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世界一おせっかいな家族が、わたしに残してくれたもの

きっと、わたしが生まれる前からずっと、わたしの家はこうだった。

2017年10月27日 11時54分 JST | 更新 2017年10月27日 12時09分 JST
野邉まほろ

ある夜、通信教育教材の営業をしにきたおじさんが、一緒に食卓で晩ご飯を食べていた。ある冬、実家に帰省したらドイツ人家族8人がいた。ある日、お父さんがヒッチハイク中の人を家に連れて帰ってきた。ある夏、外国人が2ヶ月間タダでわたしの家に住んでいた。(もちろん、おいしいご飯も・・。)

 

小さい頃からこういう光景を見続けていたわたしは、いつも思った。

————— どんだけ、おせっかいな家族なんだ。

 

ここ何年かの話じゃない。きっと、わたしが生まれる前からずっと、わたしの家はこうだった。きっと世界一おせっかいな家族だったと思う。

世界一おせっかいな家族のはじまり

大好きなおじいちゃんは、漁師だった。大漁になれば、まず近所の家を一軒一軒周り、魚を配った。配りきれないほどの魚が獲れれば、漁師仲間を集めた宴会を開き、これでもかとばかりに振舞った。わたしは電卓とにらめっこしながら、売ればいくらになるのかと計算して、数字を見ては呆れた。

 

わたしの家族は、ずっと「おせっかい家族」だった。そんな家族が大っ嫌いだった。そのせいで、わたしの家はお金がない。無駄遣いせずに、その分を自分たちに使えばいいのにって、いつもイライラしていた。

おばあちゃんとの最後の夜

月日も経ち、大好きなおじいちゃんは天国へ行ってしまった。わたしも大学生になり、実家を離れて一人暮らしを始めていた。

そんなある日、おばあちゃんも癌にかかってしまい、一緒に過ごせる時間がもう限られていると両親から聞いた。

わたしはできる限り一緒にいようと、急遽地元へ帰り、毎日つきっきりでおばあちゃんの看病をした。

ある夜おばあちゃんが、「一人になるのが寂しい。」と可愛らしく駄々をこねた。わたしは小さい頃よく一緒に寝たように、おばあちゃんのベッドに忍び込み、昔に戻ったような気持ちで、二人で天井を見上げながら話した。

 

「まほちゃん、今目の前にいる人に、そのときできる精一杯のことをせんといけんよ。そのときは気付かんかもしれんけど、その優しさは絶対違う形になって返ってくるけん。たとえ、返ってくる先が自分じゃなくてもね。無駄なことなんてないけんね。」

 

それが、おばあちゃんと話せた最後の会話だった。おばあちゃんはわたしが一番大切にしないといけないモノを残して、おじいちゃんの元へと旅立っていった。

 

野邉 まほろ
世界で一番大好きなおじいちゃんとおばあちゃん

 

「世界一のおせっかい」が残してくれたモノ

おばあちゃんの初盆の日、久しぶりに地元に帰ると、たくさんのおっちゃんたちが私たち孫の元にやってきた。

 

「こいからは、わしらでお前らを見てやらんといけんな。お前らは、じいさん、ばあさんの宝だったけんな。今までがいに、じいさんたちには世話になったけん、こいからやっと恩返ししていく番だと思っちょったに。死んでしまったら返せんじゃねえか・・。だけんな、せめて、せめて、お前らにおいしいもんいっぱい食わしてやっけんな。」

 

今でも、何かある度におっちゃんたちがアワビやサザエを持ってきてくれる。売ったらいいお金になるのに、いつも食べきれないほどの量。「俺らがしてきてもらったもんは、こんなもんじゃ返せんくらいだけん」って言って。

  

おばあちゃんがあの日言ってたことが、今になってよくわかる。今全部、わたしたちに返ってきてる。

4人姉妹のわたしたちは、地元の皆さんに育ててもらいました。

野邉まほろ

受け継がれていく、「ありがとう」

数年前、わたしは1人で5週間、ロサンゼルスへ旅行に行った。泊まらせてくれたのは、10年間仲良くしている家族たち。

毎日、これでもかとばかりにわたしに尽くしてくれた。休日は、サンフランシスコやラスベガス、ディズニーランドへの旅行。平日仕事がある日は、退屈にならないようにと、英語の先生を雇ってくれて、英語の勉強もさせてくれた。

  

また、その家族の友人たちが、交代でわたしを毎日遊びに連れて行ってくれた。気づけば50人以上の人のおかげで、予定が空いてる日は1日もなかった。

 

出会う人はほとんど初めての人ばかり。そんな人たちが、なぜかわたしに色んなものをギブしてくれる。そして口を揃えて言う。

 

「まほろが今泊まっているところの家族にはね、いつもとてもお世話になってるの。恩返ししたいと言っても、いつもいいからって言われちゃうのよ。今回、その人の頼みなんだから、まほろに喜んでもらえることが、私たちの唯一できる恩返しなのよ。」

  

5週間わたしは1円も払うことなく、帰国の日を迎えた。泊まっていた先の家族に、言葉にならない感謝を伝えると、

 

「伝える先が間違ってる。僕たちに言う必要はないから、帰ったら君の両親に、まずお礼を言いなさい。これは今まで君の両親が僕たちにしてくれたことの、ほんの一部にしかすぎない。君の両親は、とても偉大な人だ。」

 

お金の価値じゃない。その先には確実に、お金以上の「感謝」がつまっていた。

野邉 まほろ

野邉 まほろ
最終日にはお世話になったみんながお別れ会を開いてくれた。

おせっかい家族の一員へ

日本に帰ってきたある日のこと。たまたま乗っていた夜行バスで、隣に海外からのバックパッカーが座ってきた。

 

「どこいくの?」

「KYOTO!」

「わたし今、奈良に住んでるから、泊まりにおいでよ!」

 

何も考えなかった。自然に口からぽろっと出た提案だった。出会って5分で、「4泊5日の同居生活」は決まった。

 

言ってみたはいいものの、何をしてあげていいか分からなかったわたしは、すぐにお父さんに電話した。

 

「お金送ってやるから、いろんな所にごはん食べにいけよ。その浮いたごはん代で、1つでも多く日本を回って、色んな日本を知ってもらった方がいいだろ。」

 

わたしもちょっとずつ「汚染」されてきているけど、やっぱりこの人には敵わないな〜って思った瞬間だった。

野邉まほろ
ニュージーランドのバックパッカー。

「ありがとう」は「ありがとう」で返ってくる

 

テレビをつけると悲しいニュースばっかりで、人が人を中々信じれない今の時代。時には自分のしたことが裏切られた気がして、人に優しくすることに意味を見出せなくなるときもある。いかに目の前の人に勝つかってことで頭がいっぱいで、人を思いやる余裕がないときだって、もちろんある。

 

だけどわたしは、周りにいる人たちにいつも教えられてきた。誰かが感じた「ありがとう」は、いつもまた、次の「ありがとう」に繋がる。

  

それは、自分の目に見えないところで起きてるのかもしれない。でも絶対に、憎しみや恨みでだれかに繋がることはない。

 

「今目の前にいる人に、そのときできる精一杯のことをする」

   

それを忘れずに、毎日過ごしていきたいなって思う。きっとそれが、まただれかの「ありがとう」になることを願って。

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