この春相馬にやってくる、ある看護師の話

「お世話になることに決めました」。1月13日、都内在住の看護師から連絡を受けた。

「お世話になることに決めました」。

1月13日、都内在住の看護師から連絡を受けた。彼女は、今春、大学院修士課程を卒業する。就職先を探していた。就職を決めたのは公立双葉准看護学院だ。今春から教員として働く。

公立双葉准看護学院は福島第一原発と近く、原発事故以降、休校していた。相双地区の深刻な看護師不足を受け、昨年12月、福島県と双葉地方広域市町村圏組合、相馬地方市町村会の三者が合意し、南相馬市に仮移転することが決まった。双葉地方が復旧すれば元の場所に戻ることになっているが、当面は相馬地方広域市町村圏組合が経営し、来年4月から生徒を受け入れる。

問題は教員の確保だ。学校開設の基準を満たすには、教員が一人足りない。

私は准看学校移転の責任者を務める菊池邦啓氏から依頼を受け、教員探しを手伝っていた。

知人の看護学部の教員、浜通りの医療機関の看護部長、さらに児玉有子をはじめとした研究室の看護師スタッフに相談した。みな広いネットワークを持つ人たちばかりだ。一生懸命動いてくれ、何人かの候補者を推薦してくれた。ただ、何れも上手くいかなかった。「相馬は遠い」、「結婚を考えている」などの理由だった。

看護師不足の我が国で、看護師は引く手あまただ。また、看護師の高学歴化が進み、いまや大卒の看護師は珍しくない。准看学校の教員を引き受けてくれる人物を探すのは容易ではない。ほとほと困り果てた。

そこで思いついたのが高村泰広氏だ。福島県立新地高校の教員である。東日本大震災後の教育支援を通じ知り合った。

高村先生は地元の進学校である相馬高校の卒業生だ。東日本大震災当時は母校で理科を教えていた。ずば抜けた行動力があり、かつ教え子の面倒見がいい。生徒や卒業生からは「変な先生」として慕われている。

私は高村先生に事情を話し、教員候補の推薦を依頼した。驚いたことに、翌日、「希望者がいましたよ」と連絡があった。それが冒頭の女性だ。

彼女は相馬高校から東北大学に進み、看護師免許を取得した。都内の病院で助産師として勤務する傍ら、大学院で学んでいた。高村先生によれば「将来的には両親のいる地元に帰ることを考えていた」らしい。

彼女に会ったところ、誠実な人柄で、申し分のない人材であることはすぐにわかった。正直いって、私がリクルートを考えていたレベルを超えていた。

「東京でも勉強を続けたい」、「助産師としてのトレーニングも積みたい」という希望があったため、前出の菊池氏にその旨を伝えた。柔軟に対応してくれるそうだ。両者はすぐに合意し、彼女は今春から准看学校の立ち上げ準備に参加することとなった。

この件は示唆に富む。福島県浜通りは看護師不足だ。常に求人を出している。一方で、浜通りで働きたいという看護師もいる。ところが、両者を繋ぐ仕組みがない。勿論、浜通りの医療機関はホームページに求人広告を出し、人材派遣会社に依頼しているが、効果は限定的だ。

高村先生は、両者を繋ぐ役割を果たした。これは、彼でなければ出来なかった。それは、彼が卒業生を熟知し、かつ卒業生から信頼されているからだ。だからこそ、今回の求人の背景を理解し、それに相応しい人物を紹介してくれた。また、彼女の性格や希望も、私に教えてくれた。

一方、彼女も高村先生の紹介だから、信用してくれた。このような紹介はインターネットや営利企業では無理だ。

医療は人だ。どのようにして人材をスカウトするか、真剣に議論すべきだ。今回の経験は、志の高い高校教師が有為な人材の確保に有効である可能性を示している。

写真は2011年12月17日、相馬高校職員室にて。右から二人目が高村先生。左端が筆者。

*本文は「医療タイムス」での連載に加筆したものです。

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