「もう食べたくない。誰かわたしを止めて」 6年間の摂食障害を越えて、向き合った自分のカラダ

大学4年生になった春。「過食症」という摂食障害を6年抱えていた当時のわたしが、この病気と本気で向き合おうと決めた日だ。あの日から、ちょうど2年。今年の春、わたしは大学を卒業した。

友達との夕食を終え、電車で最寄駅まで帰る。駅中にあるコンビニへ駆け込み、目に入ったお弁当を片手にレジへと並ぶ。自然に目線はレジ横にあるケースへと移り、口が勝手に追加注文をしている。

近くの暗い駐車場を探し、誰にも見つからないよう車の陰に隠れ、手で弁当の具を自分の口へと押し込む。「もう食べたくない。誰かわたしを止めてほしい」そんな思いを無視して、過食したいという衝動と、溢れる涙は止まらない。

大学4年生になった春。「過食症」という摂食障害を6年抱えていた当時のわたしが、この病気と本気で向き合おうと決めた日だ。

あの日から、ちょうど2年。今年の春、わたしは大学を卒業した。

大学の卒業を誰よりも喜んでくれた母。

「できないんだ」と周りに思われるのが嫌だった

わたしは隠岐の島という小さな田舎の離島で育った。4人姉妹の3番目として生まれ、歳の近い姉妹の影響か、負けず嫌いで競争心も強かった。

「大和は国のまほろば」 名前の由来は古事記の歌

高校からは島を出て、県内トップの進学校へ入学。部活もすぐにレギュラー。毎日の勉強、部活、慣れない家事。できないことや、自分じゃどうにもできないことに直面することが多くなった。

それでも、「できないんだ」と周りに思われるのが嫌だったし、何よりできない自分がすごく悔しかった。だから歩みを止めることなく、もはや今まで以上の速さと気合いで、毎日に必死に食らいついた。

気持ちだけが前へ前へと進んでいき、気づいたときには心と体はついてきておらず、見えないくらい遠くの方で置いてけぼりになっていた。

次第に学校をサボるようになり、1日中家で過ごした。だけどどこかサボりきれないわたしもいて、頑張れない自分への苛立ちや、周りに置いていかれる焦りを感じていた。そして、その気持ちをかき消すために、やけ食いをして気を紛らわすようになった。

90錠の下剤を一度に飲むように

成長期と重なり、食べると一瞬で体重は増加。日に日に増えていく体重を見て、軽い気持ちで下剤に手を出した。下剤を飲めば数時間で増えた体重はリセットされる。とても感動した。食べたことへの罪悪感や苛立ちも、トイレへ一緒に流れていく気さえした。

体重の増減が激しい分、体重計に乗るのが楽しみになった。1日に何度も体重計に乗るため、少しの変動も気になりだし、ついにはコップ1杯の200gの水さえ飲めなくなった。半身浴で体重が減ると気づくと、体全身にラップをして何時間もお風呂に入ったりもした。

でも所詮体から水分が抜けただけ。食べ物を少し口にすると一気に体重は増える。また慌てて下剤を口にする。下剤を飲みリセットできると、また過食をする。そんな日々が続いた。もうすでにわたしの中で、過食や下剤の衝動をコントロールできなくなっていた。

下剤の数は増え続け、90錠の下剤を一度に飲むようになった。24時間腹痛は続き、トイレから出れない。下剤の痛みで気絶して、トイレの床で朝を迎えることも多くあった。だけどわたしはその痛みに、どこか安心していた。自分の体重が減っている合図だったから。

何もかもが、悪循環だった。だけどどうやってその流れを断ち切ればいいのか、わたしにはもうわからなかった。

「このままだと卒業できない」と突きつけられた現実

高校3年生の頃には、ほとんど学校へ行けなくなっていた。そしてついに、先生に呼ばれた。「このままだと卒業できない」と。急に現実を突きつけられた気がした。

友達、先生、そして家族。色んな人の顔が浮かんだ。このまま本当に終わっていいのか。ここで踏ん張らないと、一生やり直せるタイミングは来ないかもしれないと強く思った。

今まで自分を苦しめてきた負けず嫌いの性格に、初めて救われた瞬間だった。卒業したいという気持ちが、下剤を飲んでまで痩せたいという願望を超えた。

周りの人にたくさん支えられながら、少しずつ学校へいくようになった。下剤を完全に手離すことはできなかったが、定期的に訪れる激痛で、授業を抜け何度トイレへ駆け込んでも、卒業しようと学校には通い続けた。

笑顔で「ごちそうさま」と言える当たり前の毎日が戻る

大学を卒業したわたしは、過食症を完治している。下剤はこの5年間、一粒も飲んでいない。過食はこの2年間、一度もなかった。

治ったきっかけは?と聞かれると、いくつか思い当たることはある。好きな人ができたこと。大学に入学して新しい価値観を知ったこと。同世代の摂食障害の子たちと出会ったこと。服やお化粧に興味を持つようになって、体形以外にも自分の気持ちが向いたこと。

一つのきっかけで、急に治ったわけではない。高校1年生から大学4年生までの長い間、時には立ち止まったり、ふりだしに戻ったりもした。本当に、今のわたしでも想像できないほど苦しかった。

だけど今、わたしはちゃんと治っている。誰かと一緒に「おいしい」が共有できて、笑顔で「ごちそうさま」と言える当たり前の毎日が、わたしにも、ちゃんと訪れている。

食べることに苦しんだ分、食べることを楽しみたい。

「ありのままの自分を愛そう」。そんな言葉を聞く度に、なんて無茶な言葉なんだと、よく思っていた。もっと頭がよくなりたい、もっと可愛くなりたい、もっと痩せたい。その感情は、どうしても消えない。

今のわたしも、相変わらずダイエットはしている。街中を歩く細い女の人を見てはよく凹み、可愛い服があったって、試着して自分に落胆する。鏡で自分の顔を見て自然とため息が出るのも、高校生の頃から変わらない。

だけど、「今のわたし」から逃げたり、隠れたりはしない。過食症だったときは帰省の時に必ず下剤を飲み、予定の前日に過食をして体重が増えると、大事な用事でもキャンセルした。友人とのご飯が決まれば、数日間は絶食するのが当たり前だった。でも今は、「今の自分」に向き合い、人に会うことができている。

#ladiesbeopen を私なりに考えてみた

23歳の誕生日。今まで避けてきた「自分のカラダ」を見てみたいと初めて思い、友人たちに頼んでカメラの前に立った。

太くて短い足。浮腫みやすい大きな顔。平均サイズより随分太い腰回り。そして左肩には、今日まで誰にも言ってこなかった、たくさんの傷がある。だいぶ薄れているが、昔自分で切ったものだ。手首ではなく肩を選んだのは、わたしの昔から変わらない、小さな意地だった。

「理想のカラダ」からは遠くかけ離れた自分の写真を見て、わたしは思った。

------------ 悪くない。

あの部分が細かったら。あの部分を修正して隠せたら。もちろんそう思うところもたくさんある。だけど、今のわたしの「精一杯」がこれなんだということは、自分でも驚くくらいにすんなり受け入れることができた。

今まで、コンプレックスや劣等感という苦しみに耐えきれなくて、過食をし、下剤をひたすら掻き込んできた。でもこれからは、自分を傷つける行為で苦しみを消化させるのではなく、自分を変化させるための前向きなエネルギーに変えていける人になりたい。

そんな思いから、涙が流れていくと花やお化粧品、服に変わり、自分の体を彩る「お守り」へと変わっていく様子を絵で表現してもらった。

ペイント/吉田佳寿美(EMOGRA.inc) 写真/堀晃(写真家)

わたしが認めてあげるべきなのは、「摂食障害であること」じゃない。オープンにしないといけないのは、「摂食障害であること」じゃない。わたしが摂食障害であることを開き直っちゃ、前には進めなかったと思う。

わたしが認めなきゃいけないのは、摂食障害になってまで隠したかった自分の自信の無さや不安、寂しさ、そして劣等感をもつ「自分自身」なんだと思う。わたしがオープンにすべきなのは、摂食障害になってまで隠したかった自分の「コンプレックス」や、コントロールできず完璧にならなかった「自分自身」なんだと思う。

自分をオープンにすることは結構勇気がいる。もしかすると傷つくかもしれない。後悔するかもしれない。周りから見たらカッコ悪く見えるときだってあるかもしれない。

だけどわたしはもっと強くなりたいから、変わりたいから、これからも今の自分から目を背けず、オープンにしていきたい。

これが、今のわたし。今の自分に、満足はしてない。でも、嫌いじゃない。今なら胸を張って、そう言える。