沖縄・高江の風景 純度100%じゃない日本

アメリカ軍が沖縄で基地を持っているのはなぜだろうか?

アメリカ軍が沖縄で基地を持っているのはなぜだろうか? 大日本帝国が太平洋戦争に負けて、アメリカが日本に自分たちの基地を作ったからだ。大日本帝国は日本のかつての姿だ。今日本に暮らす私たちの父や母、祖父母、あるいはもっと上の世代が、大日本帝国を動かしていた。

戦争に負けた大日本帝国には内地と外地があった。内地とは今の日本、ただし沖縄を除く。外地とは沖縄の他に朝鮮半島と台湾、樺太などを指す。敗戦の影響をもろに受けたのが外地だ。朝鮮半島は分断され、樺太はロシア(当時のソ連)に没収された。沖縄はアメリカに取られ、現在に至るまで基地の島となっている。

沖縄は戦後しばらくアメリカだった。1972年に日本に返還された。

全国紙が「豊洲盛り土問題」や小池百合子東京都知事のニュースで盛り上がっている頃、沖縄は本島北部の新たな基地関連施設建設をめぐる「高江」問題に大きく揺れていた。

沖縄タイムス琉球新報という地元2紙を通して毎日この問題に触れていた私は、12月の第1週目に那覇から車で3時間かけて東村高江を訪れた。

そこには美しい森と海が広がっていた。

同じ日に、同じ場所で、森林を伐採してアメリカ軍に提供するためのヘリコプター着陸帯を建設する日本の人たちを私は見た。建設を行なっているのは沖縄の建設業者である。彼らはダンプカーで土砂を運んでいた。建設業者の作業を守っている警察と機動隊の姿がそこにはあった。

建設業者を守る? 一体誰から?

事情をよく知らない人にしてみれば「?」が次から次へと湧いてくるに違いない。私も実際のところ、この記事を書きながらも頭が混乱している。というのも、警察と機動隊の他にもうひと組、その時その場所で何かを守っている人々がいたのだ。彼らは警備会社の警備員たちで、建設現場のゲートの前を大勢で見張っていた。建設現場をなぜ見張るのだろうか?

高江のヘリパッド建設に反対する日本の市民たちが、そこには大勢いるのだ。彼らは沖縄の人々であり、また内地から応援にやってきた人々でもある。

警察と機動隊の中にも沖縄県警と本土から来た福岡県警や大阪府警の人たちが混ざっている。建設現場のゲート前を見張る、沖縄防衛局に雇われた警備会社の警備員たちもまたそれぞれのルーツを持った日本人たちに違いない。

北部訓練場という名前の建設現場は、米海兵隊のテリトリーだという。

高江はアメリカだ。

いや、沖縄だ。

日本だ。

基地建設に反対する市民たちは、環境の破壊をやめるようにと抗議の声をあげる。アメリカ軍の基地をこれ以上沖縄に置かないでくれと抗議する。戦争そのものに直接つながる基地はいらない、というのが彼らの思いだ。彼らは彼らを取り囲む若い男性の機動隊員たちに語りかける。

「君たち沖縄に来てこんな仕事をして、地元に戻って誇れるのかい?」

機動隊員たちは一切何も答えない。一日中聞こえる、抗議する市民からのメッセージを耳にしながら、警察も思うところがあるに違いない。でも彼らは何も言わない。なぜなのか?

彼らはアメリカ軍に提供する基地を期日までに完成させるために、抗議する市民がダンプカーの通行を妨害して工事が遅れないように、建設現場内に勝手に入り込んで市民たちが変なことをしないように、ゲートを見張ったり、建設業者を守ったりしている。全ては、アメリカ軍に提供する基地の完成のために。だから別に答えない。答えることは任務じゃないから。

明らかに、これは大日本帝国の敗戦に起因する事態だ。71年前の敗戦を私たちは取り戻すことはできない。高江では今も「戦後」が続いている。大自然の中に作られた鉄のバリケードは朝鮮半島の38度線にそっくりで、ここでは人間が人間を分断するという不気味な時間が流れ続けている。

私たちは日本人だ。私はコリアンで、ここ沖縄は沖縄の人たちの島だ。でもそれぞれが違ったルーツを持ちながらも、同じ日本で生まれ育っている。日本は純度100%じゃない。その多様性を私は誇りに思う。

どうしてアメリカ軍のための施設建設を日本人が守るのだろうか? 私たちはアメリカ軍なのだろうか。そうかもしれない。でも私たちはアメリカ人と同じ権利を保証されているだろうか? 基地を守る代わりにグリーンカードをもらえるのだろうか? 選挙に参加できるのだろうか? そもそも日本人というのはアメリカ軍の雑用をすることを運命づけられた民族なのだろうか? そうかもしれない。敗戦したから? そうかもしれない。

私たちはアメリカ軍の基地に守られているのだろうか?

アメリカ軍は私たちを何から守ってくれているのだろうか?

中国人? 北朝鮮人? それともチンギスハン?

沖縄・高江の自然は何を思っているのだろうか。

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