「もっと外の世界に出たかった」#だからひとりが好き をみて、暗黒の中高時代を振り返ってみた

土日は、気づいたらSkype英会話のエミリー先生と30分しか会話していませんでした。

先週の土日は、気づいたらSkype英会話のエミリー先生と30分しか会話していませんでした。外に出る分、内にこもる時間も同じくらい大事だとバランスを取るようになった結果、海外では引きこもったりひとりでいることが断然多くなりました。

そんな背景もあって、最近ハフポストで特集されている #だからひとりが好き が好きでよく読んでいるのですが、ネット高校"N高"の話が面白すぎて!もし高校生の時にあったら、参加したかったなーーー。

ヴァーチャル映像で行う入学式の写真とか、圧巻すぎる。今年は2002名が入学したのですが、絶対ユニークな人たちがいそう。中高時代に、こんな風にもっと外の世界に出たかった。

記事に書かれているけれど、辛かったら逃げるのも勇気、私もそう思う。こんな風に選択肢が出てきてるのだから、ぜひ必要な人にこういった情報が届いてほしいと思うばかりです。

『しがらみを一旦、全部リセット』ネット高校"N高"が目指す『ひとりを重んじる教育』とは?

今回のハフポストの特集には本当に共感していて、この気持ちを書き留めておこうと思って以下綴りました。

中学卒業した直後。他の写真も同じような、前をジッと見据えたような目つきをしている。

私は中高と、クラスの中にあったスクールカーストが本当に嫌で、こんな狭い世界の中で一生過ごさないといけないのかと、人生にかなり絶望していた。30人そこらの小さなクラスの中で、しかもその半分にあたる女子の中でグループというものができることの息苦しさに、いつも呼吸困難になりそうな気分だった。

「ひとりで行動する」という選択肢は当時の私にはなく、いつもどこかのグループに所属していた。高校1年生になりたての時に、他のグループの子と仲良く話をしていたら、「はまちゃんて本当に八方美人だよね!!」と言われてビックリした。なんでそんなことで咎められないといけないのか、本当にわけがわからなかった。

中学生の時の記憶は、つまらなすぎてほとんど記憶に残っていない。私は吹奏楽部に所属していて、そこで学年でひとりだけ担当するチューバを吹いていた。だから、朝練、午後練とひとりで音楽室のはじっこの廊下で延々と吹いていた記憶がある。ひとりで練習できるのは、居心地が良かった。グループでいなくちゃいけない場所で、堂々と好きにできる場所、それは特別だった。

高校入学してすぐに参加した、中学の部活の演奏会で。チューバはひとりしかいないパートだったから、気が楽だった。

高校生の時はとことんスクールカーストにぶつかって辛かった。休み時間になると、同じグループのリーダー格の机の周りに集まって、たわいもない話をする。放課後になると同じグループで集まってカラオケをして、プリクラを撮って友情を確かめ合う。それをしなかったら、グループから外れてしまう。そのことは、この世の終わりを意味していた。

当時の私は、可愛くてスタイルが良くて、メイクの上手なギャルっぽい女の子が羨ましくてしょうがなかった。なれないことはわかっていたけれど、そういう"イケてる雰囲気"に何よりも価値があったのだ。その評価軸がすべてだったから、そういう女の子と一緒にいるだけでも、自分の評価が上がると信じていた。今考えると、「そんなわけないだろ!」と思うけど、当時はそれでも必死だったのだから、しょうがない。

高校生1年次の文化祭。高校に入学してからメイクをスルように。"イケてる"感じになりたくて必死だった。

学校のクラスの中だけがすべてだったあの頃は、カーストの中で浮かないように、演じてすらいたような気がする。でも、そんなの居心地がいいはずもなく、「早くここから出たい」とばかり考えていた。一刻も早く学校から出たくて、高校時代は部活もせず、授業が終わると一目散で家に帰った。自称「ホームルームが終わると一番に帰る女」だった。

友達からいじめられてはいなかったし、みんないい子たちだった。一緒に遊んだ楽しい思い出もある。けれども、私はスクールカーストという制度が、とにかく嫌で嫌でしょうがなかったのだ。

今振り返ると、もっと学校以外の場所に行けば良かったのに、と思う。そうしていたら、この思い込みの世界から抜け出して、グループに所属しなくてもいい、ひとりでもいい、と思えていたかもしれない。でも、携帯を使い始めたのが高校生くらいで、パソコンなんて全くしていなかったので、この世界がすべてだと思っていた。他の選択肢なんて考えたこともなかった。

そんな私にとって安心できる場所は、本の世界だった。図書館の中でゆっくり本を探したり、両腕にめいっぱい本を抱えて、家に持って帰ってひとり読みふけるあの時間が至福だった。図書館にいる時だけは、自由な身になった気がした。かばんの中はいつも本でぎゅうぎゅうで、投げつけたら軽く怪我をしそうなくらい武器化していた。

本の中の言葉やストーリー、著者に救われたことは数え切れないほどある。こんな風に、ひとつでも私に開いてくれる外の世界があったことは幸運だったなと思う。中高時代を「暗黒の6年間だった」と冗談で言うことがあるのだけど、そんな時代を生き抜けたのは、本という相棒がいたからだ。

私が今、インタビューやメディアでの発信を通じて「多様性」を伝えたいのは、これらが土台になっている。「いろんな人がいていいじゃないか」「やりたいことをやればいいじゃないか」「ひとりでもいいじゃないか」。大人になって、そう自信を持って言えるようになった今の自分は、あの時よりもずっと生きやすくなった。

現在住んでいるタイの寺院で。ふらっとひとりで寺院に行くことも。

ひとりの時間を楽しめるようになったら、誰かと一緒にいる時間のことも、自然と楽しめるようになった。なんだか逆説的だけど、私にとっては嬉しい発見で、今では自分でイベントを企画することも、好きなことのひとつである。時々信じられないけれど。

グループに属することに囚われて、自分を押し込めていたあの頃の私はもういない。頑張ったね私! よくここまで来たね! と褒めてあげたい。今は、行きたい場所に、好きなように、自分の意志で向かっていける。それがとっても気持ち良い。