、お母さんを見つめ、大きく深呼吸をして、息を引き取ったのだった。それは、ポールの家族にとっては、悲しい瞬間だった。けれど、私は、ポールのお母さんが、グエンを手放し、グエンが心穏やかに逝けるように助けてあげたことに、とても感動していた。それが、本当の愛だと思った。

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愛する人を手放すというのは、簡単なことではない。

私の前夫は、何年も、鬱病を患った後、自ら命を絶った。彼が自殺した時、私は、痛みと自責の念に苦しんでいたので、彼に対して、とても怒りを感じていた。

彼の死から数か月後、縁があって、アリゾナのセドナにいるネイティブ・アメリカンのシャーマンに会いに行く機会があった。彼は、私ともう一人の日本人女性を赤い大きな岩の上に連れて行き、そこに横になって、目を閉じるようにと言った。それから、彼は、打楽器のようなシンプルな楽器でリズムを取り始め、歌を歌い始めた。彼の歌を聴き始めると、次第に、身体がリラックスしてきた。

「とても、きれいな草原を歩いているところを想像して下さい」と、彼は言った。

「草原は花が満開で、そこには、澄み切った川が流れています」

私は、美しいお花畑を歩いているところをイメージし、そこに、澄み切った小川が流れているのを思い描いた。

「草原を歩いていくと、洞窟が見えます。洞窟の中に入って行って下さい」彼は、続けた。すると、草原の向こうに洞窟の入り口が見えた。

「洞窟の一番奥まで行くと、あなたが一番会いたかった人がいます」

私は、洞窟の中に入って行き、一番奥まで歩いて行った。すると、そこにいたのは、亡くなった主人だった。彼は、微笑みながら、そこに座っていた。私は、咄嗟に、彼の両手首を掴んで叫んだ。

「どうして、死んじゃったの?どうして?」

手首をぎゅうぎゅうと掴んで、腕を上下に振った。すると、彼は私を見て、静かに、こう言ったのだった。

「痛いよ、離して。木乃実がそうやって、いつまでも、僕にしがみついているから、僕は上がって行けないんだよ」

ショックだった。私は、彼が、私に会えて喜ぶだろうと思っていたし、「あんな風に突然、君を残して逝ってしまってごめん」とか、「寂しかったよ。会えてうれしいよ」などと言う慰めの言葉を言ってくれるだろうと期待していたのだ。でも、そんな言葉は、一つもなかった。彼は、ただ、先へ行きたがっていたのだった。

突然、稲妻のように、はっとした悟りが私を貫いた。そして、私は、彼の両手を放したのだった。その時、シャーマンの声が聞こえた。

「用意ができたら、元来た道を戻って来て下さい。洞窟を通って、草原を通って、ここへ戻って来てください。そして、目を開けて下さい」

私は、ゆっくりと、現実の世界へと戻って来て、目を開けた。すると、その瞬間、白い光が手裏剣のように、シュルシュルと回りながら、素早く、空に上がって行くのが見えた。

「あ、彼だ」直感的に思った。涙が溢れてきて、止まらなかった。でも、それは、悲しみの涙ではなく、解放された喜びの涙だった。

あの時、何が起こったのか、説明することはできないけれど、一つだけ、言えるのは、あの経験の後、気持ちが軽くなり、少しだけ、幸せになったということだ。そして、悲しみや怒りや罪の意識も、なくなっていた。「彼は、大丈夫なんだ」と、分かったのだった。

これは、私の癒しのプロセスの始まりだった。死は、終わりであって、その向こうには何もないと信じる人も多い。でも、私は、死を超えたところに、なにかが存在すると感じずにはいられない。私には、まだ理解できないけれども、何か、とてつもなく大きなものが存在すると。

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