トランプ次期大統領は、日米関係を建て直すための絶好のチャンスとなる

大人同士の関係も、国と国の関係もさほど変わりはない。
Republican presidential nominee Donald Trump appears at campaign rally in Grand Rapids, Michigan U.S. October 31 2016. REUTERS/Carlo Allegri
Republican presidential nominee Donald Trump appears at campaign rally in Grand Rapids, Michigan U.S. October 31 2016. REUTERS/Carlo Allegri
Carlo Allegri / Reuters

「マクドナルド」という言葉の発音が難しすぎて、結局「マック」という愛称で落ち着いた国では、ドナルド・トランプは幸運な存在だ。彼のラストネームは日本人にとって最も発音しやすく、日本人がイギリス英語から拝借して使っている最も親しみやすい和製英語「トランプ(英語ではplaying cards-プレイングカード)」だからだ。多くの日本人にとってこの言葉は子供の時から身近なもので、実質的に日本語の単語と言える。日本で育ったアメリカ人の私は、この単語をよく耳にした。私は、生まれてから18年間のほとんどを日本で過ごし、アメリカという国や大統領を日本人の観点から見てきた。日米関係を観察する多くの外交専門家は、トランプ次期政権の日本に対する影響の見通しを危惧しているが、私には好機に思える。

これまでずっと、私は何度もトランプ氏が大統領になる可能性があり、有力だとも書いてきた。私は、政府官僚を含むたくさんの日本の友人にその情報を共有した。アメリカ人の友人たちは、私をただのクレイジーな奴だと思っていたが、日本の友人たちは、そんなことが本当に起こるはずはないと、ただ唖然としていた。首相の孫が現首相というこの国では、トランプのようなポップカルチャーの立役者が大統領に選ばれるなどとは思いもよらないのだ。私は日本人に、トランプは日本人でいうなら、ここ35年間の日本テレビ界の人気者、タモリみたいな感じだと説明した。そしてそのトランプが、彼の政策には反対している人の票までも集めるのではないか、その理由は彼の型破りなメッセージと親しみやすさ、そしてセレブ文化という時代背景があると説明した。選挙が終わってから私の予測を覚えてくれていた日本人の友人たちから数件のメールが届いた。その内容は、恐怖と驚きが混ざったものでこれからどうなるのだろうという疑問だった。

私はこの疑問について、ここ何年かの間、私が務めたいろいろな立場で考える機会に恵まれた。その中で私は、一方の側からもう一方の側へ説明をするということが多かった。1990年代、私はFM横浜とTOKYO FM向けにアメリカから連日報道していた。また、ドキュメンタリーをプロデュースしたり、日本の主要メディア、NHKテレビネットワークの番組の司会をしたりした。私の番組の企画意図は日本人が英語を学べることだったが、私は視聴者にアメリカの魂が垣間見えるような窓を提供したかった。どちらの国でも、メディアによって覆い隠されることが多い窓だ。両国のメディアともニューヨーク、ロサンゼルス、大阪、東京といった場所で人々が何に興味を持っているのかを報道する傾向にあり、それぞれの国のその他の部分は反映されていなかった。私はこれまで、ラリー・キング、ジェイ・レノ、チャールトン・ヘストン、スヌーピーの生みの親、チャールズ・シュルツや日本歴史研究家のチャーマーズ・ジョンソンなど、著名人のインタビューをしてきたが、農家、牧師、都市計画立案者や消防士たちにもインタビューをするようになった。ニュースに出てこなかったアメリカ人、つまり選挙の時にトランプに投票した人たちを目にすることで、視聴者が真のアメリカを理解できればいいと思ってのことだ。

インタビューした人の中に、研究者だった故ジョージ・ギャラップ・ジュニアがいる。彼は後に私の友人となり、協力者となった。私は二国間の理解をもっと深め合いたいと思っていると彼に伝え、私たちは協力してドキュメンタリー「日本:夢を追い求めて」を制作することにした。

ジョージ・ギャラップの研究所の協力も得て、日本人の大規模な調査を実施した。ジョージは後にこの仕事に関して次のように話した。「世論調査を50年やってきましたが、今回の調査は最も重要な意味を持つでしょう」

私の日本の知識は直観的なものだったが、ジョージのものはデータを基にしたもので、これが組み合わされ、私たちは日本人のこと、日本人の希望、将来の不安など、興味深く驚くべき事柄を数多く学んだ。日本には多くの不安がある。下降を続ける出生率は、何か劇的な変化がない限り文字通り消えていく運命にある。西暦3000年までに日本人は一人になる計算だ。常に高すぎる自殺率や若者の苦しみ、深刻な鬱に苦しみ引きこもってしまう100万を超える若者がいる状況は、かつては活気があった国にとって健全な未来を示しているとは言えない。

しかしそれとは別に、もっとも最近の日本人の不安と言えば、トランプが大統領になったことが日本にどういう意味を持つのかということだ。彼は、地域の安定に務めてきたアメリカ軍を撤退させるのか? 多くの日本国民の意図や隣国の希望に反して、日本に核保有国となることを要求してくるのか? 活気があり安定している民主主義国でアメリカの友好国である国と、アメリカの価値観と興味に敵意を抱く抑圧的な共産主義の国とを区別することなく、日本と中国を相手に貿易戦争を仕掛けてくるのか? 確かに存在はしているが得体の知れない不安が、日本の一般市民とリーダーたちの頭から離れない。

この不安は、時間と共に悪化してきた日米関係の余波だ。この悪化は公然と起きているものではなく、単に弱体化しただけだ。第二次世界大戦後、日本はアメリカと特別な関係にあると信じてきた。アメリカとイギリスの関係は例外となる可能性があるにしても、他のどの国よりも特別な関係だと。日本は、外国の力に完全に制圧されることは今までなかった。そして日本が降伏した後にアメリカが自らを導いた威厳ある態度は決して忘れられていない。それまでの世界の歴史の中では考えられなかった行動、沖縄返還といった善意は、正当に認知され感謝された。子供だった私は、この感謝の気持ちを直に肌で感じた。電車の中で高揚したお年寄りが普通に「ありがとう、マッカーサー(日本の復興を監督したダグラス・マッカーサー元帥のこと)」というようなことを口にする場面を一度ならず目にした。

日本とアメリカの親密な関係は、1983年、中曽根康弘とロナルド・レーガンの時にピークに達した。彼らはお互いをファーストネームで呼び始めた。私は、制作中の映画で、この話を中曽根元首相から直接聞く機会に恵まれた。

最初の会談でレーガンは中曽根に尋ねた。「あなたの奥様は家であなたをどう呼んでいますか?」この質問に中曽根は「ヤスです」、と答えた。「それじゃあ、ヤス、私の名前はロンですよ」、とレーガンは言い、このことから、両国の親密な関係が新しい時代に入ったことを示したあの名高い「ロン・ヤス」関係が生まれた。両国共に、後に続く政権が全般的に協力の精神を引き継いだが、日本の終わりなき不況とアメリカの中東介入、アメリカ経済の不安などから、どちらの国も他の問題に気を取られ、次第に双方の関係に取り組むことができなくなった。

しかし張り詰めてはいるが離婚という線は決して超えない婚姻関係のように、日米関係はもっと配慮をしていけば修復できるはずだ。両国が共通して抱えていること、直面している共通の試練にも配慮をしていけばいい。手始めに、レーガンと中曽根が初めて出会った1983年の冬のあの日に戻ることだ。あの2人と同じように、トランプと安倍は2人とも、低下気味の国民の士気に新しい活力を与え、双方にとって利益となる活気ある経済を作り上げたいという同じ目標を共有している力強い人物だ。トランプは理想家ではなく優れた社交家で、彼にとっては、政策は人間関係の結果として起こる。強固な「ドナルド・シンゾー」関係を早急に築くことで、まさにレーガンにとっての中曽根のように、安倍は世界の舞台でトランプの強力なパートナーとなれるだろう。

中曽根は自身も力強いリーダーとして知られていたが、レーガンのことを思い出しながら私に話してくれた。中曽根はレーガンを「リーダーの中のリーダー」と考えていたという。世界舞台にいた多くの国のリーダーが、ウィリアムズバーグサミットでレーガンに胸焼けを起こさせていた極めて重要な場面で、中曽根はレーガンに「あなたがピッチャーで私はキャッチャーだ」と言った。しかし、中曽根はレーガンに、時にピッチャーはキャッチャーからのサインを受け取らなくてはならない場面もあることも伝えた。レーガンは彼の提案に強く賛同し、アメリカのパーシング2型ミサイルを導入するという決断に中曽根が援護する形で介入したことで、あの日のレーガンの議論は勝利を収めた。

これと同じ精神で、「ドナルド・シンゾー」関係も日米関係を活性化させ、モデルとして世界に発信できるかもしれない。最初の課題は、日本はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)が、救いの望みもなく崩壊しているということを認識するということだ。そのがれきの中から新しく二国間協議の合意を展開できるだろう。その合意により双方が同じ目標を多く達成でき、後に他の国が参加できる可能性を含ませる。これと同じ二国間連携の精神で、世界の舞台でテロと戦うために、両国が今までよりも緊密に連携することになる。後にロシアも加わり、共にテロを後退させることに取り組み、三国間の関係をつくることもあり得る。そして後に他の分野での共通の合意が見つかるかもしれない。

優れたバッテリー(ピッチャーとキャッチャー)関係と同じように、ピッチャーはキャッチャーのサインを受け入れる時もあれば、首を振り他のサインを求めることもある。トランプが日本からアメリカ軍を撤退させたり、日本に核保有国になるよう要求することは起こりそうにないが、トランプ次期大統領はすでにサインをいくつか送ってきている。アメリカが日本を守るために費やしている重荷を日本に分担してほしいと思っている。また、日本のビジネスがアメリカ市場に入っている条件と同じように、アメリカのビジネスが日本市場に入っていけることも望んでいる。優れたキャッチャーのように、アメリカ国民から政治を任された大統領に会うときには、安倍は多様なサインに備えておくべきだ。アメリカ国民は、世界中の友好国を守るというアメリカ特有の責務を受け入れてはいるが、利用されることは嫌がる。象徴的だが同時に重要な意味を持つ安倍が送れる善意のサインとしては、アメリカ大使館がある東京の土地の使用代金を請求することになっているが、日本はアメリカにこの部分の賃料を請求しないことにすると日本側から一方的に公表するという手があるだろう。

私が育った日本の町で近所で友達を作るには、選択肢は一つしかなかった。文化の隔たりを超えて、共通の興味を見つけ、お互いにコミュニケーションがとれるように学ぶことだった。大人同士の関係も、国と国の関係もさほど変わりはない。最も見込みがなかった大統領の選出と、力強い日本のリーダーの存在とが結びつくことで、これから日米関係が発展する特別な好機となるだろう。

もう一人の日本の重要な首相との短い時間の最後に、一緒に写真を撮ろうとポーズをとっていたら、彼の秘書の一人が100歳近い中曽根に、私が10代の頃編集者に送った、中曽根を支持する手紙のコピーを彼に見せた。

「あなたにとって最も困難だった時に、彼のような人が支えてくれていたのです」。秘書が中曽根にそう言ったのが聞こえた。そしてその瞬間彼は私の手をとり、カメラマンはその瞬間をとらえた。悪役と敵意を持ったプレーヤーたちが溢れる世界で、アメリカと日本が引き続き手と手を取って肩を並べて助け合っていく必要があるということを私に再認識させてくれた出来事だった。共に未来に立ち向かっていくために。

(敬称略)

ハフィントンポストUS版より翻訳しました。

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