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イスラームの世界、そこが知りたい! メッカ巡礼編、神様との至福の時間を求めて、いざサウジアラビアのメッカへ!

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9月5日早朝、シンガポール・チャンギ国際空港に到着。日本からサウジアラビアのメッカへ向かう途中のトランジットのため、次のフライトまで12時間の待ち時間もある。長時間を持て余すことに慣れていない自分はこの長い待ち時間をどう潰すかで気が重い。メッカといえば巡礼、また巡礼といえばメッカという具合にこの二つが連想上切り離せないものである。

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なので、今回の旅の目的は、当然ながら、巡礼となる。そして、この12時間という退屈で無駄になりがちなトランジェット時間は少しでも有意義に活用するためにも、ハッジ(巡礼)の予備知識や儀礼のノウハウなどを受験勉強並みに頭に叩き込むことにした。ところが、なかなかそうは決めても、またいくらやる気をだしてやろうと思っても、予定通りの時間活用計画は進まないものだ。けれど、物事がうまくいかないのも旅の楽しみのひとつなのかもしれない。そうそう、言い忘れたのだが、巡礼に臨む人は怒ったりまたは不満不平を言ったりしてはいけないのがルールのひとつ。

巡礼の準備ルールや条件はいろいろとあるが、その中の絶対にはずせない条件のひとつは、巡礼者は巡礼路の途中のある地点で巡礼服に着変えた上で巡礼への意志を宣言しメッカに向かうということ。そして、今回の私の場合も、ジェッダへ向かうフライトで特定の地点を通過した際に巡礼服へ着替えた上、特定の言葉を唱えて巡礼への宣言を行うのが必須条件。そういうこともあって、自分は、いつもと違って、世界的に知られているシンガポール空港のその楽しみが多い施設やお店に関心が湧くことなく、着替える場所とそのタイミングを考えることで頭がいっぱいだった。

そして、巡礼の衣装を片手にうろうろと歩き回りながら、巡礼服へ着替える時間を見計らってちょっぴり構え気味だった。実は、巡礼服を着るのは、今回で2回目となるが、正直、下着も着ずに白い厚げの布2枚だけで身を包むのはあまり着心地の良いものではなかった。下半身用の布はロングスカートのように腰に巻いて体を包むように着るのだが、上半身に使う布は肩と背中全体に合わせて大きなショールのように羽織る感じだ。

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飛行機の搭乗口で、巡礼服に着替えた白ずくめの人達に囲まれイスラーム世界がひとつの家族のようになった気分が漂う中、当然、隣のシンガポール人男性に話しかけられた。「お一人ですか?」と聞かれ、「はい」と私は答えると、「国籍や家族、仕事など」と次々と彼から質問が飛ぶ。不思議なことに数分が経たない内に、なぜか、すぐにお互いに意気投合。話の中身というと、「ハッジはお金がかかるとか」、「今年参加できなかった妹さんのお話とか」、「子供は40年授からなかった」とか、 何だが、遠い知り合いのような感じがした。イスラームで世界がつながっているということを実感できた瞬間だ。

最後は、名前を聞き合った。「こちらはモーメンです」と私がいうと、向こうは笑みを浮かべながら、「アブドーラです、よろしく」と。自分の名字と同じ名前のシンガポール人に出会えるとは思ってもみなかった。そして、見ず知らずの土地で、数分前に知り合ったばかりの、見ず知らずのシンガポール人男性との立ち話でイスラームとアラビア語のスケールの大きさをひしひしと感じた。こうした気持ちにかけられながら、真っ白のたった2枚の布だけに身を包んだまま、搭乗口へ向かった。

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そして、空港の華やかなブランド品やお土産の店が立ち並ぶフォロワを突き抜ける自分の脳裏にはなぜか変な考えがよぎった。自分は物欲が溢れる現在の文明社会を後にしながら、巡礼を通して神様(アッラー)への信仰とその行いで全て評価される世界へ通っていくような気がしてならなかった。そしてその狭間に揺れる自分もいた。神様(アッラー)を理屈なくまた心のそこから信じるという意味のメソロジーの分人が、思想や行動、生活の仕方などを根底的に制約している観念のイデオロギーの分人に勝った瞬間だった。

一方、イスラームの巡礼とは、アラビア語で「ハッジ」と呼ばれ、すべてのイスラーム教徒にとって、少なくとも人生のうちに1回は、ハッジ(メッカ巡礼)が義務付けられている。ただし、巡礼に行ける体力や財力のある者のみが行えば良いものとされている。巡礼を通して信仰を深めるとともに神様(アッラー)に自分のこれまでの悪行や罪を許してもらえるように慈悲を請う旅だということである。そうすることで、生まれたばかりの赤ちゃんのように罪のメーターがゼロに戻されることになる・・かもしれない。この「かもしれない」というのは、100%保証はないということだ。なぜなら、巡礼は巡礼でも、中身のしっかりしたものもあれば、形だけで終わるものもある。

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だから、巡礼は、ただ巡礼者がメッカへ行くだけで済むものではない。巡礼をちゃんとしたものにするにはいろいろな条件を満たすことが必要となる。例えば、出発する前に本人のそれまでの人生に於いて関わってきた周りの人達に迷惑や不快な思いなどを許してもらうようお願いしたりや和解したりすること。また、自分が借りていたお金を返すなど。つまり、ただ巡礼へ行きたいという気持ちだけでなく、行動も伴わなきゃ成り立たないものだということである。巡礼期間はおよそ一週間になるが、その間は普段以上に神様(アッラー)と向き合い神聖な気持ちで過ごすのである。

アッラーの他に神はなし」と「預言者ムハンマドはアッラー の使徒なり」。この世界で一神教の最後の宗教となるイスラームの極意だ。その一大行事となるハッジ(巡礼)を全うしようとする世界中から集まってきた人々とその神聖な気持ちがひとつになる至福のひと時がもうすぐ始まる。