トランプ合衆国の光と影!

「トランプ化」のような現象は今に始まったことだろうか。トランプのこういうやり方は彼だけのものなのか。彼のこういうやり方は間違っているのだろうか。

「トランプ砲」と「品格」の行方!

アメリカのトランプ大統領がツイッターを利用して攻撃することを「トランプ砲」と言うそうだ。

連日のように伝えられるそのトランプ砲に揺れる世界情勢を前に、私は数年前にベストセラーとなった「国家の品格」という本を思い出した。その中心のキーワードとなった「品格」は考え深いものである。

そもそも「品格」とはどのようなことだろう。国家ともなれば、その品格の条件とはどんなものだろうか。人とその味方によっては、様々な意見があるだろう。著者の藤原正彦氏によれば、「国家の品格」とは、「情緒」と「形 」によって成りっているものだという。つまり、この二つが合わさったものとしての国柄だということもできる。

「情緒」とは、字義通りの喜怒哀楽のような意味ではなく、例えば、アメリカの場合は「人を差別しない、相手を受けいれる気持ちなどといった、教育によって培われるもの」で、また、アメリカ品格の有する「形」とは、「主に、多様に共存共生などからくる行動基準」という。

しかし、今では、トランプが掲げる新しい論理とその理屈「アメリカファースト」が席巻する世界は、今はまさしく「国家の品格」ならぬ「人間社会の品格」が揺れている状況のように思えてならない。

現在進行中のトランプ現象では、世界を野卑な論理で均一化することであり、グローバル化に抵抗し、世界の中で「最強のアメリカ」を貫かねばならないと主張している。

藤原氏によれば、人間にとって最も重要なことの多くは論理的に説明できないという。論理的にいうなら、「人を差別してはならない理由」も「人を差別していい理由」もいくつでも挙げることができる。

しかし、トランプ流の「マッチョ論」では、その詭弁が通っていれば、いかに非道なことでも「良し」とする。そして最近の国民はなぜかそれを受け入れやすい傾向にあるように思える。例え、それが「捕虜への拷問」や「他宗教や民族への差別や蔑視」であっても、である。

「トランプ」と「オバマ」、どっちもどっち!

トランプ政権が誕生してから3週間。この短期間で新大統領が数多の騒動を起こし、アメリカや世界を混乱に陥れていることは説明するまでもない。

その一方でトランプ大統領の誕生によって、世界は、民主主義やグローバル化、移民社会などというこれまでの既存の諸問題について改めて考えさせられる良い刺激剤となるなど、意外と良い面もあると言えそうだ。

しかし、この「トランプ化」のような現象は今に始まったことだろうか。また、トランプのこういうやり方は彼だけのものなのか。あるいは、逆に、彼のこういうやり方は間違っているのだろうか。

新政権を発足後に、トランプ大統領が矢継ぎ早に出した大統領令の中、中東アラブ諸国を怒らせ、また世界を騒がせた、「アラブ・イスラム諸国7つの国のアメリカへの入国禁止令」であるが、さらには、アメリカによる第2次大戦中の日系人強制収容を引き合いに、 テロ対策としてイスラム教徒の入国者や移民の登録制度の必要性を主張し、批判が高まっている。

しかし、実は、調べてみると、ブッシュ政権やオバマ政権のときも、似たような大統領令が打ち出されていた。ブッシュ政権時代の2002年〜オバマ政権の2011年までに既にテロ対策として中東・イスラム諸国地域の24カ国を対象にその入国者や移民の登録制度が実施されていた。

つまり、トランプ政権が誕生する前からでも、またトランプ政権同様に、イスラム教徒の人口が多い国に対する差別的な大統領令やその政策が既に実施されていたことが分かる。しかも、その制限対象が、7カ国どころか、24の国々にも及んでいた。理由はトランプ大統領同様にアメリカをテロの危機から守るためだということだった。

しかし、どうやらテロ対策に全く効果がなかったためか、当時のオバマ大統領はその政策を見直し、大統領令によって2011年に終了を宣言し、2016年の年期ぎりぎりに廃止された。「こいとつもどいつも似たようなものだ」---- その事実を前にしてイスラム教徒がそう思うのも無理はないだろう。こういった話はメキシコとの国境に建設する壁の問題と同様にオバマ政権の時代からスタートした話なのである。事実、オバマ政権の時代に「壁」ではなかったが、メキシコとの国境線に1000キロメートルに及ぶ頑丈なフェンスが既にできていた。

しかも、その壁の建設を受注されたのは、イスラエルとその占領地であるパレスチナを分断する「分離壁」を建設したイスラエル系の建設会社と同じ会社なのである。厚顔無恥なトランプ大統領とは違って、オバマ氏は、一応「アメリカの品格」を維持しているように見せていたが、見方によっては、結局、同じことをしていたとも取れる。

言ってみれば、オバマとトランプの違いとは、政策内容と言うよりも、その方法論と手法だと言える。そして、そのマインドがダブルスタンダードなのかそうではないかの差だけなのだ。もちろん、いずれも良いとは言えない選択肢である。

「壁」の政策、「分離」と「保護」の狭間に

こうして考えてみると、トランプ大統領の流儀には潔いとも取れる一面があると言える。彼はダブルスタンダードで物事を通すのではなく、自身の我流による単一スタンダードを貫くことを軸としている。

ただ、彼のその論理は、「アメリカの言うことを聞かなければ、どうなるか」といった目線だ。「色々な移民を受け入れて互いの違いや個性を認めあえる共同体を作るなど」といった理想的で懐の深いモデルであろうとするアメリカとその国民が本来持ち合わせている「品格」とはほど遠いものである。

トランプ大統領の進める政策とその考え方を一言で表現しようとすれば、「壁」という言葉以外にふさわしいものはないだろう。

しかし、そもそも「壁」というものには、一つにつながっているものを分かれ分かれに切り離すことといった機能的面もあれば、一方で、人とその空間を内側に守る面もある。大衆人気も高く広く知られているアメリカの偉大な詩人である「ロバート・フロスト氏」の残した詩にはこんな一節がある。

「もし壁を作ることとなれば、その前に、自分自身にこう尋ねなければならない(確認しなければならない)。自分が今作ろうとしているその「壁」では、何かを分離させる為の存在なのか、それとも、壁のその内側に人を守る為の目的なのか」と。

「メキシコの壁」にしても、また「イスラム教徒の多い7カ国のアメリカへの禁止令」にしても、あるいは、「メディアの扱い」にあっても、トランプが打ち出している多くの決定に共通するのが、相手との間に立体的な意味かまたは精神的な意味の「壁」を作ろうとすることだと言える。トランプ大統領の誕生によって覆されている、信条や宗教を理由に個人を差別しないことや多様性のある社会などのアメリカの「国家品格」のその行方は果たしてどうなるのだろうか。

反移民運動とラジカル思想の拡大

「人権尊重」を国の理念に掲げてきたアメリカだけに、「反移民」を掲げる政権が誕生したことは、いかにアメリカにラジカル思想的傾向が拡大しているかを物語っている。もちろん、これはアメリカだけに限った話ではない

一方、皮肉なことにも、治安的な理由でイラクやイエメン、シリアなどイスラムやアラブ諸国の一部からの入国者に対して制限をかけるというトランプ大統領のような政策は、アラブ・中東世界の一部の国に於いてはとっくに前から実施されている。その理由もトランプ氏同様に「テロ対策の一環」だとしている。

人間や社会の品格が問われる今の時代。我々も、異文化や他の民族が大切にする思想や信条などを傷つける行為と「人間が持つべき品格」について考えるべきだ。

欧米諸国も、またアラブ・イスラム諸国の多くも、ともに、都合の良い解釈を重ね、「ダブル・スタンダード」によって、差別や排他的な行為を繰り返し、傲慢が止まらない。

トランプ大統領、「ヒュブリス」を愛した「ポレモス」になるか?

「傲慢やおごり」とは自信過剰にほかならない。この自信過剰によって周囲が見えなくなり、また、冷静な判断ができなくなる「ヒュブリス・シンドローム(傲慢症候群)」をイギリスのデービッド・オーエン元厚生相が指摘している。

以前に天声人語に紹介されたイソップの「戦争と傲慢」という話がある。神々が結婚式を挙げ、それぞれ伴侶が決まったのだが、ポレモス(揉め事、戦争)は最後に遅れて到着した。一人だけ残っていたヒュブリス(傲慢、おごり)をめとることになる。

もっとも、ポレモスはヒュブリスを熱愛していて、ヒュブリス(傲慢、おごり)の行くところにはどこにでもついて行くのであった。「されば、傲慢が民衆に笑みを振りまきながら、諸国民諸都市を訪れることのないように。その後から、たちまち戦争がやって来るのだから」(『イソップ寄話集』岩波文庫・中務哲郎訳)。

言葉の端々におごりが溢れながら傲慢な行動が止まらないトランプ大統領。なんだか、ポレモスと重なって見える。

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