新聞記者にズバリ聞く!未来のために、新聞ができることってなんですか?

「ちゃんと調査して、万人が考えるいい方法だというものを見つけて、知らせる。そうして世の中が動くと僕は信じています」(歴史学者の磯田道史さん)

「朝日新聞 未来メディアカフェ」が11月9日、京都市のフォーチュンガーデン京都で開催されました。初めての関西での開催となった第10回のタイトルは「どうなる、日本の未来」。

前編では、歴史学者の磯田道史さんと作家の万城目学さんが対談し、中島啓勝・京都文教大学非常勤講師を進行役に日本の未来像について考えました。後編では、続いて行われたイベント参加者のみなさんと朝日新聞京都総局の記者とのトークセッションを紹介します。京都総局から登壇したのは、久我誠総局長と中堅の西村宏治記者、若手の松本江里加記者です。

現役の新聞記者の生の声を聞ける機会とあって、参加者のみなさんも興味津々の様子で、矢継ぎ早に質問が飛び交っていました。参加者、そして登壇者からの質問に対し記者からは、現場の実感が率直に語られました。

普段、様々なメディアに関わる磯田さんも「記事を書いている人たちと直接会って話す。これが一番重要なんです」と力説します。磯田さん自身、「顔を見ないものは信じない」といい、「歴史の教科書で見た人物も、実際に墓を見るまで信じていませんでした。大久保利通のことも、墓を確認しに行きました」と話します。トークセッションでは、参加者だけでなく磯田さん自身が、新聞の表現について記者に問う場面もありました。

なぜ、新聞には「どこかで見た表現」が並ぶのか?

磯田:新聞で「バールのようなものでこじ開けた」といった予定調和の表現が多いのは、なぜですか。僕は実際にバールを見に行きましたが、バールといってもいろいろな種類があります。

久我:ずっと事件原稿を書いてきた経験から言いますと、「バールのようなもの」というのは、警察が発表した広報文の表現をそのまま書いたものでしょう。我々は短時間で原稿を送らなければいけない。

近年はインターネットでも配信するようになり1分1秒を争って出稿するため、警察が発表した表現をそのまま使うことがままあります。まずは、間違いのない原稿を早く出すことが最優先。「夜回り」に出なければならない時間がせまってきている中で、短時間で何本もの広報を処理するということを日常的にやっています。記者は、そういう決まった仕事をしながら、ずっと自分があたためて取材を続けているネタを早く取材したいと考えているのです。

磯田:同様に、事故が起きて救出作業になると「疲労の色が濃くなった」という表現が出てきます。しかし、実際には元気な人だっているかもしれない。

久我:そういう定型の表現をたくさん持っていると、書くスピードが上がります。経験を積んで表現のパターンの引き出しをたくさん持って、事件が発生したらどの類型に当てはまるのかを考えて記事を書きます。

磯田:いい表現が瞬時に書けるのが、プロの記者ではないでしょうか。書く修業を積んだ者だけが、多数に向けて表現できると僕は考えます。

会場から:一つの記事を書くのに何人の人が原稿チェックしますか。

西村:記者は基本的に担当デスクと1対1のやりとりです。色々と注文がきて、そこで原稿を固めます。校閲担当者によるチェックも入ります。万城目さん、作家の場合、編集者と話をしながら書くのですか。

万城目:僕はもう完全に誰の意見も聞きませんね(会場笑)。僕は自分が書きたいものを書きたいだけなので、小説家としてスタンド・アローンの道を選んだのです。

朝日新聞は、無二のメディアになれるか

会場から:新聞の役割って何ですか。

松本記者:基本的には瓦版と変わらないと思っています。私は入社一年目で事件・事故の担当なので、地域で何が起きたのか、どうして起こったのか、を正確に分かりやすく伝えるのが、第一の役割と思っています。

西村:現場の記者として、自分が見て感じたことをできる限り書き残すことを意識しています。何十年後かに、当時の人はこう考えていたとか、言っていたということに使ってもらいたい。その後ずっと読者さんがいるというイメージがあって、なるべく書き残す、見たまま書くというのが基本にあります。もう一つ、コラム面では自分なりの視点をどう出していくか。読者の皆さんと一緒に考えていく中で、議論の土台になればと考えています。

会場から:朝日新聞はオンリーワンになれますか。

西村:朝日新聞がというよりは、私自身が記者としてオンリーワンになれるかを常に問われている状況です。記者・西村じゃないと書けない記事は何なのか、とプレッシャーを感じながら日々仕事をしています。そのためにはまず、得意分野があること。私は経済担当が長く、特にメーカー系は取材経験が多いので得意なつもりです。専門的な分野のことを、もう一歩わかりやすくするためにはどう書くか、私だから書ける記事を意識しています。

会場から: (オンリーワンといいながら)両論併記でいいのか。

西村:現場で取材をしていると、論は必ずしも二つではないです。いろんな見方がある中で、紙面の限られたスペースに書くのに部分的に切り取るしかなく、そこで一つの見方でいいのかということは意識します。

主張するための紙面は、論説委員が社説などで書いていますが、現場記者の私の場合は、今こういうことが起きていて、こんな問題点がありますと伝えていく。そこにもう一つの見方を入れる。二つの論を書く場合でも、両方を同じ分量にすることはありません。一つの論で書ききったほうがわかりやすいと思って迷うこともありますが、別の見方も入れておこうという判断が働くことが多いのが実感です。

新聞は、伝えるのか、変革するのか

磯田:僕は新聞に文章を書くとき、新聞の役割をはっきりと意識しています。それは、世の中を動かすことだと思っています。これはできたと思った一例があります。去年(2015年)の夏のことでした。静岡県沼津市に高尾山古墳があります。これは卑弥呼と同時代の東国で最古かつ最大の古墳だったのですが、それを市が渋滞緩和の道路工事で破壊すると決めたのです。ところが話を聞いてみると、本当は市長も壊したくはなかった。国からの補助金で既に工事を進めてしまっていたために、このまま壊さないと国の補助金に影響するからというのが理由でした。

僕はびっくりして、まずは地元の放送局に働きかけました。ところが放送局は許認可事業なので、保存側と破壊側の両論を併記しないと放送できない。これが新聞と大きく違うところです。保存を求めるのに放送は限界があると思い、国土交通省に対して新聞で呼びかけました。すると翌週、国土交通省高官から「会いましょう」と連絡がありました。そこで合意ができる落としどころをあらかじめ考えていって話し合い、古墳は守られたのです。これは正しいと思ってやれば、世の中が変わる。新聞はこのように使うべきだ、と僕は確信を持ってやっています。散々文句も言っていますが、新聞記者というのは生涯をかけられるいい仕事です。

役所もマスコミも、鉄のトライアングルみたいにもたれあっている構造があって、忖度(そんたく)して本当のことを書かないのではないかと思われた時、新聞が死ぬんです。それをやらないようにして、ちゃんと調査して、万人が考えるいい方法だというものを見つけて、知らせる。そうして世の中が動くと僕は信じています。

西村: (知らせることが、世の中の動きにつながることが)まさにこの仕事の一番の醍醐味です。私も東日本大震災の後に仙台に行っていて、現場で取材を重ねる中で、女性の失業率が高い現状を知り、そのことを書きました。沿岸部にあった魚の加工工場が無くなったことで、パート女性の仕事が無くなった。

後に工場が復活したけれど、沿岸部から離れた仮設住宅からは車がなければ通勤できない。そんな現状を書いたところ、国会でもいくつか取り上げられて、女性にもう少し目配りをする復興支援策を考えるべきだという議論になったんです。記者冥利に尽きます。とはいえ、そういう経験が常にできるわけではないのですが、この仕事をやっていて本当によかったという時はあります。

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