熊本地震の医療支援で生かされた「東日本大震災の教訓」とは

厚労省と東京都の対応は対照的だ。なぜ、厚労省はうまくいったのだろうか。

ご縁があって、熊本地震の被災者救済のお手伝いをした。

きっかけは4月16日16時38分に、当研究所のスタッフである児玉有子氏のfacebookを見たことだ。そこには、田尻哲也医師の「お願いです。誰か水を汲み上げるポンプを持ってませんか?自衛隊からの供給された水を貯水槽にバケツリレーしてます。(中略)血液透析に使用します。」というコメントがシェアされていた。

児玉氏は久留米大出身。在学中はラグビー部のマネージャーを務めた。ラグビー部の先輩である坂田清彦医師のfacebookを見て、熊本市内の透析専門病院に勤務している田尻氏のことを知った。田尻氏も久留米大学卒。同窓の苦境をみて、何とかしたいと思ったようだ。

16日18時48分、私は、この話を実際に動いてくれそうな知人にメールやLINEで伝えた。その後、児玉氏から入ってくる情報も、逐次、提供した。

21時30分、塩崎恭久・厚労大臣のスタッフから「具体的な病院名を教えて欲しい」と連絡があった。私は、児玉氏からの情報をそのまま伝えた。

さらに23時頃、田尻氏のクリニックではポンプだけでなく水の確保が困難になっていると報告があったので、それも伝えた。

翌17日9時14分、児玉氏経由で「自衛隊から1tの水が給水された」と報告を受けた。しかし、17日の透析に対応できるだけの水は確保出来ず、患者は他院に送った。

さらに週明けの18日からの毎日150人の患者の透析治療を継続するには、17日中に最低20tの水が必要だった。私は、この旨を塩崎氏のスタッフに伝えた。対応は迅速だった。その日中に15t、翌日に40t、翌々日に20tの水が補給された。そして、無事に透析治療を継続することができた。

ちなみに、東京都の幹部にもサポートを依頼したが、返事は「担当者に指示したら、熊本県から要請があれば動きますとのことでした。」だった。知人は「これだとダメなんでしょう」と苦笑いした。

厚労省と東京都の対応は対照的だ。なぜ、厚労省はうまくいったのだろうか。

私は塩崎氏のリーダーシップが大きいと思う。彼が関係各所に働きかけた。安倍総理は閣議で、透析のことを指して「設備の都合でなくなる人は一人も出すな」と指示している。

では、塩崎氏は、なぜ、動けたのだろうか。東日本大震災の経験が効いている。

東日本大震災の教訓は、災害時にまず破綻するのは透析医療であることだ。毎日、大量の水を使うため、断水すれば、数日で底をつく。交通インフラが遮断され、周辺からのサポートも期待できない。塩崎氏のスタッフは、このことを知っていた。

ところが、透析を行う医療機関の多くが民間の中小病院だ。政府・県・市町村という官の指示系統から漏れやすい。わが国の災害医療対策は、公立の急性期病院を中心に制度設計されている。透析患者を救うのは、別のルートでの対応が必要だ。

どうすれば、別ルートで動けるのだろう。残念ながら、共通解はない。臨機応変に対応するしかない。問われるのは地域の総合力だ。この点で熊本は恵まれていた。

まず、医師や看護師が多い。人口10万人あたりの医師数は287人(全国平均245人)、看護師数は1189人(同855人)だ。

医学部も多い。熊本大学は勿論、約60キロ北には久留米大学がある。いずれも戦前に設立された伝統ある大学だ。地域に根を張っている。今回、私が関わるきっかけとなったのは、久留米大学の先輩・後輩関係がきっかけだ。

さらに、民進党の幹部松野頼久議員の地元(熊本一区)ということも大きかった。前出の塩崎氏のスタッフは「民進党に批判されないようにしなければならない」と強調した。健全な野党が存在し、権力を監視したことになる。

熊本震災では、長年にわたり育成してきた人的資源が有機的に連携し、緒戦の透析対応に成功した。「官のシステムから漏れる患者」が救われた。

熊本復興の道のりは長い。今後、仮設住宅の高齢者の健康問題をはじめ、多くの問題が出てくるだろう。一つずつ解決するしかない。私も応援したい。

*本稿は『メディカル朝日』6月号からの転載です。

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