中井まり

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阪神淡路大震災の直後に生まれた長女

投稿日: 2013年12月20日 19時44分

現在中学3年生の私の長男、耀は進行性の難病「ムコ多糖症」を持って生まれてきました。そしてわが家には耀の前に第一子となる長女がいます。その出産の時のことに少し触れたいと思います。
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母親である私は健康優良児と呼ばれるくらい元気に成長してきました。風邪や発熱で学校を休む妹や友だちをうらやましいと思うほど病気とは無縁で、学生時代はバレーボール部に所属し汗をかく毎日を過ごしました。ですから長女を妊娠した時も、自動車販売会社で営業スタッフとして働いていた私は、お客様から出産の前日まで仕事をしていたというエピソードを聞き、自分も同じように出来るものと信じて疑いませんでした。仕事中もお腹の中の赤ちゃんに話しかける、何とも幸せな毎日です。

ところが妊娠8か月のこと、事務所で出血し慌てて病院ヘ行くと切迫早産と診断され緊急入院。いくら健康であっても妊娠は特別のものであることを思い知らされました。

お腹の中のわが子に本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで点滴の管につながれ、病室から一歩も出られない毎日を過ごしました(切迫早産は、耀の妊娠の時も同じよう入院生活を送り耀の場合は34週で早産となりました。この入院中にお腹の中の赤ちゃんを懸命に守っていても、その命を見送ることになってしまった悲しいママの存在を知りました)。

帰宅を許されても安静を言い渡されました。仕事大好きでいつも飛び回っていた私には修行のような毎日ですが、お腹の中のわが子の命には代えられません。母親教室にも通えず、一番受けたかった出産の際の呼吸法の講座も欠席です。生まれてくる子どもの名前を考えながらなるべく楽しく過ごすように心がけました。同じ頃、大雨で大阪空港が水没し、豊中にある私の実家も床下浸水の被害に遭いました。

年が明け、出産予定日が近づきようやく穏やかな毎日を過ごせるようになっていた1月17日夜明け前、遠くから大型トレーラーが暴走してくるような地響きに目が覚め、とっさにお腹を抱えて布団にもぐりこみました。アパートに容赦なく次々と激突しているような衝撃。部屋中の物が右に左に上に下にけたたましく音を立て続けました。阪神淡路大震災です。

外が白み始めた頃、夫が外の様子をうかがっていたら
「中井さん、奥さん大丈夫ですか~?」
とベランダ越しにアパート2階の旦那さんが臨月の私を心配して声をかけて下さいました。ご自分の部屋も大変なことになっていたでしょうに、本当にありがたいことです。

この日は一人で家にいてはならないと、タクシーで豊中の実家へ向かいました。途中、神戸方面が見えるお気に入りの高台を通るのですが、その日の景色は見たこともない白い靄のようなものに包まれていました。大渋滞でいよいよ進まなくなったタクシーを降り、歩いて実家へ到着するとそこは自宅よりもはるかに大変なことになっていました。建物こそ潰れていませんが、家の中はぐちゃぐちゃ。けが人がいなかったことが嘘のようです。

それから11日後、予定日通りに長女は生まれてくれました。出産した市立病院には震災で病院が倒壊した西宮や神戸からのママたちと病室をシェアして、大変な状況の中、子どもたちが無事に生まれてくれたことを喜び合い大人数で賑やかに過ごしました。

このような経験から、3年経っていましたが耀の妊娠が分かった時は早めに仕事の休みを取る段取りをして、万が一のことを考えて小児科のある大きな病院で出産しなければと考え、ちょうど実家の近くに新しく移転してきた市立病院に掛かることが出来、万全の準備をして臨みました。

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さて話は戻り、NICU(新生児集中治療室)に耀を残し、先に私が退院することになりました。親子の間を裂かれるような、後ろ髪をひかれるような辛い気持ちでしたが、耀ががんばってるんだから私もやらなくっちゃと、母乳を搾乳して冷凍し病院へ届ける毎日が始まりました。日に日に耀につながっていた管は少なくなり、看護師さん指導の下、自分の手で沐浴もさせてもらえるようになり、生後15日で耀も退院できることになりました。

やれやれと思っていた矢先、生後間もなく受けていた先天性代謝異常等検査で『再検査』となっていることを告げられます。

 

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