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三浦基 Headshot

アメリカの医学の歴史

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自分は、今、大学4年で将来のヴィジョンは頭の中にあるもののそこまでの道のりに迷っている。自分は将来、労働や医療に関する政策に何らかの形で関わっていきたいと思っている。

そこで、現在、人的資源管理を学ぶか、公衆衛生学を学ぶか決めあぐねている。しかし、これには自分なりの複雑怪奇な理由がある。
自分は、MBAに行き、人材を資本とみなしてより効率的な労働とは何であろうか研究したかったというとても漠然とした理由を持っていた。しかし、その考えは音を立てて崩れる。ある体験が自分の考えを変えたのである。自分は、高校から現在まで陸上を続けている。また、詳しいことは割愛するが、現在、日本では貧血が深刻な問題になっている。自分を含めて陸上競技をやっている人は言わずもがなである。

六月の上旬、貧血と日本の陸上との関係を、研究を指導していただいている先生に話すと、論文を書いてみないかと提案された。現役の陸上競技者が考える貧血についての論文はとても新鮮だったらしく、先生は自分の論文をとても評価してくださった。この経験から、仮に自分が、医療関係者で、貧血は深刻ですと論文を書いても何の印象も与えられなかったのではないかと思った。つまり、自分が、陸上の現役プレイヤーの視点から書いたから、「うけた」のである。

これは将来やりたいことについても同じなのではないかと思った。というのは、医療・労働分野の政策にかかわるのに、人的資源管理の知識を学習して、多くの人と同じようにいわば王道パターンでその道に進むのもでもよいと思う。
しかし、少し変化球を投げて、公衆衛生学などの専門的な医療の知識を習得して、政策に携わるのもインパクトを与えられるのではないかと思ったのである。というわけで、自分は現在、MBAか公衆衛生学を学ぶか悩んでいるのである。

ところで、アメリカでは四年間の教養教育の後に、大学院における教育として医学が学ばれる。つまり、大学で教養を十分身につけた後に、専門的な分野にアタックできるのである。このシステムは、非常に多角的な視点を持った人物を育成する上で非常に有効であると考える。
余談であるが、自分はこのアメリカの教育システムから発展させて、日本では迫り来る高齢化のために教養として医学を習うことだけでも有効な手段であると考える。

自分は、常にさまざまな視点から物事を論じられる人間でありたいと思う。そんな自分にとってアメリカの、まったく違う畑から医学の畑に進むシステムは衝撃的であった。これも、自分の進路を迷わせている要因であろう。
自分の進路のことを考えると、自分は以上のような非常にフレキシブルな学び方を可能にした、アメリカの医学の発展の歴史が気になった。以下は自分が調べてきたことを医学教育の発展を中心に述べる。

医は仁術であるという格言めいた言葉が我が国では存在するが、アメリカの医学の発展は、戦争や、利権争いなどのある意味で人間味あふれた形で発展したことがうかがえた。

まず植民地時代のアメリカにおける医療の状況をみる。1607年にヨーロッパからの植民が始まると、南部の植民地でマラリアが大規模な被害を出した。治療機関としては、民間療法が主で、そのほかに理髪店、助産師などがあげられて、この人たちはイギリスか植民地で教育を受けた人たちであった。治療は自己責任であり、政府の規制はなく、ほとんど公衆衛生に対して配慮はなかった。

また、感染症の脅威にさらされていながらもこの時代の健康問題への人々の見方は、病気とは神の摂理であり、人の力が及ばないところとするもので、この考え方がより病気を拡大していった可能性もある。

18世紀になって、イギリスとスコットランドで教育を受けた医師が、その優位性を主張し始めて現代医学が広まった。最初の医療機関としては、1700年代初頭にニューオリンズ、ルイジアナに建てられた病院が始まりである。
前者は、王立の軍用の病院として建てられたが、カトリックの女子修道会で中央集権的でなくそれぞれ個々で活動を行う、聖ウルスラ会の修道女が病院を経営するようになると、民間の病院として設備も拡張した。後者は、前者の王立病院にかかることができない貧困者がかかる病院であった。

最初の医療従事者養成機関は、18世紀にボストンにできたものである。そして、独立戦争で軍医として参戦して、後にスコットランドのエディンバラ大学で学位を取ったジョン・モーガンが、Medical college of Philadelphia を設立した1791年を機にボストンの医療従事者養成機関は合併された。

1767年王立大学医学科が設立され、1770年に初めてMDの学位を授与した。19世紀の初めまでに、1728年にピューリタンの指導者育成のために創設されたハーバード大学がメディカルスクールを創設したのを筆頭に、キリスト教の教団を中心に多数の医学校が設立された。
この背景として、生徒から運営費として莫大な利潤が得られることがあった。また、運営費が生徒の学費のみに依存したため入学基準はとても甘かった。この医学部設立ブームは1910年ごろまで続くことになる。

そして、1775年に起こったアメリカ独立戦争においては、これらの大学で学んだ医師も多数参加した。しかし、この時期メディカルスクールを修了してM.Dの称号を持つ医者は全体の10%で、ほとんどの医者は他の医者の真似をして医療行為を行っていた。
余談であるが、この戦争終結後、1778年にアメリカ合衆国憲法が制定される。これはイギリスの不文憲法に対して成文憲法として制定されたため、アメリカのイギリスからの独立を象徴するものとなった。

先ほど、知識や技術の水準が不明な医者が多いという状況を見た。これを鑑みて1847年にNew York Medical Societyによって、AMA(アメリカ医学学会)が設立されて、医者の質を上げることが画策された。しかし、当時はジャクソニアンデモクラシーが市民権を得ていたため、専門知識を持った特別階層をうむことは受け入れられず、AMA設立はあまり意味をなさなかった。

この結果、医療は一般の人が行なうものという性格がより強くなったのであった。しかし、1861年からのアメリカ南北戦争で状況は少しずつ変わる。1861年に勃発したアメリカ南北戦争では、多数の兵士が病気で亡くなり、さまざまな要因で兵士を再起不能なものとした。そして両者とも医療従事者の数は不足した。

この南北戦争はアメリカの外科技術、看護分野などにおいて様々な影響を与えた。南部連合軍の治療方法は危険で、さまざまな新たな病気を発生させた。また、悪天候、不十分な避難環境なども多数の死者をもたらした。このような状況は昔から戦争においては普遍的な状況で、北部連合軍は各州に病院を設立することでこれに対応した。

病院の設立を可能にしたのは、率先して協力する団体の登場や豊富な資金であった。また、多数の新たな私的な組織が、兵士の医療や士気を必要とすることに焦点を置き始め、活動を広げた。この戦争においてオハイオ州は、戦場に船を送って病院として使用するなど新たな試みも始めた。

この戦争の結果、医療に対する人々の眼差しが変わり始めて、医療は専門的な知識を持った医師に任せるべきであるという風潮が高まった。
ここから南北戦争以降、近代の医学の発展について述べる。1898年米西戦争に勝利して、1898年のパリ条約で、キューバの独立をスペインに認めさせて、プエルトリコ、グアム、フィリピンを買収すると、イギリスからの独立から100年程で、独自に市場を開拓し経済的にも一国の植民地宗主国として独立した形となる。

この過程で、医学も、ヨーロッパ大陸の医学を採用してイギリスとは袂を分かつ。具体的にイギリス医学とは、渡部昇一著「かくて昭和史は甦る;教科書が教えなかった真実」によると、イギリスの医学は経験主義的な影響で臨床重視の医学であるとしている。例えば、種痘を発見したジェンナーはイギリスの医学の流れをくむが、臨床重視であったので、いかに種痘を治すかに腐心した。発病するメカニズムの研究は二の次だったのだ。

一方、大陸の、特にドイツを中心とする医学とは、イギリスとは逆で、病気のメカニズムの研究、つまり学問として医学を扱ってきた医学である。例えば、結核を発見したコッホはドイツ人であるが、彼は病原体の発見はしたものの治療法については編み出せなかった。

このように、イギリスからの独立によって、経験主義、臨床重視の医学は、研究主体の医学に取って変えられたのである。前回述べたとおり19世紀後半には、ヨーロッパの研究の賜物である、細菌説や、科学を基礎とした医学はアメリカでも採用されるようになった。また、この頃前述の通り、学校は医学部の経営によって莫大な利潤が得られるという理由から1910年頃まで医学部は乱立した。一方で医学自体は科学を基にする非常に高度なレベルに発展したため、従来通り生徒からの学費のみで学校の経営をするのは難しくなっていた。

この医学に対するトレンドの変化と経営難の二つの状況に上手く対応した例が、1893年のジョンズ・ホプキンス病院の付属の医学部が設立である。この学校は、医学部の入学定員に制限をかけて、また国や慈善家からの補助金を得て経営や研究に関する費用を賄った。同時に、カリキュラムも一新させドイツの教育パターンを模範として授業を行った。
例えば、科学的な部分に力点を置いたり、指導の一環として基礎研究を行ったりして従来の医学校とは一線を画した。対して、全国の他の私立大学は入学者の減少、それによって発生する運営費および授業料の減少を防ぐために、入学基準をあまくしたりするなどの策を講じた。

しかし1910年に当時有名な教育者として知られていたアブラハム・フレクスナーとカーネギー財団は、医学部教育レベルの独自の基準を作り全国の大学が満たしているかどうかを調査した。
その時存在した全米のメディカルスクールのうち教育基準を満たすのは、5校だけであって、財団は全国の大学にジョンズ・ホプキンス大の教育カリキュラムを採用するように推進した。結果、全米の医学部のレベルが上がった。世に言うフレクスナーレポートによって全米の医学部のレベルが上がったという説である。

しかし、一連の調査は利権の獲得が狙いであったという説がある。その利権を狙った超本人は、かの有名な資本家ロックフェラーである。彼は、石油産業から製薬産業へ目をつけそこで利権を獲得しようとした。
そのために、自分たちの薬を医学に関与する人間の間で浸透させることが必要不可で、そのためには薬を使用する科学的な医学が中心的な地位を占めることが条件であった。だから、当時中心的な地位を占めていた代替的な治療を行う大学は煙たかった。

結果、医学部の水準を図ると称して、代替的な治療、つまり薬を使わない医療を教える医学部に次々と不適当であるという根拠のない烙印を押した。これで、アメリカの医療が完全に薬で症状を抑えるアロパシー中心になった。

また、アメリカ医師会(AMA)というアロパシーを礼賛する団体がいることをロックフェラーは発見する。彼はここに援助をすることで、自分の開発した薬が使ってもらえ、利潤が得られた。同時に、レポートによって、無理矢理アロパシー中心になったアメリカの医療業界では、アロパシーを信奉するAMAは独占的な地位と絶大な権力を得られた。

だから、AMAは、従来まで医療サービスを行えた民間の医療提供者や、自然治癒を奨励するものに対して制限をかけられて、一種の参入障壁を築くことができたのである。つまり、フレクスナーレポートは、ロックフェラーはもちろん、1847年以来あまり絶大な権力をもつに至らなかった、AMAにとっても都合がよいものであった。

付け足しておくが、薬を用いた医学を教えない大学は生徒が集められず窮地に陥ったため閉鎖を余儀なくされた。よって、1910年までに457あった医学校の数は激減する。
以上様々な陰謀めいたことも考えられるが、ジョンズ・ホプキンスシステムは急速に浸透した。バプテストが設立したロチェスター大学が1921年にジョンズ・ホプキンスのカリキュラムを採用するなどここでも、キリスト教系の学校がここでも改革の先駆者となり、ジョンズ・ホプキンスの教育パターンを採用していった。

しかし、ジョンズ・ホプキンスの教育パターンの採用だけでは、問題は全て解決したわけではなかった。というのは、医学の専門化によって学習量が膨大になり医学関連の人文科学や社会科学の分野がカリキュラムからはずされて、医学の科学化がより進んだ。この状況に対して、各専門に特化したカリキュラムに変更せざるを得なかった。

この取り組みにいち早く対応したのは、ウエスタンリザーブ大学であった。ウエスタンリザーブ大は必修科目を減らして、専門的な選択科目を多くしたカリキュラムを提案した。この方法は1950年以降各学校で一般的となった。

話の軸を元に戻して、20世紀初頭の話をする。まず1901年に議会は国立衛生研究所を建設し、また1901年にはロックフェラー財団も研究所を設立して、基礎医学研究が盛んになった。また、臨床医も生理的な実験に基づいた治療を模索することが仕事であった。この背景には、前述の経験を基にした治療から、科学的な根拠を基にした治療の転換があった。

このように、アメリカの医学は、戦争や利権によって翻弄されながらも、紆余曲折を経て現在の形に至るのである。
以上のようにアメリカの医学の発展の歴史を教育の分野を中心に簡単に20世紀の初頭まで見てきた。ここまで見てきた自分の印象を少し述べる。医学は「人の命を助ける学問」という印象が自分の中であり、周辺の環境とは独自に発展してきたという印象があった。

しかし、実際、戦争や、利権争いを機に医学や医学教育が動くという事実を目の当たりにして、良いか悪いかは別として、単純に驚いた。
冒頭の通り、自分は将来、労働や医療政策に携わりたい。また、現在の日本は高齢化が進んでいる。だから、ビジネスにしろ政策にしろ、「医療」というキーワードがとても大事になってくると考えている。その時に、「医学」を少しでも知っておくのと知らないのでは見方が違ってきて、政策やビジネスの中でのパフォーマンスの差が歴然としてくると思う。

我々、非医学部の者が、医学を教養として知る一歩前段階として、今回のように、医学の発展の歴史を調べることは、政治・経済と、医学が密接に結びついているかを知るうえで非常に有益な行為であったと思う。次は、人類が経験した最初の世界大戦である第一次世界大戦から、アメリカの医学の歴史を振り返りたいと思う。

(2016年8月9日「MRIC by 医療ガバナンス学会」より転載)