世界の果て、パタゴニア。ゆっくり時間を過ごす、冬の楽しみ。

パタゴニアの冬は厳しいけれど、私たちは、冬が好きだ。

南米チリのパタゴニア地方、アンデス山脈の麓で暮らす私たちの日常のストーリーを綴っています。

今回は、その9回目です。

「シンプル・ライフ・ダイアリー」7月26日の日記から。

昨夜は、冷たい雨が降る中、思いがけなく、友達が訪ねて来た。レオと、レオの従兄弟のアンドレとオスカー。3人とも20代前半。ワインとビールとギターを持って来てくれた。

レオは、ラフンタから60キロほど南にある、氷河で有名なケウラット国立公園で、冬はパークレンジャーをして働き、夏は、公園の近くでエコ・キャンピングとキャビンを経営している。キャンプサイトとキャビンは、氷河とフィヨルドが一気に見渡せる絶景の場所にある。

Paul Coleman

レオは、一昨日から、パークレンジャーの仕事でラフンタに来ていたのだけれど、その間に、彼の家の1キロ手前にある橋が、事故で崩壊してしまっていた。道路工事用のダンプトラックが3台、一気に橋を通ろうとして、大幅に重量制限をオーバーしてしまい、橋が真ん中から二つに折れて、川に落ちてしまったのだ。死亡者が出なかったのは幸いだった。

レオは、どうやって家に帰るのだろうと思って聞いてみると、「問題ないよ。橋はまだ、残ってるから、歩いて橋を渡って帰れる」と、平気な顔をして言う。ラフンタから、ヒッチハイクして帰るのかと聞いたら、「同僚が車で橋の手前まで送ってくれる。冬になると、道路が寸断されることは、よくあるから、慣れてる」と、言うのだった。

確かに、私たちの経験から言っても、冬には、こういうことがよく起こる。ケウラット公園の中を走る道路は、崖っぷちに作られているので、とても狭く、曲がりくねっていて、一方は絶壁、もう一方はフィヨルドになっている。冬になると、大雨が続いて崖崩れが起こり、道路が寸断されることもよくある。

7年前の冬、300キロ南にあるコヤイケという町に行った時のことだ。朝5時発のバスに乗り、ウトウトしていると、突然、ポールに起こされた。

「見て!バスごと、フェリーに乗ってるよ!」

それまで、何度もこのルートを旅したけれど、フェリーに乗ったことなど一度もなかったので、驚いた。周りの乗客に聞いてみると、崖崩れで道路が寸断されてしまったので、バスはフェリーに乗って、ぐるりとフィヨルドを迂回するのだと言う。真っ暗な中、20分ほどフェリーに乗って、崖崩れの心配のない安全な場所まで行き、バスは、そこから、道路に戻って、再び旅を続けたのだった。

また、5年前の冬は、フェリーに乗ってチャイテンという港町から出航したところ、大嵐に遭って、やむなく、チロエ島にある小さな湾にフェリーを停泊させて、嵐が去るのを待たねばならなかった。おかげで、いつもなら、13時間で目的地に着くはずが、なんと、31時間もかかってしまった。

船内には、70人くらい乗客がいたけれど、誰も不平不満を言わず、フェリーに十分な食料が詰まれていなかったにもかかわらず、静かに長い旅に耐えていた。まあ、大海原のど真ん中で、嵐に遭ってしまったのだから、どうしようもないということなのだろう。パタゴニアの人たちの忍耐強さには、感心するばかりだ。

Paul Coleman

パタゴニアの冬は厳しいけれど、私たちは、冬が好きだ。友人たちの多くは、農業や観光業に携わっているので、夏は忙しいけれど、冬には、たっぷりと時間がある。だから、みんなで集まって、ゆっくり時間を過ごすのは、冬の楽しみだ。

「ギターは、冬の長い夜にぴったりだよね」昨夜も、レオがそう言って、おもむろにギターを弾き始めた。

「あれ、それ、誰の曲?」とアンドレが聞くと、「即興で弾いてるんだよ」と、オスカー。すると、ポールが、カスタネットと小さなドラム、マラカス、カリンバなどの楽器を持ってきた。アンドレはドラム、オスカーはカリンバ、私はカスタネットと、それぞれ、好きな楽器を手に取って、ギターに合わせて音を鳴らし始め、ポールが即興で歌い始めた。ポールが即興で作る歌詞が可笑しくて、みんなで、お腹が痛くなるくらい笑った。

私は、パタゴニア・スタイルのシンプルなパーティーが大好きだ。友達や親戚の家に集まって、ワインとビールとギターがあれば、立派なパーティーになる。村から離れた農家に行くと、電気も携帯の電波もないので、スマートフォンもコンピューターもスイッチオフ。おしゃべりしたり、歌ったりして、楽しく時間が過ぎて行く。

誕生パーティーや、クリスマス、お正月のお祝いなど、特別なパーティーには、「アサド」というバーベキューが定番だ。焚き火でじっくり時間をかけて、羊肉をローストするのだ。パーティーの最後は、ギターを持っている人が、典型的なチリの音楽を奏で、みな、踊る。複雑な仕掛けは、何もない。こうして、パーティーは、夜明けまで、続く。

Paul Coleman

一番思い出に残っているパーティーは、3年前に行ったレオの誕生パーティーだ。会場は、レオのお母さん、マリの農場。農場に着いたのが、夜の7時だったので、とっくに、パーティーは始まっているだろうと思ったら、レオがまだ、バーベキュー用の羊を追いかけていた!羊肉を焚き火でローストするには、5時間ぐらいかかるので、パーティーが始まったのは、夜中の12時過ぎ。午前1時過ぎに到着する人もいた。

農場には、「キンチョ」という、焚き火を囲んでバーベキューするパーティー用の建物があって、レオのおばあさん、伯母さん、伯父さん、友達夫婦、従兄夫婦、その子供たちなど、20人以上の人が食べ物や飲み物、ケーキなどを持ち寄り、食べたり、飲んだり、ギターを弾いたり、歌を歌ったりと、楽しい時間が流れて行った。

「あれ、この風景は、昔、どこかで見たことがある」

パーティーの間、ふと、何か、懐かしい思いが込み上げて来るのを感じた。それは、子供の頃、祖父母の家で感じた感情だった。父方の祖父母は、大きな米農家だったので、子供の頃は、田植えや稲刈り、お盆やお正月など、何か行事があると、両親に連れられて祖父母の家に遊びに行った。

父は6人兄弟だったので、伯父や叔母、従兄弟たちが集まると、全部で20人以上になり、田植えや稲刈りの後、みなでテーブルを囲んで、食事をし、おしゃべりをし、子供たちは、庭で遊んだり、絵を描いたりして過ごした。そこには、守られているという安心感と、家族の愛に囲まれているという心地良さがあった。そんな感覚が、レオの誕生パーティーに行って、蘇って来たのだった。

「ああ、この感覚。これを第二の故郷って言うのかな?」

パーティーの心地よい空気に包まれながら、私はそう思っていた。