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小池百合子氏の「首相動静」発言をどう読むか?

2013年11月02日 14時56分 JST | 更新 2014年01月01日 19時12分 JST

10月28日、衆議院国家安全保障特別委員会において、小池百合子衆院議員(元防衛相)が、マスメディアによる首相動静の報道が「知る権利を超えているのではないか」という述べた。この発言は、日本の国家と社会の関係を考察するための重要な材料である。

「日本は機密に対する感覚をほぼ失っている平和ボケの国だ」。28日の衆院国家安全保障特別委員会で小池百合子元防衛相が「首相動静」をやり玉に挙げた。

「首相動静」では、新聞社や通信社が首相の訪問先や面会相手を逐一報じている。小池氏は「首相動静は毎日、何時何分に誰が入って何分に出たとか、必ず各紙に出ている。知る権利を超えているのではないか」と疑問を呈した。

これに対し、政府側からの答弁はなかったが、菅義偉官房長官はその後の記者会見で、「各社が取材して公になっている首相の動向なので、特定秘密保護法が想定する特定秘密の要件にはあたらない」と説明。問題にはならないとの考えを示した。(10月28日『朝日新聞デジタル』)

事柄の本質を際立たせるために、あえて極端な議論をする。

内閣総理大臣(首相)には、2つの立場がある。

第1は、国民の選挙によって選ばれた代表であるという立場だ。社会の代表と言い換えてもいい。

第2は、能力と適性を基準とする試験によって採用された官僚の最高指揮命令権者としての首相の立場である。

普段は、社会の代表、官僚の最高指揮命令権者としての2つの立場が、首相において統一されていると擬制されている。

しかし、この両者の立場は、本質において対立する要素がある。それが端的に現れているのが、徴兵と徴税だ(1872[明治5]年の太政官布告で徴兵義務を血税と名づけたのは、事柄の本質を端的に表現している)。現行憲法下では徴兵が行われないので、国家権力が持つ暴力性が可視化されにくくなっている。

小池氏の発言が、国家安全保障会議(日本版NSC)の創設を議論する衆院国家安全保障委員会の場で出てきたことは偶然ではない。政府は、来年1月の日本版NSCの発足を目指している。

日本版NSCに関する有識者の発言、新聞の論調はピントがずれているように思える。例えば10月29日付『朝日新聞』朝刊の社説は、

軍事偏重の向きはないか。むろん侵略やテロへの備えは必要だが、それだけが安全保障ではあるまい。エネルギー問題や金融不安、食糧、災害、感染症といった多様な危機にあたっては、軍事、外交、経済などさまざまな角度から検討されなければならない。

軍事の司令塔のようになってしまっては、現代の複合的な危機には対処できない。

と主張する。

ここでは、危機管理と国家安全保障の問題が区別されずに論じられている。地震、台風などの天災地変、伝染病対策、国内における大規模騒擾に対する対応などの危機管理をめぐる事柄については、内閣危機管理監の下で内閣府、警察庁、厚生労働省、国土交通省などの旧内務省系の省府が対応する。日本版NSCは危機管理に対応するために設けられる機関ではない。

また、インテリジェンス(諜報)の手法を用いた対外情報の収集も、日本版NSCの管轄事項ではない。これは、外務省の管轄になるか、内閣官房の直轄になるかという機構上の問題は残るが、日本版NSCとは別の指揮命令系統での独立した対外インテリジェンス機関の設置にかかわる問題だ。

それでは、日本版NSCとは何をする機関なのだろうか。端的に言えば、

「日本が戦争を行うか否かについての国家意思を決定する機関」

なのである。

大日本帝国憲法で統帥権(軍に対する最高指揮権)と呼ばれていた権限を行使するのが日本版NSCだ。このような機関だから、当然、統帥権にかかわる「特定秘密」を守ろうとする。

統帥権を国民の統制から外し、軍事官僚集団(そのトップは首相である)に握らせようと考えるならば、「特定秘密」の範囲が拡大する。実はそうすることが、国家に本来的に備わっている欲望なのである。小池氏の発言は、国家としての欲望を最大限に表現したものだ。国家は、軍事官僚集団のトップである首相の動静を極力秘匿しようとする。

社会に属するわれわれ国民としては、このような、このような軍事官僚の議論に従う必要はない。この立場に立つならば、首相の動静は、公務と関係ない事項を除いて、すべて開示されるべきであるということになる。

最終的には、国家と社会の間で、折り合いがつけられることになる。確かに日本の首相動静に関する報道は、諸外国に比べて詳しい。しかし、そのことによって失われている国益(国民益プラス国家益)はない。現在の首相動静に関する報道が国益を毀損していると主張する論者は、具体的事実を実証的に挙証する責任がある。

筆者は、首相動静に関する現下日本の新聞報道は、日本の社会の強さを示す事例なので、このまま維持すべきと思う。(2013年11月2日脱稿)