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医学部の医局は「吉本興業」に似ている

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MEDICAL OFFICE
Martin Barraud via Getty Images
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夏休みが終わった。今朝の研究室には幾ばくかの寂寥感が漂う。

八月、私どもの研究室は多忙を極める。各地から医学生がやってくるからだ。今年の「新人」は、浜松医大の森亘平君、弘前大学の阿部史子さん、北大の箱山昴汰君たちだ。普段から出入りする学生も加わり、議論が弾む。

彼らの関心は「どの病院で研修するか」だ。私は「出身地と母校の所在地以外で研修するように」と勧めている。それは、若者は異文化を経験することで成長するからだ。

日本の文化は多様だ。「東京対地方」という対立軸では語り尽くせない。この状況は医療も同じである。

例えば、医師不足で医療崩壊の瀬戸際にある埼玉や千葉と、四国や九州地方の医療が同じ筈がない。京大・阪大・名大・金沢大・岡山大など伝統ある国立大学がひしめく西日本と、医学部の大部分が私学で、国立大学少ない関東では臨床研究に対する意気込みも違う。

ところが、多くの学生は自分の生まれた土地の大学に通っている。冒頭にご紹介した三名は、いずれもそうだ。

この状況は医学部に限らない。殆どの大学は地元出身者が過半数を占める。東大・京大・阪大は六〇%弱が関東や近畿出身だ。九大や名古屋大学になると七〇%以上、早慶では八〇%以上が地元出身者だ。

話を医学生たちに戻そう。もし、学生たちが、そのまま出身大学の関連病院で研修し、入局後は関連病院を回るだけでは視野狭窄に陥る。これは医師としてだけでなく、社会人、あるいは将来、親になることを考えてもよくない。

若者は異郷で武者修行することで成長する。これは古今東西変わらない真実だ。我が国が誇る寿司文化は、職人が様々な店を回って修行することで、レベルが維持されている。ドイツのマイスター制度も、まさにそうだ。かのゲーテは、三七才のときにヴァイマル公国を去り、イタリアに移り住んだ。そして、『ファウスト断片』や『イタリア紀行』を書き進める。若者の成長に「旅」は欠かせない。

ところが、昨今の医療界や厚労省は、近視眼的な議論に終始し、我が国の若者たちを駄目にしようとしている。奨学金とのバーターで、地元での勤務を義務づけるなど、『女工哀史』の世界と変わらない。臨床研修制度を、医師偏在の辻褄合わせの道具として使うべきでない。学生たちも、こんな出鱈目を信じてはいけない。私は、このことを学生たちに口を酸っぱくして言うようにしている。

最近、私どもの研究室を「卒業」した東大医学部の学生は、福島県の南相馬市立総合病院、相馬中央病院、宮城県の仙台厚生病院に勤務している。一人当たりの患者数が多く、彼らにとって、被災地での勤務は魅力的なのだろう。また、何れも相馬家、伊達家を中心に長年にわたり、地元独自の文化を育んできた地域だ。洗練された文化がある。彼らは、多くのことを「感じて」成長している。

彼らの活躍をみて、後輩たちは真似をする。今年の六年生は、北海道の北見赤十字病院や山形県の日本海総合病院での研修を考えている。さらに川崎市立川崎病院に二年目の研修医と勤務している前田裕斗君は、来年から関西の病院で産婦人科の後期研修を行う予定だ。彼は開成高校から東大医学部に進んだ関東人だ。将来は東京に戻る予定だが、「全国にネットワークを作り、さらに関西の文化を体感すること」が目的だという。関東人にとって、関西以西は敷居が高い。「怖い」という学生も多い。前田君の活躍を期待したい。

では、関東以外の医学生はどうすればいいのだろうか。私は「一度は東京で働くように」と勧めている。東京は首都だ。若い頃の一時期を過ごすべきだ。東京を「実体験」せず、老いていくのはあまりにも寂しい。「修行」を終えれば、また別の地に移ればいい。

数年前から私どもの研究室に出入りしている滋賀医大六年生の山本佳奈さんは下町にある某都立病院での研修を希望している。江戸情緒を残す墨田区に位置する救急病院だ。膨大な症例を経験できる。彼女の成長が楽しみだ。

では、私は何をしているのだろうか。実は、東大特任教授としての、仕事の多くが、このような「人生相談」だ。学生や研修医に先方の病院関係者やOBを紹介し、その病院の内情をインタビューして貰うことも少なくない。

私は、自分の仕事は「吉本興業」と似ていると思う。「人をつくる」ことが本質だからだ。吉本にとって財産は芸人だ。我々にとって財産は若者たちだ。彼らこそ、大学の「成果物」と言っても過言ではない。

彼らが、それぞれの個性を反映した特色ある医師として成長すれば、研究室の実績も自然に増える。そして、その評判を聞いて、より多くの若者たちが集うようになる。かつて、私が仰ぎ見た教授たちは、このようなやり方をしていたように思う。いま、臨床研究不正が続発し、医学部のあり方が問われている。医学部は、何のためにあるのだろうか?私は、最大の意義は「若者の教育」だと考えている。今こそ、原点に返って、そのあり方を見直すべきだ。
 

追記:本文は『医療タイムス』の連載に加筆したものです。