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日本の医師による世界的な発見とは?-認知症の歴史を塗り替えた医師の物語

2015年06月09日 17時52分 JST | 更新 2016年06月07日 18時12分 JST
ASSOCIATED PRESS
In this photo taken May 19, 2015, Judith Chase Gilbert, of Arlington, Va., is loaded into a PET scanner at Georgetown University Hospital in Washington. Gilbert shows no signs of memory problems but volunteered for a new kind of scan as part of a study peeking into healthy brains to check for clues about Alzheimer's disease. (AP Photo/Evan Vucci)

「アルツハイマー」といえば、多くの方が知っている病名ではないでしょうか?

これは認知症のタイプのひとつ。現代医学においては、認知症にはほかに3つのタイプがあるとされています。実は、そのうちのひとつである「レビ―小体型認知症」を発見したのは、日本の精神科医である小阪憲司先生なのです。

小阪先生は、レビー小体型認知症だけでなく「石灰沈着を伴うびまん性神経原線維変化病」(小阪・柴山病)と「辺縁系神経原線維変化型認知症」、合わせて3つの病気を発見した、日本が世界に誇る精神科医です。小阪先生はこれらの病気を、すべて自分が主治医をしていた患者さんから発見しました。「臨床こそが自分の原点」と語る小阪先生に、レビー小体型認知症を発見するまでについてお伺いしました。

尊敬する先生の影響

私は学生時代を金沢大学で過ごしました。学生時代に所属していた部活動はバスケットボール部です。当時、バスケットボール部の顧問は、精神医学において有名な鳥園安雄教授でした。鳥園先生は実直で謙虚な方で、その影響で、私は医学生の頃からずっと、脳に関係する仕事をしたいと考えていました。

尊敬する鳥園先生には大学生活を通して大変お世話になりました。ところが、私が医学部6年生の時、その先生は東京の大学に移ってしまいました。そのような経緯もあり、また自分自身が三重県の伊勢市出身であったということもあり、1965年に金沢大学を卒業した後は小児精神科・精神病理学のメッカである名古屋大学神経科に入局し、無休副手としての生活が始まりました。当時は精神科という診療科はなく、神経科が今の精神科的な役割も、神経内科的な役割も果たしていました。

当時の大学病院は、今よりももっと、専門的な分野を深く扱う場所でした。そこで新たに興味を持ち、勉強を始めたのは神経病理です。神経病理を学んでいくうちに、脳の器質的な病気にも関心を持つようになりました。当時、一番初めに担当したのはアルツハイマー病の患者さんです。その後はピック病・パーキンソン病・ハンチントン病・ウィルソン病など、基本的な器質的疾患の患者さんを担当することで経験を積んでゆきました。

その中で、自分の受け持った患者さんの何人かが認知症であったことから、とりわけ認知症に関心を持つようになります。当時は日本語の教科書は全くなく、勉強するにも大変な状況でしたが、外国の本などを読んで、なんとか勉強しました。1960年代は認知症(当時は痴呆症と呼ばれていました)を専門に診ている人は少なく、ぼけと痴呆症との違いも曖昧な時代だったのです。

アルバイトをしていた病院での発見

私は大学病院の脳器質性精神障害の外来で、認知症の患者さんを診療していました。しかし当時、大学病院にくる認知症の患者さんは少なかったのです。その上当時の大学病院はほぼ無給で、大学病院に勤めながら、守山荘病院という精神科病院でのアルバイトで生計を立てなければなりませんでした。しかし結果としては、そのアルバイトをしていた病院が私の故郷のようになりました。私が見つけた3つの病気は全て、その病院で担当した患者さんから発見したものなのです。

臨床こそが原点ー患者さんを診ているうちに疑問を抱く

レビー小体型認知症は、守山荘病院に勤務していた頃に受け持った患者さんから発見しました。その患者さんは当時55歳でアルツハイマー病と診断され、初老期ながら認知症が始まっていました。またその一方で、パーキンソン症状が目立ちました。

確かにアルツハイマー病は末期になるとパーキンソン症状が出ることはあります。それでも、まだ歩けるような段階からパーキンソン症状がでるようなことは非常に稀なので、「どうしたことだろう。本当にアルツハイマー病なのだろうか」と疑問を持っていました。発症から10年経った頃、その患者さんは結局、急性腹症で亡くなられました。この時、ご家族に同意を得て、この患者さんの病理解剖を行わせて頂きました。

レビー小体型認知症を発見するまで

病理解剖をした結果、大脳にはアルツハイマー病のように見える所見があり、なおかつ脳幹にはレビー小体が数多くみられ、パーキンソン病の所見も確かにありました。このため、当初はこの患者さんをアルツハイマー病とパーキンソン病の合併症例かと思いました。しかし後になって、大脳皮質にはアルツハイマー病の病理所見はあるものの、それは軽く、むしろ多数のレビー小体があることが分かるのです。

私は、一見するとアルツハイマー病に見える大脳皮質を、詳しく調べてみました。すると大脳皮質の深層の神経細胞の中に赤く染まる小体があることが分かります。そこで私は、更にこの正体を詳しく調べたいと考えます。

しかし1970年前後は学生運動の時代で、「研究は悪」という風潮のある時代でした。私は大学病院では研究が満足にできないと考え、東京都精神医学総合研究所に移って、大脳皮質とその小体の研究を始めます。ここでの研究で、大脳皮質にみられた赤い玉のような物質は脳幹のレビー小体と一致することが分かり、私は大脳にも多数のレビー小体が出現することを発見しました。

こうして1976年、「大脳にも多数のレビー小体が出現して認知症とパーキンソン症状を示す」という症例報告を世界で初めて行ったのです。

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【執筆/インタビュー】

小阪 憲司先生

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レビー小体型認知症の発見者として世界的に有名な認知症疾患のスペシャリスト。長年、認知症治療や研究の第一線で活躍し、レビー小体型認知症の家族会を開催するなど、家族のサポートにも力を注いできた。「認知症治療には早期発見と早期診断、さらには適切な指導と薬剤選択が欠かせない」とし、現在も全国各地で講演やセミナーなども行い、認知症の啓発活動に努めている。