安全な無痛分娩の普及を願って

漠然としたリスクの説明だけではなく、このようなデータを提示されて始めて、それぞれの妊婦さんが無痛分娩を希望するかどうか判断できるのではないだろうか。

今年4月に無痛分娩に関する緊急提言が発表され、以降、無痛分娩での事故に関するニュースを目にするようになった。7月21日に配信された、前田裕斗先生のMRIC『今こそ無痛分娩普及のために議論を―無痛分娩への緊急提言の誤解と変容--』を読み、共感すると同時に、麻酔科医として思うところがあったので投稿する。

麻酔科医である私は、昨年はじめての子どもを妊娠し、里帰り先の東京で出産する病院を探していた。いわゆるセレブ産院に全く興味が無かったといえば嘘になるし、産婦人科医の友人には「リスクが特にないなら、年齢を考えても、好きな病院を選んでいいと思う」と言われた。

しかし健診のために毎週通院したり、陣痛発来して一人で病院へ向かうことを考えると、できるだけ家に近いほうがよい。それに、医療に絶対はない。お産だって同じだ。どんなにリスクが少なくても、万が一のことを考えると、やはりNICUがある総合病院にしようと思うようになった。

そしてもう一つ、考えていたのは無痛分娩だ。痛みは少ない方がいいし、いつも患者さんに実施している硬膜外麻酔を体験してみたかった。

しかし、どうやら無痛分娩だと陣痛促進剤を用いた計画分娩になる施設もあるようだ。そうではなくて、陣痛発来してから処置をしてくれる施設がないか、と知り合いに聞いてみると、あまりに少ないことに驚いた。

順天堂医院や成育医療センターなど、都内でも非常に限られた数しかない。結局、無痛分娩はあきらめて家から近い総合病院で出産し、幸いにも安産だった。

麻酔科医として思うのは、産婦人科医が一人で外来と分娩、さらに麻酔を担うのはかなり大変だろうということだ。手術の場面で麻酔を実施したら、患者さんの様子や血圧、脈拍などを監視していなくてはいけない。

しかし経膣分娩の場合、手術室で使用するようなモニターを全て使うわけではないだろう。また、手術室であれば当然すぐに使える物品が、分娩室でもすぐ手に入るわけではない。点滴ルートは確保しているかもしれないが、すぐに薬剤を投与できるよう準備しているわけではないところが大半だろう。

麻酔の資格を義務付けようという意見もあるが、私はあまり賛成しない。無痛分娩は痛みをとることも大事だが、妊婦さんが全くいきめない状態になっては困るので、薬剤の投与量やタイミングなどに経験が必要だと聞く。麻酔科医であれば硬膜外麻酔のカテーテルを入れるのはほぼ誰でもできると思うが、麻酔科医なら誰でも無痛分娩を担当できるわけではない。

産婦人科医でも麻酔科医でも構わないが、とにかく無痛分娩の経験を積んでいることが大切だ。しかし、中規模以上の施設で無痛分娩を取り扱っているところは少なく、そもそもトレーニングできる施設自体が少ないのが現状だ。

ほとんどの妊婦さんは出産は安全だと思っているし、出産施設を選ぶに当たっては、家から通いやすいとか、先生が優しい・施設がきれい・食事が美味しい・マッサージサービスがついているなど多くの基準が存在する。何が安全だと思うかもそれぞれの価値観によって異なり、極端に安全性だけを考えるなら、大規模施設以外での出産が不可能になってしまう。

日本では無痛分娩が「無くてもなんとかなる」オプションであるからこそ、医療提供側がより一層慎重にリスクとベネフィットを判断するべきだ。

しかしそういった自己規制が働かない場合、どうするのが良いだろう。私は医師不足地域で勤務しているが、医療資源の少なさを身にしみて感じる。学会に行くと、大学病院勤務の有名な先生が、安全のために〜しなくてはいけない、と理想論を語ることがあるが、そんなことを言われたら業務ができなくなってしまう。

一定の施設基準を達成していないと無痛分娩をやってはいけないなどとすると、そういう基準を考えるのはたいてい大病院の先生なので、医師不足地域の妊婦さんの選択肢を必要以上に狭める可能性がある。

重要なのは、情報公開だ。例えば順天堂医院は無痛分娩に関するかなり詳細な説明パンフレットを作成しており、インターネットでも閲覧可能だ。無痛分娩の61%が子宮収縮薬を要し、42%が鉗子分娩となっているという。

漠然としたリスクの説明だけではなく、このようなデータを提示されて始めて、それぞれの妊婦さんが無痛分娩を希望するかどうか判断できるのではないだろうか。

積極的な情報公開とともに、安全な無痛分娩が日本で普及することを心から願っている。

参考:『順天堂医院での無痛分娩についてのQ&A』

(2017年8月15日「MRIC by 医療ガバナンス」より転載)

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