男の子はなぜスカートを履いてはいけないのか?

漫画を題材に、女性が自分を「ぼく」と呼ぶということ、そして男性がスカートを履くということについて考えてみたい。
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漫画『ボーイ・スカート』から考える、女の「ぼく」、男のスカート

「僕」という一人称を使ったことのある女の子がどれくらいいるのだろう。

ボクっ娘」というジャンルが存在しているのをご存知ですか?男性が使うイメージである「ぼく」「僕」「ボク」などと言った一人称を、あえて使っている女性のことです。アニメの中にはよく出てきます(ちなみに私はオタクです)し、現実世界でも自分のことを「ボク」や「俺」と言う女の人は何人か見たことあります。なにより、私も時々「ぼく」を使います...ええ、使いますよ!

そこで今回は、鳥野しのさんの「ボーイ・スカート」という漫画を題材に、女性が自分を「ぼく」と呼ぶということ、そして男性がスカートを履くということについて、真剣に考えてみたいと思います。

女の子が「ぼく」を使うこと

私は結構昔から、メールや友達との会話に「ぼくはね...」という感じで「一人称ぼく」を挟んでいく事が(時々ですが)ありました。きっとちょっと甘えたい時だとか、かわいこぶりたい時とかに(笑)使っているような気がしますね。

ある時、自分のことを「ぼくは〜」と言うことがあまりに増えたものだから、友達が呆れて「ぼくって(笑)。どうして私って言わないの?」と聞いてきたことがあったのですが、私は答えに窮してしまいました。なぜなら、私の中で一人称を「ぼく」にするもっともらしい理由なんてものは、はなから存在していなかったからです。しいて言うなら、「なんか語感がしっくり来たから...?」。

説明が難しいのですけど、「私は...」と言って会話をするとどうもリズムが良くなく感じるのです。私の中では会話が「おっとっと」と前につんのめる気がするんですよ。その点、たった二音で済む「ぼく」という単語はどことなく幼くて、なんだかカワイイものを身に着けている感覚になるし、言いやすいんです。少なくとも、別に男になりたいからそういうことをしているわけでは全然なかった訳なんですね。

男の子がスカートを履くこと

さて、それでですね、前述の「『ぼく』事件」と重なる事象が、鳥野しのさんの漫画「ボーイ・スカート」の中で起きます。

この漫画は「ある日クラスの男の子が、スカートを履いてきた」というところから始まります。それでその男の子(+同立主人公である女の子)は、両親、クラスメート、恋人...などの人が抱いている「どうして?」という疑問や「君のことを理解したい」という"親切"に、真正面からぶつかっていくのです。例のスカート男子は、「どうしてそんなことをするの?」という質問に、困ったようにこう答えます。

「『かっこいい』って思うから......」

彼はただ、女の子がファッションとしてスカートを履くのを楽しんでいるのと全く同じように、スカートを身につけることを楽しもうとしているのです。そこに「女になりたい」とか「お化粧をしたい」とかそういう気持ちは全くありません。逆に、しきりに「理由を言ってよ」「君のことを理解したいんだ」と迫ってくる級友たちに対して戸惑いを感じています。だって、理解されるほどのことは何もないわけですから。

さて、ここまで読んで「ちょっとスカート気になってきたな...」という男性、いらっしゃいますかね?そういう人がいらっしゃった時のために、スカートを履く上での心得をちょっと漫画にしてみました。

スカートを履く男の子にしてあげられること

『ボーイ・スカート』作中では、スカート男子の父親が "男がコーディネート的な意味合いで気軽にスカートを履く"ということに対して

「着たいからって着ないでしょ ふつうは」

「そこはふつう こう...」

「飛び越えないもんだろ...」

と印象的なコメントをします。お父さんの言うとおり、我々の生きる社会の中には、理由は分かっていないけれど暗黙の了解としてすること・しないこと...というのが確かに存在しています。しかし、それを「皆がそうしているから」と納得してしまうことは、思考停止しているのと同じ、と私は捉えています。

なぜ女性はスカートとズボンどちらを履いても違和感がないのに、男性はズボンだけしか履かない(履けない)のだろう。なぜ男性は「僕」「俺」「私」を自由に使っていいのに、女性は「私」以外使わない(使えない)んだろう。

皆さんが小さな子どもだった時には、逐一こういう疑問が頭に浮かんできませんでしたか?今でもそういった疑問についてひとつひとつ、納得の行く答えを出していますか?実は私もこれ、頑張ってやっているんですが、なかなか全部というわけにはいかないです。

学校にいきなりスカートを履いてくるような男の子に必要なのは、「理解してあげよう」というやや上から目線の優しさではないと、私は思っています。彼に必要なのは...たぶん「みんなと同じ考え自分の頭で考えてくれる人」なのではないでしょうか?

スカートも「ぼく」も、"身にまとうもの"

私は、人間にとって衣服は「身体的に身にまとうもの」、言葉は「精神的に身にまとうもの」だと思います。使っている言葉でその人の為人(ひととなり)がわかる、なんてよく言いますよね。自己表現の手段としては、言葉も服もみんな等しい位置にいるのです。

人間がスカートを身につける理由は人それぞれです。「女の子らしさ」に強いあこがれを抱いているからでもよし、ただ「カッコイイ」「自分もやりたい」という理由だけでスカートを履くもよし。

同じように、女性が多少雑な言葉遣いをしても、男性が「カワイイ!」を連発しても、それは自己表現の一環に成り得る、そんな時代になってきました。誰かに注意されたり、そうする理由を説明したりしなければならないものではなくなっていると思います。

少数派の人は多数派の人々に支えられている

作品としての「ボーイ・スカート」中の、周りの人達を悪者扱いしない姿勢で描かれているという部分は大いに評価できる点だと思います。少数派は多数派である人間を「分かってくれない人々」とはねのけがちですし、作品の中ではドラマチックに迫害事件を演出しがちです。でも実際には多数派の人間こそが、少数派の人の身近で、少数派の人を支えていたりするのです。

あなたは、女性が「ぼく」を使わない理由はなんだと思いますか?また、なぜ男性はスカートを履かないのだと思いますか?

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