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遠藤真美 Headshot

158センチ、28キロ。違う、私が欲しかったのはこんなカラダじゃなかった。

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158センチ、50キロ。決して太っていたわけではない。

でも私は摂食障害になった。
 
japan autumn leaves fall
 
始まりは中学3年生の秋だった。私は追い込まれていた。
 
周りが次々と受験モードに入っていく中、勉強に身が入らない。でも周囲は真剣そのものだった。特に成績が悪かったわけではないが、周りと自分の温度差に自信を無くしていた。
 
そんな時、仲の良い友人がダイエットを始めた。毎日体重に一喜一憂している友人はどことなく楽しそうで、ほんのりやせた彼女はかわいく思えた。

「やせれば何か変わるかもしれない」。

そう思った私も「暇つぶし」程度にダイエットを始めることにした。
 
最初は晩ごはんのおかわりをやめた。
次は給食を減らし、おやつも食べなくなった。
「気持ち悪くなるから」と言って朝食を抜いた。
 
「食事が足りないと集中力がなくなる」ということは知っていたが、当時の私は真逆の状態だった。ご飯を減らせば減らすほど受験勉強への集中力は増した。激しい運動をしても平気だった。

47キロ、44キロ。何の違和感もないまま、体重だけがするすると落ちていった。
 
weight scale

やせてる=褒められる♡ →認められた!

 
思春期の女の子の間での、「やせてるね」は褒め言葉だ。

40キロ前後になると、友達や周囲の人々からよく声をかけられるようになった。自分の体つきが変わっていくことに興味はなかったが、やせていることで周りから一目置かれたような、認められたような気がして嬉しくなった。

「やせていることって、こんなに価値のあることなんだ」。

周囲の好反応に戸惑いや違和感もあったが、褒められることでなくしていた自信が取り戻せるような気がした。ご飯を減らし、「頑張った」成果が体重計の数字として表れる毎日。他人からも注目される。

承認欲求を満たす単純なゲームに、私はとことんハマっていった。

playing video games hand woman
 
体重が35キロを切ったあたりから、私は感情のコントロールができなくなっていた。笑っていたかと思えば突然怒りが沸き、そんな自分に悲しくなって急に泣き出したりしていた。

その後、何とか受験は乗り越えたものの、学校には行く気が起きず休みがちになった。精神安定剤のように効いていた音楽もうるさくて聞けなくなった。趣味にも友人からの誘いにも全く心が動かない。そのころの

そのころの私は毎日椅子に座り、ぼうっと過ごしていた。

体重は30キロを切りつつあった。

「ちょっと待って。これは違う」

 
「何かが違う」。そう自覚したのは病院のベッドの上だった。

体重が30キロを切ると突然死のリスクが高まるため、強制入院となる。ある朝28キロを更新した私は、病院で点滴を差し込まれ、カロリーを消費させないため寝たきりを言い渡された。
 
「私がなりたかったのはこれか?」
 
点滴の管に繋がれた細すぎる腕を見て疑問に思った。

「変わりたい」。そう願って始めたダイエット。

でも、手に入れたのは自力で食事も排泄もできない体と、好きなことにも好きな人たちにも興味のわかなくなったからっぽの心だけだった。私に振り回されて家族はめちゃめちゃ。友人たちも離れていった。

私が欲しかったのはこんなカラダじゃない。


私が本当に欲しかったのは「自信」で、私が変えたかったのは周りの雰囲気に飲み込まれ、納得感のないまま流されていく自分や、自身の考えを口に出し行動する勇気のない自分だった。

だからどれだけやせても全然満足できなかったのだ。
 
でも、周りにいくら体を褒められても、体重が20キロ減っても入院しても、本当に変えたかった部分は全く変わっていなかった。

あれ。どうして。こんなはずじゃなかった。
 
「治そう」。

落ちていく点滴の雫を見ながらはっきりと決意した。
 
intravenous drip

誰も私を理解できない

 
「うわぁ。きっも」
 
入院生活を終え、高校に入学した私は「異様な体の持ち主」として生徒や先生の間で一躍有名になった。すれ違うたびに向けられるぎょっとした視線や、耳打ちされる嘲笑の言葉。
 
「まだやせたいんでしょ?」カウンセラーからはそう繰り返された。
 
あなたは拒食症。あなたは過度な「やせ」を助長する社会で踊らされた哀れな少女。それで決まり。どの病院に行っても、どのカウンセリングを受けても、摂食障害お決まりのフレームワークにあてはめられた。
 
ありとあらゆる検査を受けても体に全く異常がなかったのだから仕方がないのかもしれない。「それは違う」と言い返すこともできたけれど、診察のために3時間待った後では口を開くのも面倒だった。
 
元の健康な体に戻すために食事をするということは、「承認」されてきた体を手放すということだ。自分で治そうと決めたのに、周囲からも気持ち悪いといわれているのに、今まで安心感を与えてくれた体をなくしていくのは恐怖でしかなかった。
 
食事の時間が苦痛で仕方なかった。体の「承認」を自ら削り落とす行為に、罪悪感で泣いた。

「あなたのことがわからない」母親に泣かれた。 
「お前はもう治ったんだ、いいかげんにしろ」父親に怒鳴られた。 
弟は口をきいてくれなくなった。
 
でも、私が今何を思っているかなんて、言えるわけがない。
 
治療の間、私はひとりぼっちで、果てしなく孤独だった。

どうしようもない自分と向き合うこと

 

body image

今、全国で摂食障害を患っている人は2.6万人ほどいる
ひとえに摂食障害といっても症状は様々で、拒食症、過食症、過食嘔吐、拒食症から過食、過食嘔吐へと移行する人などのパターンがある。

きっかけがダイエットだという患者が多いことから、摂食障害の理由は「やせ称賛」の社会のせいだと分析されている。

しかし、本当にそれだけなのだろうか。
 
キツくて辛くて吐きそうになりながらぐちゃぐちゃの毎日を過ごすうちに、気付いたことがある。
 
私は摂食障害になる前から、自分と向き合うことが怖かった。
 
人に流されて、人を傷つけて、ずるくて、わがままで...。嫌な部分をいっぱい持った今の自分がたまらなく気持ち悪かった。人と比べて劣っている自分が嫌いだった。
 
だから無理矢理やせて自分をいじめ、少しでも人から褒められることで本質を直視することから逃げていた。そんな自分に「自信」なんて持てない。だから、嫌いな自分を「好き」といってくれる人たちのことも信じられなかった。
 
ダメな部分も含めて自分だ。そう思えた瞬間、ラクになった。自分を縛っていた何かから解放された気がした。私には嫌なところがいっぱいある、でもとりあえずはそれでいいのだ。

playing video games hand woman

 
人は見た目であなたを判断する。でもあなたは見た目だけがすべてじゃない。それをわかってあげられるのは自分しかいない。
 
私が摂食障害になってから「完治」とよべる状態になるまで4年以上かかった。毎日「生きるか死ぬかやせるか」といったことしか考えてこなかった私が、その後大学に入学し、卒業して就職までできているのは奇跡に近いと思う。
 
ただ、症状は完治しても後遺症は確実に残っている。長期にわたる栄養失調のせいで私には自然な月経がない。女性ホルモンのバランスが悪く不安定になりやすい。脳が委縮し演算機能にも軽度の障害が出ている。正直、後悔しかない。
 
だから、摂食障害やダイエットに悩みながらこれを読んでいる人がいたら、一度考えてみてほしいのだ。

何のためにカラダを変えたの? カラダを変えたら、あなたは満たされるの?

◇◇◇6月2日は世界摂食障害の日です◇◇◇

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