分断社会と向き合うー「自分とは関係ないこと」が加速するこの世界でー(後編)

それまで私は沖縄の人は皆、基地の撤去を願っていると思っていたが、地元の人は賛成とも反対とも言い難く、二分化できない複雑な気持ちを持っていることを知った。

偏見は常に私の何処かに存在していた

帰国後、何の変哲のない毎日への鬱憤がたまっていたのだろう、友人から背中を押され、これといって興味のなかった選挙に行ってみることにした。

2014年11月、沖縄県知事選挙に足を運んだ。カメラを携えて。

これが初めての、いわゆる「取材」であった。素人であった私には、そのやり方がわかるはずもなく、現場でプロの取材者たちに囲まれ、見よう見まねで取り組むことになった。

よくニュースで耳にしていた「普天間基地」を初めて目にした日のことだ。

基地周辺に住んでいるという男性が、私たちに「取材なら、普天間住民が投票する近くの小学校に連れて行くよ」と声をかけてくれた。

近くでは、飛行機が轟音をたてて飛んでいた。

「普天間基地があるのは嫌ですよね」と私が投げかけた型通りの質問に、男性は「慣れているから気にしないよ。基地を辺野古に移設する必要はない。辺野古の人には同じ苦しみを味わってほしくないからね」とあっさり答えた。

その後、投票所で話を聞いた人の多くも男性と同じ回答をした。

それまで私は沖縄の人は皆、基地の撤去を願っていると思っていたが、地元の人は賛成とも反対とも言い難く、二分化できない複雑な気持ちを持っていることを知った。

この経験は、「私は知らないうちに偏った意見をもってしまう」ということを教えてくれた。だからこそ、知らないことは正直に知らないと認め、知ったかぶりをせず愚直に現場へ足を運び、地元の人々の心の葛藤を伝えていきたい。

そう思うようになった。

この経験から、考えたことがある。

怒りだけの直線的な行動だけでは、自分の無力さの前に、結果的に「自分には関係のないこと」になり、次のステップを踏むことはできなかった。

けれど、現地の人と同じ時間を共有する、またその人の会いに行きたくなる。

こうすることで、長い付き合いができるようになり、感情に任せずにじっくりその問題に取り組むことができる。気がつけば「自分も当事者」になっている。

正直なところ、世の中にある理不尽な出来事に対して、非常に強い怒りを覚えることもあれば、そうでないときもある。できるだけその理不尽さに敏感でありたいと願う。

けれど詰まるところ、私という人間は、その想いに頼りすぎ、現実を直視できないあまり、「仕方のないこと」として自分を逃すしか方法がなくなってしまう、まさに本末転倒だったのではないか。

今年で25歳になる私はそんな葛藤をもちながら、いかに大きな幅で前に進むかを考える。

20歳前後の頃は、人生の時間はまだまだ長いと思っていたが、何か成し遂げるには、もう残された時間はないという恐怖がたまに顔を覗かせる。

「どんな立場の相手とも同じ時間を共有し、怒りも喜びも自分の実感として伝えていく」

会社を含めた組織には入らず、取材を続けると決めた。その先のことはわからないし、考えてもどうしようもない。

現在は毎日、私がいなくても社会は回っていることをひしひしと感じる。

未来はどうなるかなどわかるはずもない。

けれど、その来るべき未来を自分の意志で決められることに、わくわくしている。

このブログでの発信は、自分が様々な地に足を運んでいく中で、知らなかった新しい発見、感動、怒りなど様々な事象や感情を共有できる場所にしていきたいと考えている。

そこには、同じ意見もあれば、異なる意見もあるだろう。

その際は、私の考えを頭ごなしに否定するのではなく優しく包み込むようなアドバイスを頂けたらと思う。

なぜならインターネットはこれまでと比較にならないほどの大規模の言論の場を提供したその一方で、過激な言論空間によって、若い人たちがどんどん自分たちの世界に閉じこもっているような気がしているから。

失敗することを許さない社会からのプレッシャーによって、誰もが一歩を踏み出しにくくなった。すぐに社会から排除されてしまう、言うなれば閉じこもることで排除されずにすむ、「自分には関係のないこと」でいられる。

そんな社会に、少しでも他人の痛みを想像できるようなきっかけを届けていきたいと思っている。

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