歯科の枠にとらわれない歯学博士 吉野敏明

『現代の口中医』ともいうべき人物に、アメリカで医学教育を受けプライマリー・ヘルスケアに従事する筆者が、話を聞いた。

室町末期から明治初期まで、日本には口中医(こうちゅうい)と呼ばれる、歯科と医科の垣根を越えた臨床医が存在した。入れ歯をつくる職人である香具師(やし)と異なり、彼ら口中医は医学の専門教育を受けホリスティック医療を実践していたそうだ。一方、現在の歯科業界では自由診療化および専門クリニック化が進み、治療領域が狭まる傾向にある、といわれている。医療費が一般会計の4割以上を占め保険診療が限界を迎える今、日本の医療や医療人はどうあるべきなのか、『現代の口中医』ともいうべき人物に、アメリカで医学教育を受けプライマリー・ヘルスケアに従事する筆者が、話を聞いた。

吉野敏明(よしの としあき)は歯周病専門医だが、その活動はクリニック内での治療だけにとどまらない。日々の治療やオペの現場に立つかたわら、未病治療を推進するため、講演や執筆活動、テレビ出演など、歯科医師の枠にとらわれず院外活動も精力的にこなす。また、歯科、内科、脳血管外来を含める総合クリニックを横浜と銀座に構える経営者でもある。

Dr. Toshiaki Yoshino

歯科医師だった父も鍼治療にも情熱を注いでいた。鍼灸漢方医の家系としては11代目。幼少期から東洋医学が周りにあった。自身も大学卒業時から鍼治療を始めたが、今から25年ほど前の当時は、患者から理解されない状況だった。父親の診療所以外で鍼治療をしていると「結構嫌がられた」という。

今では、東洋医学も社会に抵抗なくな受け入れられているが、かつては不遇の時代。科学で何でも解決できると考える風潮があった。吉野も自然と西洋医学に傾倒し、歯学部を卒業した後は、東京医科歯科大学で歯周病の研究に勤しんだ。

研究医となって、まず疑問に思ったのは、再生治療をするために動物実験をしてわざと歯周病を人工的につくり、一旦『壊す』という行為だった。犬とか猿などの歯の周りにワイヤーをかけてプラークをたまり溜まりやすくしたり、歯周病菌を塗布したりする。あるいは、わざと歯ぎしりの力が加わるように噛み合わせを高くして、実験的に歯周炎をつくってから、それを薬剤や手術などで治す。悪癖や病因がなくなれば歯周病にならないという結論を導くためだ。吉野は途中から「一体、何をやっているんだろう...」と思い始めた。

「わざわざ壊して治してどうするんだろうと疑問に思ったわけです。そこで、歯周病初期の段階において、健康な人の歯周病に関わる細菌検査をして治療をすればプロセスがシンプルになったり、重症な人を治せたりするのではないかと考えました。ところが、歯科業界はそれが受け入れられるような雰囲気ではなかったのです。東洋医学的な全人医療ではなく、"今、腫れているものを治せ"というわけです。原因を除去しようという空気ではありませんでした。」

そこで、吉野は従来の研究方法に見切りをつけた。

「それからの10年間は、歯周病の細菌検査のシステムを作って、原因除去して治療をすることをライフワークにしました。実際に、その手法を確立させ日本の治療のガイドラインに載せることもできました。

その後は、抗生物質の反応が個人によって違うので、免疫力をどう定量化するかというテーマに取り組みました。その次に、歯ぎしりなどに取り組んだら、東洋医学なアプローチをしないと解決しないことが分かり、すごく悩みました。歯ぎしりをやめるように言っても止めてくれないし、睡眠時の歯ぎしりは無意識の制御だから、心の治療に進むわけです。根本的には歯周病の治療のためにやっていたことですが...。

心の治療ができるようになってくると、更に視野が広がりました。実は、難聴、聴覚障害、耳鳴り、めまい、頭痛、肩こり、吐き気、鬱病なども、根は同じところにあって、そこから解決しないといけないのです。すると、結果的に、他の病気も治せるようになってきました。

そういったキャリアを進めていく上では、歯科医師免許だけでは医療法上も問題が出ますから、医師の先生たちに協力を仰ぎました。幸い、何名かの医師が快く協力してくれることにより、全身を診る治療をするようになったのです。」

結果として、吉野は「嫌だった」という世襲に向き合うことになった。吉野家が1700年代から大体続く鍼灸・漢方医、東洋医術に従事する家系だと知ったのは40歳のときだった。 (つづく)

※敬称略

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