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日本の研究社会の前近代性について

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STAP問題は現在の医学生物学研究に広く見られる問題と関連している。医学生物学の研究室が共通して抱える問題を知らなければ、STAP論文における個別的問題も見えてこない。

ここでまず認識すべきなのは、今や医学生物学の研究室は工場であるという現実だ。工場長(教授、グループリーダー、上席研究員など)が労働者(学生・ポスドク・テクニシャン)を使って論文を生産する。生産手段(研究費、実験室、研究機器)は工場長のみが権利を持っているため、生産されたものは工場長の持ち物だということになる。そして、論文という生産品を売る(=論文をよい雑誌に掲載する)ことで資本を回収し(競争的研究費を獲得し)研究活動を継続する。

工場という形容が嫌ならば、映画製作所だと言っても良いだろう。重要なのは、トップに大きな権限が集中していることだ。実験技術・機器が高度化し、世界的に競争が激化しているため、Natureなどの有名雑誌に論文を載せるためには、相当な額の研究費が必要になってしまっている。この流れは、加速することはあっても、元に戻ることはないだろう。

この構造が、日本の場合には、社会に広くみられるヒエラルキー(階層社会、上下関係)と密接にからまり合って、問題をこじらせている。

ところで論文という生産品の権利関係を研究の世界で公式に示すのが、論文の著者名の順番になる。トップは、論文の著者名で最後の位置を占めること(ラスト・オーサー)および連絡著者(コレスポンディング・オーサー;コレスポ)になることで論文に対する権利を示す。基本的に、コレスポであるということは、工場長として論文の生産過程・品質全体に責任を持つということである。

ちなみに2本のSTAP論文ではコレスポ=責任者が4人いた。これは責任者が沢山いたという意味だ。しかし実際にデータを取得していたのが筆頭著者の一人だけなら、まさに船頭多くして舟沈むという事態だったのかもしれない。この点についてはまた別の稿で詳しく述べたい。

繰り返すと、医学生物学の研究室とはトップに大きな権限が集中している工場のようなものである。そして日本の医学生物学研究という工場は、良くも悪くも家内制手工業の段階にある。研究プロジェクトは、基本的には一人の第一著者(ファースト・オーサー、またの名をピペド=ピペット奴隷)が実験して、コレスポ=工場長=教授が監督している。(論文にみられるそれ以外の著者の役割は「手伝い」と読んだら良い)

学生、ポスドクら若者の側からみると、よい論文を生産することで労働者として使いがいがあることを示す強い必要性がある。これを公式に示すのが、論文の著者名で第一著者(ファースト・オーサー)になることだ。

今やほとんど全ての若者の職は有期雇用だ。しかも大学院重点化の弊害で、次々山のように新しい博士が生まれるのだから、競争は激しい。これを勝ち抜いて次の職を得るうえで有利になるためには、第一著者の論文をなるべくたくさん、しかも有名雑誌に出版するしかない。これは並大抵の努力ではできない。有能な学生・ポスドクが生活を全て研究に捧げたとしても、運がよくなければ生き残れない世界だ。だから若者も必死で第一著者になろうとする。他の同僚と気軽に成果を分け合うことはできない。研究室の同僚は競争相手だ。

ちなみに第一著者が未熟すぎて使い物にならないときには、工場長が直接指導するのは面倒なので(実際、最新機器を使った実験を指導する能力がないので)ポスドクあるいは助教が日々の監督者として使われる。こうして中間管理職になった若手研究者たちは、自分の職の安定すらままならないのに、研究者として一番脂がのっている時期に、本来自分の研究に打ち込むべき貴重な時間を学生の世話に捧げざるをえなくなる。こうなると自分の研究が片手間になる。こうして最も柔軟な頭と体力を持った世代を無駄に食いつぶすことは社会的に大きな損失であるし、当事者にとっては恐ろしく大きなストレスになる。

私自身、日本で助教をやっていたとき、日中は学生らの面倒で時間が潰れてしまうので、自分の研究を始められたのは夕方5時も過ぎてからだ。それから真夜中まで働いても十分な仕事はできるものではない。これでは研究者として将来への希望はしぼむ一方だ。統計は見たことがないが、医学系研究室では、こうした中間管理職の立場の助教らに自殺者が多いように思う。深刻な問題だ。

いま医学生物学の研究室で、若者たちは実に前近代的な雇用環境下にある。本来的には学生は労働者ではないし、ポスドクは通常大学・研究所から雇用されている。少なくとも誰も、工場長である教授たちから雇用されている者はいない。しかし、実質的に採用・雇用の延長(学生ならば卒業後のポスト、ポスドク/助教なら有期雇用なので通常1年単位での更新)といった人事権は全て教授に集中している。教授はまるで自分の私物のように学生・ポスドクらを扱い、圧倒的に強い権力を楽しむ。

そもそも研究の場所、道具、試薬等全てに教授が権利を持っているので、研究室自体が教授がお殿様の城のようになっている。

第一著者になることをめぐって競争し合うピペド学生・ポスドクたち。まだピペドの立場でありながらピペド使いとなった助教・ポスドクたち。彼らの利害は常に対立し、感情的に衝突することが日常的になっていく。

こうした状況は教授からみて好ましいようで、研究室のメンバー同士の対立・衝突が積極的に教授により煽られることも珍しくない。工場長からみて労働者は分断されていたほうが扱いやすいのだ。分断され団結していない労働者ならば、工場長との力関係の差は無限大だ。さらにこの構造は、日本の研究室の密室性とあいまって、パワハラ・セクハラの温床ともなっている。そしてこの問題は若者の雇用が不安定化することで急速に悪化した。

こう書いていると、私が大学院生のころ教授に言われた言葉を思い出す。「あなたたち(学生・ポスドク)は高い試薬・機械を使っているのだから、そもそも借金があるようなものだ。その分働いてもらわないと困る」という言葉だ。私はこれを聞いた瞬間に、学生のころ読んだ、ある本を思い出し、非常に感慨深かった。

その本とは、マルクスの「資本論」だ。

おそらく、現代日本のピペドたちは「資本論」を読むべきなのだろう。この教授の言った、「研究活動に必要なコストの分まで多く働くべき」という考え方は「資本論」の中で詳細に描かれている。19世紀末、産業革命後にはじめて機械が導入された当時の欧州の工場で、工場長たちがはまさにこの論理=労働者は自分が使用する機械のコストの分まで多く働くべき=で、労働者たちを不当に低い給料で長時間働かさせて大きな利潤を生み出していたのだ。

私は大学の研究室に入ったつもりだったが、どうやら19世紀末の欧州の工場で酷使されていたプロレタリアートをリアル体験していたようだ。

そろそろ、日本の医学生物学研究の大学院生・若手研究者たちがどのような立場にあるか、どういう環境で研究という労働をしているかが見えてくるだろうか。

もはや日本の医学生物学研究の場には、かつての学問の場であるアカデミアがもっていた尊厳はまるでない。それどころか人間的な労働環境は無く、将来への希望も無い。もちろん比較的状況がよい研究室もあろう。しかし標準例・成功例がこうした悲惨な状況になっていることはもっと認識されるべきだ。

これは決して正常な事態ではない。システムの欠陥を現場に皺寄せし続けた結果だ。しかし末端の若者を酷使して帳尻を合わせるのももう限界なのではないか。

研究成果は雇用と直結している。雇用をめぐる歪みがセクハラ・アカハラ・パワハラの横行する大学・アカデミアという何とも情けない状況に至り、労働環境の悪化の原因になっている。これらの問題を無視して「研究の倫理」なるものを唱えても空々しい。雇用問題・労働問題は最も大事な課題で、避けて通れないはずなのに、大学院重点化以来のあらゆる改革という改革で、この最重要のものがおざなりになってきたのだ。

研究とは本来、夢と精神の自由があり、頭脳と技術の研鑽を楽しめる世界のはずだ。研究の場に人間的な環境を取り戻し、研究体制を近代化して効率のより良い、しかも頑強な体制に変えて、日本の医学生物学研究を正常化させることはまだ可能だと思う。次回はこれについて私見を書きたい。

(2014年5月4日「小野昌弘のブログ」より転載)

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