日本の医学教育に必要な改革 ヒントはスマホを活用した「ノマド研究」にある

高等教育は変わらねばならない。

南相馬市立総合病院に勤務する尾崎章彦医師(外科)が、「Medicine」誌に興味深い論文を発表した。

東日本大震災以降の社会的孤立が、がんの診断を遅らせ、患者に不利益を与えるという内容だ。独居の高齢者が増加するわが国にとって、示唆に富む。

今さら言うまでもないが、高齢者の最大の関心は健康である。男性週刊誌や新聞は、手術や薬の特集でいっぱいである。ウェブ上にも健康情報が溢れている。

ところが、このような情報が上手く高齢者に伝わらない。紙媒体は縮小を続け、高齢者のウェブ利用率は低いからだ。

8月にJAMA(米国医師会誌)に発表された研究によれば、米国の高齢者の約8割が携帯電話を、約7割がパソコンを利用しているが、インターネットを活用しているのは4割程度だった。さらに、自らの健康改善にICT技術を利用しているのは25%程度に過ぎなかった。

結局、ICT技術が発達した昨今でも、高齢者が、健康情報を入手するのは、医師や友人からである。信頼する仲間からのクチコミの果たす役割が大きい。病院の待合での高齢者のグループなど、その典型例だろう。このような場所での会話を通じ、医療についてのリテラシーを向上させている。

ところが、南相馬では、原発事故後の避難によって仲間がいなくなった。コミュニティーが喪失し、口コミで情報が得られなくなった。このような状況で高齢者の健康がどうなるか、誰もわからない。尾崎氏は、がんの発見や受診が遅れる可能性があることを提示した。

実は、これは少子高齢化が進む先進国が抱える共通の課題だ。一人っ子政策の後遺症に悩む中国が置かれた状況は、特に深刻だ。2040年代に、上海の60歳以上の高齢者は45%に達すると予想されている。高齢化対策が喫緊の課題だ。尾崎医師は、世界でもっと高齢化が進んだ南相馬で、世界が関心をもつ問題に取り組んでいることになる。

尾崎医師は、2年前に南相馬に赴任した。彼は福岡県の明治学園高校から、東大医学部に進んだ。在学中から、私どもの研究室に出入りした。

現在、南相馬で論文を量産している。この2年間で発表した英語論文は、筆頭著者として7つ、共著者として12だ。南相馬に来るまで、彼は英語で論文を発表したことがなかった。南相馬で飛躍したことになる。

南相馬では、加藤茂明・元東大分生研教授(研究室の研究不正の責任をとって辞職し、その後、福島県浜通りで活動している)や、後述の坪倉正治医師のような先達に恵まれたことも大きいが、それ以上に重要なのは、この地方に問題が山積していることだ。高齢者の社会的孤立など、その典型だ。前回、ご紹介したエジンバラ大学から南相馬に移住した国際保健の研究者であるレポード・クレアさんは、この問題を研究している。

尾崎医師は、来春から帝京大学の公衆衛生学研究科博士後期課程に進む。研究テーマは福島の健康問題だ。注目すべきは、このコースは、働きながら研究を続けられることだ。

これは今後の医学系大学院のあり方を示唆する。スマホが発達した昨今、分野を限定すれば、どこにいても研究はできる。いわば「ノマド研究」が可能だ。

研究生活の傍ら、病院勤務を続ければ、生活に心配はない。授業料も負担できる。さらに、診療による一次情報も利用可能だ。

南相馬市立総合病院のような小さな病院では意思決定が速い。大組織と異なり、若いうちから中心になって働くことができる。自然と実力がつく。

実は、尾崎医師のケースが通信制大学院の最初ではない。2011年から15年まで、東大医科研の私どもの研究室の大学院生だった坪倉医師も実態は同じだ。彼は大学院時代、福島県で活動し、私は、もっぱらスマホを通じて指導した。この間、31の原著論文(うち11が筆頭著者)、3つのレターを発表した。

東日本大震災後、最初に現地の内部被曝の程度が低いことをJAMA誌に発表したのは、坪倉医師だ。論文が発表された翌日には、ワシントンポストなど世界のメディアが大きく報じ、医学の教科書の記述を塗り替えた。現在、彼の実績は世界的に認められている。

東大医学部の研究不正が指摘されている。同調圧力が強く、閉鎖的だ。折角の才能を活かしきれていない。坪倉医師や尾崎医師の活躍とは対照的だ。

まずは大学院教育から改革すればいかがだろう。大学の中に閉じこもらず、現場で患者と触れあってはどうだろう。ICT技術を用いれば、どこにいても指導者とはやりとりできる。高等教育は変わらねばならない。

*本稿は「医療タイムス」の連載に加筆したものです。

尾崎章彦医師。南相馬市立総合病院の医局にて

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