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夫にアスペルガーを告白した。彼はなぜか、安堵の表情を浮かべた。

今、私にできること ーー「見えない」生きづらさを抱えた、すべての人へ

2017年11月19日 14時57分 JST | 更新 2017年11月19日 14時57分 JST

◇ パートナーが、アスペルガーだったら     

ぼうっとした頭で帰宅し、体調不良の原因が、アスペルガーという"特性"にあるらしいということを告げると、夫はなぜか安堵の表情を浮かべ、「なるほど」とつぶやいた。そして、こう言う。

「合点がいったよ。多分、その通りだと、僕も思う」

夫はこの時、それまでの妻のちぐはぐな言動(ヒステリックに泣き叫んだと思うと、次の瞬間、楽しそうにネットショッピングに興じている、自分の友人の前で初対面にもかかわらず突飛な言動をする、「具合が悪い」という抽象的な表現でよく寝込むetc)を、常々、疑問に感じていたらしい。

夫はよく、私のことを「おかしな人」だと茶化して表現したが、自分では全くそうは思わなかった。アスペルガー症候群の傾向にある人は、自分を客観視(メタ認知)することが苦手である。

私も自分のことを"至極まっとうな人間"だと信じてやまなかった。しかし、思い起こせば、小さい頃から両親、それから周囲の大人たちに「面白い子」だの「変わった子」だのと言われ続けていた。

夫が、結婚を前提に交際を申し込んでくれた時の私の言動も、彼には衝撃だったようである。私は、夫からの「打診」を受けて、いささか動揺したのかカバンの中から取り出した、例の頓服薬を噛み砕きつつ、不器量、かつ大真面目な顔つきで、こう言ったという。あらためて聞けば、とんだ勘違い女だ。

「いま、私にはお付き合いしている男性がおります。あなたのことは、今のところ、二番目に好きです。二番目ということでよろしければ、保留ということにさせていただきますが、それでもよろしいですか?」

何より、精神科医の言った「過剰適応」という言葉が、私の心に刺さった。女性は、男性よりも適応能力が高い人が多いため、一見、環境や状況に"適応できているように見える"人が多いという。

しかしながら、本来は苦手なことを過剰に"頑張って"適応しているにすぎないため、疲れやすかったり二次障害に苦しんだりと、身体に影響が出る人が多いというのだ。

「そうか、私は"頑張って"適応していたのか......」

◇ 大きな一歩

そう理解した瞬間、私は、ようやく脱力した。気がつくと、涙が頬をつたっていた。もちろん、発達障害だと判明したからといって、状況は何も変わらない。

しかし、人間というのは漠然とした不安には弱いが、ひとたびそれに"名前"がつくと、頭が整理されるのだろう、なんとなく安心するものだ。この時、私の頭と身体を覆っていたぬばたまの闇に、少しずつ光が差し込んでいくのを、しっかりと感じた。

自分の苦手なこと、得意なことが、医師とのカウンセリングの中で、次第に明らかになっていき、これまで無防備だったことにも事前に「対処」することができるようになっていく。

これは、私の人生において、画期的な出来事だった。

その日にすべきことを可視化し、一つずつ消していく。人混みに出るときは、できる限りの防御をする。苦手なことを、頑張りすぎない......。そんな些細なことが、私にとっては、大きな一歩だった。

そして、自分がアスペルガー症候群の当事者であると判明したことは、のちに、生き方そのものを見直すきっかけとなった。

どうにか頑張って電車通勤を続けていても、ある日突然、プツンとくる。ベッドから出られなくなる。会社に迷惑をかけてしまう。

それを避けるためには、自分のペースで働かせてくれる職場を選ぶか、もしくは、家で仕事をするほかない......。「それは甘えだ」という人もいるかもしれないが、経験上、私にはそれしか選択肢はなかった。

◇ 今、私にできること

40歳を目前にした私は、10代の頃に自分自身を奮い立たせていた自己愛的な幻想による"役割"を、たびたび思い返すようになっていた。

「つらいのは、きっと私だけじゃない。いつか、同じ苦しみを抱えた人たちに『大丈夫だよ』といえる人間になろう。そのために、私は今、この苦しみと対峙していくんだ」

見えない「生きづらさ」を抱え、正体不明の不安と戦ってきた、数十年。その正体が、次第に明らかになってきた、この数年......。

今、同じ「生きづらさ」を抱えて生きる人たちに、私は「大丈夫だよ」という無責任なことは言えない。

それでも、「こんなことって、あるよね」「しんどいよね」と、共感してもらえる"何か"を生み出すことなら、できるかもしれない。

そして、その"何か"が、それぞれの人にフィットする、新しい生き方を模索するきっかけになったなら。

そんな、新しい妄想と衝動に駆られて、私は今月、『明日も、アスペルガーで生きていく。』(医療監修・西脇俊二、ワニブックス刊)という本を、上梓した。

あなたがもし、自分にアスペルガー的な「生きづらさ」を感じているのなら、医療監修の西脇俊二先生の解説にもあるように、診断を待つだけではなく、先んじて「自分を活かす」努力をしてみてほしい。

私もあなたも、それから、あなたの周囲にいるあの人も、たまたま、アスペルガー症候群(発達障害)という特性を持って生まれたのだ。

左利きの人がいるように、そばにアレルギーを持つ人がいるように、癖っ毛の人がいるように、例えばそんなことと同じである。

左利き用のギターを弾けばいいし、うどんを食べればいいし、気になるなら縮毛矯正でもすればいい。

なにも、恥じることはないのだ。苦手なことばかりだと、自分の「できないこと」ばかりにフォーカスして、かつての私のように、不要な涙を流す必要はない。

しかし、決して障害にあぐらをかいてはいけない。

私たちは、自分らの「特性」をよく理解して、いわゆる自分の「取扱説明書」を心に持ち歩くのだ。

何ができて、何ができないかの選定を、徹底的に行う。その努力を惜しんではいけない。そう、自分で自分を守り、活かすのだ。

そして、世界を折り合いをつけて生きていく。そのためには、周囲の理解も必要だ。

ぜひ、この『明日も、アスペルガーで生きていく。』(医療監修・西脇俊二、ワニブックス刊)を、手にとっていただけたらと思う。不器用で、愛すべき8人の物語が、そこにある。(了)

明日も、アスペルガーで生きていく。