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憲法改正をするかしないかじゃないだろう

2013年07月15日 01時57分 JST | 更新 2013年09月12日 18時12分 JST

今次参議院選挙の論点の一つに「憲法改正」がある。

政権与党である自民党は、現在の日本国憲法がGHQ草案を基にしている(これ自体は歴史的事実という点に疑いがない)ことから、結党以来「自主憲法制定」を党是に掲げており、最近も2012年に「憲法草案」を発表している。現在の与党の党勢からすれば、現在の憲法が規定している改憲規定を満たす可能性がある。

どうもこれに対して、いわゆる護憲派からの強い反対があり、この憲法改正がにわかに争点として浮かび上がっている。

だが、少しこの議論には違和感がある。

まず、憲法とは何か。世界の立憲主義に範をとれば、憲法とは国家を構成し、法による統治を行うための最も基礎となる法だとされる。故に、その基本は、国家が国民に保障する人権の規定、いわゆる人権宣言と、に大別できると言われている。

統治機構の部分は、立憲主義そのものは歴史的にヨーロッパに端を発するが、古今東西の国家において当然に存在していたものである。むしろ、本質的にヨーロッパの歴史に由来するのは人権宣言の部分であるが、国家がいかに国民のためのものであるべきかは「徳治」という言葉があるようにヨーロッパ以外の地域でも常に問われてきたし、すくなくとも現時点において、人間の基本的人権を国家が(そして、国家を通じて人が相互に)保障するという考え方自身はかなり普遍的で、我が国においてもこれに反対する考え方はないだろうと思う。

しかし、こう考えてみると、憲法を護持する、改正しないという考え方がどうにも不合理にしか思えないのだ。

例えば、プライバシーの権利など、日本国憲法の人権編に記載すべき、いや、少なくとも記載するかどうかを論じるべき権利も生まれている。或いは、これは将来において生まれうる。その時、憲法改正は必要になる。立法技術的には憲法に明確な権利規定を求めないまま、包括的人権規定と言われる憲法第13条を根拠にひたすら一般の法律で人権を作り続けることもできようが、そこまで人権の拡充を忌避することは日本国憲法が予定していた考え方ではない気がする。

統治機構編についてはさらに複雑だ。一般的に、組織について、創設目的のような理念的部分を変えることはそれほどないが、それを執行する機関やその運用ルールはそれなりに柔軟に変更がなされる。国家においても、憲法の原則や人権の内容を書き換えることはそこまでないかもしれないが、例えば、両院の関係や三権の関係といったものは、一定の期間を経れば調整する必要も出てくるだろう。そういう時に、どうしても憲法改正は必要になる。

だから、憲法を改正するかしないかじゃないだろう。憲法は改正するんだよ。問題は、憲法のどこをどう変えるか、変えないかであって、憲法をよりよくするためにも、憲法を改正するための規定はきちんと整理すべきである。

自民党の憲法草案には、筆者としては同意できない点が多いのは事実だ。例えば、表現の自由については一切の表現の自由を認めた草案第22条に続く第2項で「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」と規定するが、そもそも表現の自由であっても他の人権との比較衡量において制限されうることは通説とされており、敢えて「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動⋯は、認められない」と規定し直す意味が筆者には理解できない。

表現の自由の制限は、自由民主の根幹であり、その制限には具体的な人権と人権の衝突に還元して論じられねばならない。現在でも、例えば表現の自由としての記録と記録物公開の自由が、ややパターナリスティックではあるが児童が性的虐待を受けない権利によって制限され、「児童買春・児童ポルノ禁止法」が合憲的に成立していることは、この限りにおいて頷ける。したがって、現時点において憲法にかかる条項を盛り込む意味は無く、それでも敢えて改定するというのであれば、政府によるより広範囲かつ行政裁量的な表現規制を導入するのではないかと疑いたくなるほどだ。

その自民党が、あえて自民党憲法草案にあわせて憲法を改正しようというのではなく、まずは単に憲法第96条を改正し、もっと憲法を改変しやすくしようと提案している。以上に述べた理由により、筆者は自民党憲法草案通りの改憲には反対であるが、しかし、そもそも憲法改正に必要な執行上の手続整備を前提として、今よりは改憲しやすくすべきだという方針には賛成である。

とはいえ、自民党が提案している第96条改正案(自民党憲法草案では第100条)はあくまで現行憲法の改正手続の中において議論されるわけだが、この憲法改正のあり方については、単に緩和すべきか、維持すべきかではなく、豊かな議論が要るだろう。

この点で、筆者は、日本国憲法といえども一枚岩ではなく、その中にはより堅く守るべきところと、より柔軟に変えるべきところと、両方あるのだろうと考えている。それは、まず、憲法の目的は国民の基本的人権の保護を唯一のものであり、あらゆる国家の理念はそこに還元されねばならない。人権相互の衝突については、一般的な立法とその執行としての司法の場で行われるべきである。これらを実現するために、必要な統治機構の整備は柔軟に行うべきである。と、思うからだ。

したがって、憲法第96条を改正し、現行憲法の統治機構編(第4章から第8章)については、自民党憲法草案通り衆参両院それぞれで議員の半数の賛成によって国民に提案し、その有効投票の過半数で改正できるようにすること。そして、その上で、改めて憲法において国民の基本的人権を尊重する立場から、憲法の人権編は、人権を追加することはできても、人権の保護水準を引き下げるような改正はしてはならないことを謳ってはどうだろうか?

もちろんこれは私案に過ぎないが、言いたいことは、そういう議論もないままに、本来我が国にとって必要な憲法改正の是非を、単に憲法第9条の改変問題に矮小化させたり、自民党の提案する憲法草案が出来が悪い(繰り返すが、筆者もかなりこれは出来が悪いと考えている)からといって、憲法改正そのものが悪であるかのように振る舞う言説、改正しないことが「憲法を護る」ことであるかのような言説には、やはり筆者としては、日本を閉塞させるものに見えてしまうのだが、如何だろうか?

なお、今回の意見は、(株)ゲンロンが主催し、筆者も参加した「憲法2.0」の議論に強くインスパイアされている。刺激的な議論を展開していただいた「ゲンロン憲法委員会」メンバーである白田秀彰氏、楠正憲氏、西田亮介氏、東浩紀氏に、この場を借りて再度深い謝意を表したい。