【スペイン・サンティアゴ巡礼】彼らはウサギで僕らはカメで

僕は彼女の意地を理解すべきだけど、彼女も僕の助力を受け入れるべきだ。僕たちはもうちょっとお互いについて学ぶ必要がありそうだ。

世界でもっとも有名な巡礼地のひとつである、スペイン北西部のキリスト教の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラ。

日本人女性と結婚し、ハネムーン代わりにそのサンティアゴを目指して巡礼路を歩くことにした、ドイツ人のマンフレッド・シュテルツ氏の手記をお届けしています。

30km超を歩いたこの日。「ウサギとカメ」のエピソードや妻との口論など、思うところの多い一日となったようです。

12th day 〈Villafranca Montes de Oca → Villafria, 30.6km〉

時の流れを感じる。起きて、歩いて、休憩をして、また歩いて、アルベルゲ*に入り、シャワーを浴びて、洗濯をして、夕食を食べて、寝る。そんな旅の日々が、もはやルーティン以上の習慣になってきた。

*サンティアゴ巡礼者用の宿

今朝は贅沢をして、8€もするホテルの朝食を食べた。同じテーブルに座ったのは3人の韓国人男性で、彼らはパリからバルセロナまで、2ヵ月の自転車旅の最中だという。韓国の食材や炊飯器(!)まで持ってきたとかで、彼らの荷物は実に重そうだった。

朝食を食べ終えると、僕と妻は荷物を整え朝焼けのなかを歩き始めた。

きついのぼり道をしばらく行くと、見晴らしのよい場所に出た。続く森のなかを通り抜けると、以降の2週間で最も高度のあるという標高1165mのペドラハ峠(Alto de la Pedraja)に至った。

またしばらくアップダウンの続く道を行くと村が見えてきたので、バルで少し休憩を取ることにした。

と、同じバルで休憩中だった高齢のカップルが話しかけてきて、女性のほうが「どこからきたの?」「どこまで行くの?」「仕事はなにをしているの?」と矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。僕たちが今日はカルデニュエラ・リオピコ(Cardenuela Riopico)まで行く予定だと話すと、「ここに滞在すべきよ!」なんて言ってくる。聞けば、今日はここで村祭りが開かれるのだという。いやいや、まだ10時だし、それに僕たちはお祭りって気分でもない。

彼らに別れを告げ、僕たちは巡礼路に戻った。きっとその村祭りに参加するのだろう、向こうからやって来た、ちょっと着飾った地元の人たちと何度もすれ違った。

僕たちは順調に進み、アタプエルカ(Atapuerca)という、80万年前の人類の骨が発見されたという小さな町を通る。

アメリカ人のグループが後ろからハイスピードで歩いてきて、僕たちを追い越す。うちのひとりはホテルで一緒だったジムだ。僕たちの目的地に到着しようかというころ、遠く前方を歩いていたそのグループが突然"レース"をはじめ、ジムはついにバックパックを揺らして走り出した。信じられない、なんて元気なんだ。

でも僕たちはそれを見て思わず笑ってしまった。なぜなら、彼らに追い抜かれたときに妻が日本で有名だという「ウサギとカメ」の話をしてくれていたからだ。案の定、少し先のバルで彼らはすっかりばてて、炭酸飲料を飲みながら休憩をしていた。

片や"カメ"な僕たちは、ここまでにすでに25kmを歩いてきていたけど、ガイドブックにもう2km先の町にもホテルがあると書いてあったので、もう少しだけ頑張ることにした。

しかし、その町に着いてもホテルらしきものは見当たらず、ガイドブックの情報が古かったのか、間違っていたのか、町の人に尋ねても「ここに泊まる場所はないよ!」と言うだけ。どっと疲れが出て、妻はすっかりご機嫌ナナメになってしまった。

同じ道を2km戻ることを僕は提案したけど、彼女は戻るのは嫌だと言う。しかし、さらに先の町ビジャフリア(Villafria)までの4kmは、産業地帯を行かなくてはならない。僕は彼女に、バックパックを持ってあげるから、少し遠回りして気持ちのいい道を歩いて行こうと提案したが、彼女はがんとして譲らない。

うーんなんで? 4kmの味気ない道を行くより、2km戻るか、バックパックなしの気持ちのいい道を行くほうがいいに決まってるのに......。分かれ道で僕は再度説得を試みたが、失敗。

結局僕のほうが折れ、なんとも醜悪な道を歩くことになった。ハァ。ちょっとよくないムードのまま、1時間弱ほど歩くとそのビジャフリアに到着した。

建物はほとんどが空き家に見えたが、2軒目に訪ねたホテルでなんとか部屋を確保することができた。いかにも郊外のさびれたホテルで、ほかの旅人たちの姿もなかったけれど、僕たちはもうくたびれ果てていた。40€だと言われたが、かまわない。今日はいびきなしの個室でぐっすり寝てやるんだ!

部屋は暖かく、思ったほど悪くはなかった。僕たちはシャワーを浴びて、周囲をちょっと偵察しに出たが、営業しているのか不明なストリップクラブがあるほかは、めぼしいものはなにもなかった。人気のない大通りでは、信号だけがひとり働いている。

僕たちはホテルに戻って、食堂で長いことガラスケースに放置されていたジャンクフードを食べた。食事中、再び今日の意見の相違についての"議論"になった。

僕たちはいまやふたりでひとつで、僕の問題は彼女の問題だし、彼女の問題は僕の問題だ。僕が彼女の荷物を少し持てば、僕たちはもっと先まではやく進める。

でも彼女は自分の荷物は自分で持ちたいのだと言い張る。それは理解できるけど、僕たちはもうチームなのに! 僕は彼女の意地を理解すべきだけど、彼女も僕の助力を受け入れるべきだ。

僕たちはもうちょっとお互いについて学ぶ必要がありそうだ。

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※この手記は、妻で編集者の溝口シュテルツ真帆が翻訳したものです。妻の手記はnoteで公開しています。