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「商売の王さま」と呼ばれる障害者集団――コンゴ川の国境ビジネスの展開 戸田美佳子 / アフリカ地域研究

2015年12月10日 02時19分 JST

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シリーズ「等身大のアフリカ/最前線のアフリカ」では、マスメディアが伝えてこなかったアフリカ、とくに等身大の日常生活や最前線の現地情報を気鋭の研究者、 熟練のフィールドワーカーがお伝えします。今月は「等身大のアフリカ」(協力:NPO法人アフリック・アフリカ)です。

コンゴ川の「商売の王さま」


アフリカ中部の大河コンゴ川を挟んで対位するコンゴ民主共和国(旧ザイール)の首都キンシャサとコンゴ共和国の首都ブラザヴィル。4キロメートルの川幅で隔てられた、世界で最も近接した二つの首都のあいだでは、川を渡ってたくさんの人や物が行き来している。

この両都市の港に、「商売の王さま」と称される障害者集団がいる。国内外での紛争を経験した両コンゴにおいて、目や肢体の不自由を抱えた人びとが、国境をまたいだビジネスを展開しているのである。

読者のなかには、ドキュメンタリー映画にもなった「スタッフ・ベンダ・ビリリ」と呼ばれる、下半身マヒを抱えた車椅子ミュージシャンとストリート・チルドレンが結成したバンドグループをご存知の方がいるのではないだろうか。ワールド・ミュージック界に旋風を巻き起こした「スタッフ・ベンダ・ビリリ」(注)のなかにも、港で商売をしていたメンバーがいたという。

(注)現在は活動を中断している。しかし、キンシャサには第2、第3のベンダ・ビリリと呼ばれる車いすミュージシャンが登場している。

政情不安を抱える国家のなかで、自らなんとか稼ぎを求めて港に集結してきたコンゴの障害者は、救済や援助の対象となる「社会的困窮者」とされてきた障害者像とは異なった躍動的な人々である。一体なにが彼らを突き動かしてきたのだろうか。そして、彼らの生計基盤はどのように維持されてきたのだろうか。本稿では、コンゴ川の国境貿易を担う障害者に関する現地調査を通じて見えてきたことを伝えてみたい。

ブラザヴィル港からキンシャサへと向かうフェリー。対岸に見えるのは、キンシャサ市の街並み。(2013年11月19日、筆者撮影)

コンゴにおける障害者政策


まずはアフリカの障害者に関して概説しよう。アフリカの障害者は人口の3~10%とされ、 その数は約5000万人と見積もられている(Chimedza and Peter 2006)。1981年の国際障害者年以降、多くのアフリカ諸国でも障害者の完全参加と平等に向けた取り組みがなされてきた。

2000年から2009年は「アフリカ障害者の10年」とされ、 現在は「第2次アフリカ障害者の10年」(2010~19年)と位置づけられる。アフリカの障害は、工業化と交通事故、 感染症、 紛争なども原因となっており、 貧困と相互に関連していることから、 近年では、 開発分野においても注目を集めつつある。2001年には「国連障害者の権利条約(CRPD)」が提案され、 2014年7月時点でアフリカの25ヵ国が批准している。

国連障害者の権利条約の批准状況(2014年7月時点)

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出所:United Nations Enable

こうした世界的な潮流のなかで、コンゴの障害者政策は非常に遅れてきた。1990年代にコンゴ戦争による急激な社会変動に晒されたコンゴ民主共和国(旧ザイール)と、2000年代初頭まで内戦を経験したコンゴ共和国では、公の社会福祉は長く放置されてきた。たとえば、隣国のカメルーンでは、1983 年には「障害者保護関連法」が制定され、1990 年に障害者の雇用機会促進のための政令が施行、1993 年には障害者手帳の運用がはじまり、障害者への社会サービスの枠組みが整えられている。

一方、コンゴ共和国では、障害者手帳の支給が法律で明記されているものの、その運用はいまだに開始されていない。コンゴ民主共和国にいたっては、憲法第49条に障害者に関する条文があるのみである。公的な支援が得られない代わりに、コンゴ共和国とコンゴ民主共和国では、民間の障害当事者団体が発行するカードが利用されている。このカードを提示すれば、公共交通機関(国営鉄道およびフェリー)が割引されるという優遇措置がある。とはいえ、障害者への社会サービスという点をみれば、両コンゴは障害者にとってきわめて暮らしにくい国であるといえるだろう。

自分でなんとかしなければ


若者であろうと年寄りであろうと/同じ現実に直面しているんだ、困難な人生に/毎日続く悪夢/第15条のようにするほか、なにができるというんだ/生きるために自分でなんとかしなければ/キンシャサでは

これは、1985年に、ザイールの最も有名な歌手のひとりであるPepe Kalleが歌った大ヒット曲『Article 15、 beta libanga』の歌詞の一部である。「第15条」とは、1960年にコンゴ・レオポルドヴィルから分離独立を宣言した南カサイの憲法第15条を指している(Kisangani and Bobb 2009: 124)、この第15条は、違法であったダイヤモンドの採掘をするよう暗に促したものであるとされ、政府が市民に対して自分でお金を稼ぐよう諭したものであるといわれている(Mayele 2008)。

結局、南カサイは1962年10月に統合されて独立は果たされず、憲法としての「第15条」はなくなったが、「第15条」という用語は、1970年代の経済低迷期のなかで、インフォーマル雑業、そして機知と賄賂の表現としてキンシャサ市民に広く認知されてきた。

フランス語に「なんとかやっていく」という意味のdébrouillerという動詞があるが、フランス語圏アフリカ諸国では、国や社会があてにならないという諦めのなかでも、臨機応変にその場を切り抜け、自分でなんとかやっていかなければならない場面が多く、この言葉がよく用いられている(cf. 野元 2005)。

旧ザイールの経済が混迷をきわめていた1980年代中頃には、故モブツ大統領も国民への演説のなかで、国に頼らずに生活していくように国民にメッセージを送ったといわれている。大統領までもが国民に自分でなんとかせよというほどに経済状況は苦しかったのである。まして障害者に対する公的支援をする金銭的余裕は、国にはなかっただろう。こうしてキンシャサの障害者は、社会に支援を求めるのではなく、自らなんとか生活を成り立たせるために港でのビジネスをはじめたのである。

コンゴ川における国境ビジネスと障害者


キンシャサの港で長く働いてきた車いすユーザーの男性マッソ氏(仮名、1958年キンシャサ生まれ)によると、障害者が港で働きだしたのは50年近く前からだという。マッソ氏が港にやってきたのは、中等教育修了証を取得した17歳の時だったと話す。

(マッソ氏は)高齢の父から世話を受け続けるのはよくないと、港で働く障害者のつてを頼ってキンシャサの河港にやってきた。「マタディ号」という大型フェリーが登場し、身体障害者は、運搬用の三輪車にまたがって大量の物資を輸送することができるようになった時期であった。同じ時期に、毎週月、水、金曜日に障害者の運賃が半額に設定されて、障害者によるコンゴ川の国境貿易が盛んになり始めた。1975年には港で働く障害者は50人に満たなかったが、障害者が港で働く様子が知れわたるようになると、地方からキンシャサにやってきた障害者がこぞってコンゴ川貿易に参集した。あっという間に港で働く障害者は100人を越え、1980年代には港で働く障害者の組織もつくられた(2013年11月28日、キンシャサ港マッソ氏談)。

1970年代初頭に、荷物の運搬が可能な大型の車いすも積めるフェリーが登場したことは、コンゴ川の障害者ビジネスの発展の大きな要因である。しかし、それよりも重要なのは、障害者に対する優遇措置が実施されたことであった。この障害者の優遇措置は、障害者に対する公的支援もままならないほどの状況であったことから、結果的に、国家によって明文化されずに、暗黙の了解として利用され続け、現在の両コンゴの障害者ビジネスへとつながっているのである。

障害者の国境ビジネス


毎朝8時、港に入るための頑丈な鉄格子の扉が開かれると、警察官や税関職員が目を光らせるなか、大量の物資を抱えた人びとがフェリーに乗り込もうと一目散に駆け抜ける。その数は、一日に1000人以上。その半数近くが身体障害者である。

2013年11月の調査当時、港は、視覚障害者や車いすに乗る身体障害者といった大勢の障害者トレーダーで溢れかえっていた。彼らの仕事場は、国境という国家の統制が発揮される場所であり、しかも、アフリカでも最も政治の腐敗が指摘されているコンゴ民主共和国の出入り口である。煩雑で不透明な手続きを済ませて国境を越えることは簡単なことではない。まず、港には運賃や諸税が明記されていない。そのため新参の乗船客は、必ず港職員と交渉しなければならない。また、ブラザヴィルとキンシャサの港では費用が異なっているため、両方の事情に精通している必要もある。

フェリーの乗船客を待ち構える警察官や憲兵、税関職員。乗船客は、この幅の狭い桟橋の上で要求されるさまざまなコミッションをくぐり抜けて入国する。(2013年11月22日、筆者撮影)

キンシャサでは、一般の乗客のフェリー運賃は約20米ドルであるのに対し(曜日・時間帯によって運賃は変動する上に、新参者かどうかによっても要求される値段は異なる)、障害者はその半額である。一方、ブラザヴィルでは、障害者と非障害者は同じ約11米ドルの運賃が適用されていた。

両コンゴ国籍の人であれば、72時間以内の滞在が認められる通行許可証があれば国境をまたぐことが可能であったが、そのほかの国籍の人びとはパスポートと査証が必須となっていた。そのため、外国籍の商人が国境ビジネスをおこなうことは容易ではない。また障害者は、手数料を払って通行許可証を発行してもらえば、介助者として非障害者を同伴することができる。さらに両国の障害者は、荷物を輸送する際の関税も優遇されていた。

このように障害者は、港における障害者割引制度を利用して、各々の機能的な障害に合わせた仕事を営んでいる。港職員はこの状況を「それが彼らの仕事だから」と言って見ないふりをしていた。

たとえば、障害者付き添い制度を利用し、大幅な割引が適用される介助者として一般客の国境での移動を助ける「運送業者」と呼ばれる仕事がある。視覚障害者が一般の旅客の肩に手を置き、旅客を介助者として同伴させることで、旅客は一般運賃より安価で両国を移動することが可能となる。特に、身分証明書を所持していないなどの事情で、ひとりでは厳重な国境警備を通過することが困難な人が顧客となっている。

キンシャサとブラザヴィルの物価の違いを利用した小売業もある。両都市では、海外からの流通経路や通貨が違うことや、キンシャサでしか製造されていない商品があることから物価が異なっている。この違いを利用して、おもにキンシャサの障害者が、ブラザヴィルにはない食パンやビスケット、薬などをブラザヴィル港周辺にある非公認の露店市で転売して収入を得ている。

そして、港の仕事のなかでもっとも規模が大きく有名な仕事が、冒頭で紹介した「商売の王さま」と称される障害者集団が担う輸送荷物の仲介業である。障害者に対する関税の優遇を利用して、障害者団体が輸入品の関税手続きと輸送を代行するという商売である。

ブラザヴィル港での仲介業は、ブラザヴィルに暮らす身体障害者が中心になって組織した団体が独占的に担ってきた。1980年代にできたこの団体は、港で働く身体障害者が、警察官や税関職員、両都市の商店主たちと集団で交渉するためのギルドのような組織である。2009年には港の「公認」団体となり、公的に保護されてきた。メンバーは、おもに運動障害を抱える人びとからなり、2013年11月時点で225人が加入していた(ただし実際港で活動しているのは100人ほど)。彼らは、携帯電話を利用して両都市のパートナーの商人から仕事の依頼を受け、投票で選ばれた事務局を中心に、組織だった活動をおこなっていた。

朝8時に港にやってきた障害者団体のメンバーは、夕方の16時過ぎまで随時キンシャサから運搬される荷物を各々の運搬用の車いすに積んでいく。最終便が到着して全ての梱包が終わると、団体代表が関税申告書(一枚につき約8米ドル)を支払い、まとめて輸入品の関税手続きをおこなう。(2013年11月22日、筆者撮影)

18時になると、障害者はそれぞれの介助者に運搬を手伝ってもらい、港から約1.5キロメートル離れた街中までやってきて、取引先と商品の受け渡しをおこなう。そして、20時半を回ったころにやっと1日の仕事を終え、タクシーや乗り合いバス、車いすで帰宅する。(2013年11月22日、筆者撮影)

関税の減免が認められているとはいえ、あくまで非公式なものであり、障害者が各々に関税申告書を記入し、関税職員と直接交渉することは容易ではない。個人での取引では、弁が立つ者や読み書きに秀でた者とそうでない者とのあいだに差が生じかねない。そのため、障害者たちは団体を組織したのである。代表者は、港の職員の上層部と金銭によるつながりがあり、そのためにより高い関税の減免率を実現できた。

団体の成員が得られるのは経済的な利益だけではない。障害者団体は、全メンバーから徴収した団体加入代や毎月の分担金をメンバーの葬儀費用や治療費に利用してきた。経済的なつながりが団体の基軸となってはいたが、団体には保険機能も備わっており、社会的な連帯も内在している。そしてなにより障害者は、公認された団体の一員となることで、「正当」な仕事で成功した者としての社会的立場を確立させてきた。

障害者ビジネスが生み出す人・物


荷物の梱包や運搬作業をおこなうのが著しく困難な運動障害を抱えた人たちが運搬業で生計を立てられるのは、「介助者」と呼ばれる若者たちがいるからである。障害者は、ストリート・チルドレンやこそ泥をしていた若者に声をかけ、介助者として各々に雇用している。「介助」といえば一般には障害者に対する「支援」が想定されるが、国境ビジネスを担う障害者の場合はそれとは異なり、雇用という形で「介助者」との関係が成り立っていた。

障害者が生計のために生み出したものは、介助者との雇用関係だけではない。障害者トレーダーのあいだでは、改良三輪車が人気を集めていた。コンゴでは、障害者用の補助具などに対する公的給付はなく、慈善団体や篤志家などからの寄付も限定的である。そのため障害者は、自ら車いすなどを購入しなければならない。そのような状況下で障害者自身がつくり出したのが、オートバイを改良した三輪車であった。この改良三輪車の利用によって、障害をもつトレーダーは、日々の仕事の効率を上げている。障害者自身の創作物だからこそ、彼らの生計活動に真に役立つ器具が生まれてきたのだろう。(注)

(注)ただし、オートバイは1台約1000米ドルもするため、国境ビジネスで儲けてはじめて改良三輪車を手に入れられる。わたしも、「日本には中古バイクがたくさんあるんだろう、買い取るから持ってきてくれないか」と何度も要望を受けた。

身体障害者用の改良三輪車。左手でギアチェンジをおこなう。(2013年11月21日、筆者撮影)

障害者ビジネスの行く末


コンゴ川における障害者の国境ビジネスは、政府に頼らず生活を成り立たせてきた人びとの生き残り術のひとつとして生まれ、公的な機関や関係者とかかわることで長期にわたって維持されてきた。ただし、変動するアフリカの社会・経済状況のなかで、障害者の国境ビジネスには常に不確実性も内在している。

2013年には、アフリカ開発銀行の資金を得て、ブラザヴィルとキンシャサに橋と鉄道を架ける大型プロジェクトが進行していた。この橋ができれば、障害者の国境ビジネスの形態は変わっていくだろう。(注)

(注)たとえばケニアとウガンダの国境では、手こぎ車いすを利用した陸上の国境ビジネスが展開されている(Whyte and Muyinda 2007)

また、国際的な潮流としての経済の自由化がコンゴでも進み、関税が撤廃されたら、やはり障害者の国境ビジネスは成り立たなくなる。機会平等や経済の自由化が重要であることは否定しないが、それが結果として社会的マイノリティの生活をより困難なものにしてしまう危険性を内包していることには注意を払う必要があるだろう。そして実際に、2014年にコンゴ川の障害者による国境ビジネスは大きな転機を迎えたのである。

誰ひとりいない港(2014年11月24日、筆者撮影)

わたしが1年ぶりにコンゴ川の両港を訪れると、そこには誰もいなかった。港で30年以上続いてきたブラザヴィルとキンシャサの人や物資の行き来が、6カ月以上も停止していたのである。

近年、ブラザヴィル市ではキンシャサの若者たちによる犯罪の増加が問題となっていた。そしてブラザヴィルで起きたある殺人事件をきっかけに、2014年4月、ブラザヴィルに暮らす全てのコンゴ民主共和国籍者を対象に、「バタ・ヤ・バコロMbata ya Bakolo」作戦と呼ばれる、不法滞在者のキンシャサへの強制送還がはじまった。警察官1500人以上が動員され、2014年5月5日までに、自主帰国も含めるとブラザヴィル市の人口の1割を超える20万人以上がキンシャサに送り返されたと伝えられている。

強制帰国させられたコンゴ民主共和国籍者のなかには、何十年もブラザヴィルで暮らしていたために、家族も住む場所もなくキンシャサ市内の路上やスタジアムでテント暮らしを余儀なくされた人びとが1000人を越した。こういった事態を受けて、国連は「バタ・ヤ・バコロ」オペレーションを重大な人権侵害として警告している。

コンゴ共和国の警察は、港で利用されてきた通行許可証が、キンシャサから犯罪者の入国を許してきたと発表し、全面的にその利用を禁止した。2014年5月には、両コンゴでビザの取得が義務化されたが、大使館は一般市民への発行を許しておらず、実質的に市民は移動することができなくなっている。

加えて、強制送還のために政府が要請したフェリーの運航代約75万米ドルが未払いのままであったため、港の職員への給料の支払いが滞り、港ではストライキが実施された。こうして4月以降、フェリーの運航が停止し、それにともなって港での活動が全て停止していた。これにより、キンシャサで製造される工業製品を中心にブラザヴィルでは物価が高騰し、ブラザヴィルの市民の生活は厳しくなりつつあった。そして警察による強制送還は、コンゴ川で流通を担ってきた障害者に最も大きな打撃を与えた。

河川貿易の停止によって、大多数の障害者トレーダーは稼ぎを失った。問題はお金だけではない。キンシャサとのパイプが国境ビジネスに役立つこともあって、障害者男性トレーダーの多くがキンシャサ出身の配偶者をもっていた。しかし、強制送還によって、多くの男性トレーダーは、キンシャサ出身の妻や子どもと離ればなれになってしまった。

仕事と日常の移動を手伝っていた介助者も、お金を求めて、これまでキンシャサ出身者が担ってきたインフォーマル雑業へ転身し、彼らの元を離れてしまった。2014年11月時点では、100人近くのトレーダーが、家を出るための手段もなく、家族になんとか支えられながら生活していた。

「生まれてからこんなにひどい対応を受けたのははじめて(障害者トレーダー40代男性談)」。

「お金があれば、障害者は社会のなかにいる、家族のなかにいる、お金がなければなにもなくなる(仲介業を担う団体職員秘書50代男性談)」。

彼らが語る言葉は、障害者トレーダーが置かれている困難な現状を表している。

おわりに


障害者が担ってきたコンゴ川の国境ビジネスには、両コンゴにおける国家の仕組みが垣間見える。障害者優遇措置を利用した障害当事者たちによる自律的なビジネスに見られるように、彼らはあいまいな制度のなかで商才を発揮してきたといえる。こうして収入を得るすべを見つけた障害者の周辺では、介助者は被雇用関係として機能しており、障害の社会モデルでいう「無力化する社会(Disabling Society)」とは逆に、障害当事者が活躍する状況が生まれていた。他方で、2014年に規制が厳しくなると、障害者は非障害者以上に大きな影響を受けて、生活が立ち行かなくなっていた。

このことは否定的な見方をすれば、「違法者が<正しく>取り締まられた」や「国のお荷物が整理された」というふうに見られるかもかもしれない。しかし障害者の国境ビジネスを目の当たりにしたわたしには、そのようには思えない。

彼ら障害者もブラザヴィルに暮らす住民の一人として警察の実力行使に巻き込まれていった。彼らは社会の中で生活しているからこそ、時に国家に翻弄され、生きにくい都市社会を逞しくも生きている。そしてコンゴ川の国境ビジネスからは、日本や欧米のように平等を目指してきた社会では逆に、障害者の主体的な生活基盤が維持しづらいのはなぜなのかという問いも生まれてくる。

彼らのビジネスがどうなっていくのか、わたしにはまだわからない。次に訪れたときには、彼らのどのような姿に出会うのだろうか。期待と不安を抱えて、わたしはまたコンゴ川の港へ向かうことにする。

※本稿に関するより詳しい内容については、拙著「国境をまたぐ障害者―コンゴ川の障害者ビジネスと国家―」(森壮也編、 研究双書No.622『アフリカの障害者―障害と開発の視点から―』、 2016年1月刊行予定)にまとめられているので、合わせてご一読いただきたい。

参考文献

野元美佐2005.『アフリカ都市の民族誌―カメルーンの「商人」バミレケのカネと故郷』明石書店.

Chimedza, Robert and Suzan J. Peter 2006. "Disability in Contemporary Africa." In Encyclopedia of disability, edited by Albrecht, Gary L. Thousand oaks: Sage Publications, pp. 423-429.

Kisangani, Emizet F. and F. Scott Bobb.2009. Historical Dictionary of the Democratic Republic of the Congo . (Historical Dictionaries of Africa, no. 112). Lanham: Scarecrow Press.

Mayele, Isaac. 2008. "Les principales causes et perspectives de développement pour la lutte contre la pauvreté urbaine à  Kinshasa. " Université catholique du Congo.

Whyte, S Reynolds and Herbert Muyinda. 2007. "Wheels and New Legs: Mobilization in Uganda." In Disability in Local and Global Worlds, edited by Benedicte Ingstad and Susan Reynolds Whyte. Berkeley: University of California Press, pp. 287-310.

越境する障害者――アフリカ熱帯林に暮らす障害者の民族誌

作者: 戸田美佳子

出版社/メーカー:明石書店

発売日: 2015-04-04

メディア: 単行本






等身大のアフリカ/最前線のアフリカ(アフリカ地域研究者報告)
シリーズ「等身大のアフリカ/最前線のアフリカ」では、マスメディアが伝えてこなかったアフリカ、とくに等身大の日常生活や最前線の現地情報を気鋭の研究者、 熟練のフィールドワーカーがお伝えします。偶数月は「等身大のアフリカ」、アフリカ各地の現地事情をさまざまな角度から紹介します(協力:NPO法人アフリック・アフリカ)。奇数月は「最前線のアフリカ」、アフリカに関する最新の時事問題を解説します。

「等身大のアフリカ/最前線のアフリカ」第1期編集委員会


湖中真哉(静岡県立大学国際関係学部)
松浦直毅(静岡県立大学国際関係学部)
岩井雪乃(早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター)

戸田美佳子(とだ・みかこ)
アフリカ地域研究

国立民族学博物館・文化資源研究センター機関研究員。NPO法人アフリック・アフリカ会員。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科アフリカ地域研究専攻の博士課程を修了。博士(地域研究)。専攻は生態人類学、 アフリカ地域研究。2006年から中部アフリカのカメルーン共和国やコンゴ共和国、コンゴ民主共和国でフィールドワークをおこない、障害者に関する人類学的研究や、アフリカ熱帯雨林における森林資源の利用に関する実践的研究にたずさわってきた。主要著書に『越境する障害者―アフリカ熱帯林に暮らす障害者の民族誌』(2015年、明石書店)などがある。

(2015年12月8日「SYNODOS」より転載)

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