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存続の危機にある憲政記念館 民主主義の象徴を、強引なやり方で失っていいのか

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東日本大震災以降、福島県相馬地方の医療支援を続けている。相馬地方とは、現在の相馬市・南相馬市・飯舘村・新地町を含む地域のことだ。

この地域と南部に隣接する双葉郡には、広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村が含まれる。

双葉郡のうち、福島第一原発より北側の地域を、かつて標葉郡といった。現在の大熊町、浪江町、双葉町、葛尾町。

福島第一原発事故で汚染されたのは、旧標葉郡と相馬地方だ。実は、この地域は、かつて相馬氏という大名が統治していた。居城が置かれた中村(現相馬市)の地名にちなみ、相馬中村藩6万石と言われた。鎌倉時代から幕末まで約700年間、この地を治めた。武勇に秀いでた一族で、名君が多かったらしい。

北部に接する伊達家62万石と対抗するため、その努力は涙ぐましいものがある。戦国時代から江戸時代初期にかけ、佐竹家、石田家、本多家と誼を通じた。相馬の土地を守るため、相馬家は、なりふり構わなかった。伊達家の領地と隣接し、滅ぼされなかった唯一の小大名だ。

実は、現在でも、相馬家はこの地域の精神的支柱だ。彼らの存在が、この地域の復興に大きな役割を果たしている。

例えば、東日本大震災直後から、相馬地方の支援に当たっている「難民を助ける会」の創設者は相馬雪香だ。現相馬家当主の相馬和胤氏の母上にあたる。「難民を助ける会」の理事長である長有紀枝氏は、相馬市の復興顧問会議の委員であり、避難所・仮設住宅の運営に尽力した。「難民を助ける会」が、東日本大震災後の復興支援で、相馬を活動の拠点としたのは、相馬雪香の存在が大きい。

相馬家が果たしてきたのは、浜通り北部の当主という役割だけではない。我が国の議会主義・民主主義の擁護者でもある。

相馬雪香氏は、「憲政の神」、「議会政治の父」と言われた尾崎行雄の三女だ。尾崎行雄は、第一回総選挙から25回連続当選。犬養毅とともに、「閥族打破・憲政擁護」をスローガンに、第三次桂内閣打倒で中心的役割を果たした。昭和期には日独伊三国同盟に反対し、大政翼賛会を批判した。信念の人だ。

現在、国会前庭には憲政記念館がある。昭和45年、議会開設80年を記念して設立された。前身は昭和35年に建設された尾崎記念会館だ。幕末には彦根藩の上屋敷があり、井伊直弼が居住した。戦前は参謀本部・陸軍省が存在した。日本の政治を象徴する土地だ。

憲政記念館では、学堂会という集まりが定期的に催されている。その名の由来は「一生を学校でいる気持ちで過ごしたい」という尾崎行雄の最初の雅号だ。この会を主宰するのが原不二子氏。尾崎行雄の孫で、相馬雪香の娘、現当主和胤氏の姉にあたる。美しく、聡明な女性だ。日本を代表する英語通訳でもある。彼女の使命は、日本の民主主義をまもること。折に触れ、日本の世論の右傾化、全体主義を批判している。東日本大震災後、私もご指導頂いている。

彼女の悩みがある。憲政記念館が存続の危機に立たされているのだ。今年5月、政府は国立公文書館の移転先を憲政記念館の敷地に絞り込んだ事を明かした。移転改築の基本計画を作成し、年末までに正式決定の予定という。

国立公文書館を拡張することに、私も異存はない。ただ、このやり方には賛同できない。プーチン、習近平、安倍晋三。世界では強力なリーダーが評価されている。ただ、それでいいのだろうか。リーマンショックの回復過程で、強力な指導者待望論の先にあるのは、大恐慌から第二次世界大戦へと繋がった歴史を彷彿させる。

いま、我が国に必要なのは、救世主待望論ではない。国民の自覚だ。そのためには、社会での自由闊達な議論が欠かせない。憲政記念館は、議会主義・民主主義の歴史の象徴。日本民族の宝だ。国立公文書館の移転先は再考する必要がある。

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(写真)原不二子氏の自宅にて。向かって右側より筆者、二人目が原不二子氏。

*本稿は「医療タイムス」の連載に加筆したものです。