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ムコ多糖症の症状は出ているのに...

2014年01月15日 20時13分 JST | 更新 2014年03月17日 18時12分 JST

現在中学3年生の私の長男、耀は進行性の難病「ムコ多糖症」を持って生まれてきました。今回は耀が1歳のお誕生日の時に受けた手術についてお話したいと思います。

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私は自動車販売会社で長年勤務していました。当時の職場は男社会で、男性スタッフと肩を並べて土日も関係なく働いていました。そのうち会社も女性スタッフを採用するようになり、私は女性も結婚して子どもが出来ても働きやすいような会社になればと願うようになっていました。そうなるにはまず産休や育児休暇を取り、しっかりと復帰する女性社員がいるという前例があることが大切と、とにかく一生懸命仕事に取り組みました。

ありがたいことにお客様は私の育児休暇を応援して下さり、仕事復帰を待って車を乗り替えてくださるなどのエピソードなどがいくつもあります。もちろんこれは同じ職場の上司とスタッフのみなさんの協力あってこそのことです。

そんな私の日常を支えてくれたのは職場結婚をした夫でした。子どもが出来た時には特別な教育方針など話すことなく「家族みんなが大きな病気やけがをしないで笑顔で生活できることが幸せ」と思っていました。平凡ながらも楽しく過ごせる家庭、それがわが家の『理想』でした。

夫は整備士で残業も多かったですが朝は海里と耀を保育所へ送っていき、私は仕事の後処理をして大急ぎで向かって保育所の終了時間7時ぎりぎりのお迎えです。保育所は布おむつ限定でしたので、二人分の着替えとあわさった山のような洗濯物を持ち帰り、大急ぎで食事を作り、おなかペコペコの海里と耀と一緒に食事を取ります。洗濯機をフル回転させながら二人をお風呂に入れて寝かせる毎日。そんな忙しい毎日であっても私たち夫婦は何とか助けあいながら、子どもたちも健やかに成長していると思っていました。

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耀の1歳のお誕生日がもうすぐというある日、オムツを替えていて気が付く事がありました。ベテランのかかりつけの先生に診察していただくと、

「良く気付いたねぇ、これは鼠径ヘルニアなので手術しないといけない」

とのこと。医師のところへ行ったときには症状は改善されているように見えましたが、放っておくと良くないとのことで、耀が生まれた市立病院で手術を受けることになりました。

 

耀は嬉しいはずの1歳のお誕生日に入院、その翌日に手術を受けました。手術室に運ばれる耀は私と離れるのが嫌で嫌で、

「ママ~!ママ~!」

と叫び続け、その泣き叫ぶ声は閉ざされた手術室のドア越しにも十分に聞こえていました。

よくある手術とは聞いてはいましたが、心配でたまらない私は耀が泣きすぎてどうにかなってしまうのではないだろうかという不安と、手術室に一緒について居てあげられない辛さでいっぱいでした。

――こんなに心配な気持ちでわが子と離れるのはもう二度とごめんだ。

予定の時間より少し遅れたものの、手術は成功しました。手術室から出てきた耀は麻酔が効いていてまだ眠っていましたが、頭は汗でビショビショ、目の周りは涙の跡がハッキリと残っています。

「ママと離れて恐かったね、よく頑張ったね、もう大丈夫だからね、ママがず~っと一緒についてるからね」

耀は全身麻酔で手術を受けました。全身麻酔は酸素チューブを口から喉の奥に挿入して、麻酔装置から酸素と麻酔ガスを吹き込みます。手術室から最後に出て来た麻酔担当の先生はハッキリと私に念を押すように話してこられました。

「耀くんの気管は狭いですねぇ。本当に狭いですねぇ。気管挿管が大変でした」

この言葉は、今も市立病院のカルテに特記事項として記載されています。

生まれた時から体が硬く、鼠径ヘルニアになり、気管が狭い、これはまさに「先天性代謝異常症ムコ多糖症Ⅱ型」の症状です。これだけ兆候が出ているにもかかわらず、病院の医師が気づかない難病 ムコ多糖症。日本に300人しかいない超稀少難病だからなのでしょうか?

母親の私は何かおかしい!と生まれた時から気づいているにもかかわらず、耀が抱えているムコ多糖症に1歳のお誕生日になってもたどり着いてあげることが出来ません。

命にかかわる進行性の難病なのに。

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