ビットコイン騒動とはなんだったのか

ビットコインが話題になるのを、ある程度冷ややかな目で眺めていた……という人は少なくないはずだ。ITに関する知識をお持ちの方は、特にそうかも知れない。客観的に見れば、ビットコインも、「新たなモデルによるパラダイムシフトというかけ声」と「そこに群がる人々の騒動」という、何年かに一度巡ってくる話題の一つに過ぎない。

ビットコインが話題になるのを、ある程度冷ややかな目で眺めていた……という人は少なくないはずだ。ITに関する知識をお持ちの方は、特にそうかも知れない。客観的に見れば、ビットコインも、「新たなモデルによるパラダイムシフトというかけ声」と「そこに群がる人々の騒動」という、何年かに一度巡ってくる話題の一つに過ぎない。

ビットコインは、データを貨幣として扱う「仮想通貨」である。ネット上で通貨のような働きをする仕組みを用意して商取引を行う、という発想は特に珍しいものではない。暗号技術を使って複製を難しくした「取引履歴データ」を使い、仮想的な通貨を実現したのがビットコインである。「お金っぽいもの」の取引量が増えるに従い、その「お金っぽいもの」自身も価値を高めていく。乱暴に言えば、麻雀の点棒を貸し借りするうちに、貸し借りのレートが上がっていったようなものだ。ビットコインの場合には、大量の資金が流入したことで短期間のうちに急速に価値が高まり、ビットコインを持っていることそのものに、強い投機的価値が生まれた。それがブームの背景にある。

物理物の流通を伴わないネットビジネスの中では、時折こうした可能性が浮上する。2007年頃ブームとなった「セカンドライフ」も、そうしたものの一つである。セカンドライフを運営するリンデンラボ社が、仮想空間・セカンドライフ内で使える仮想通貨「リンデンドル」を発行し、セカンドライフ内での物品や形状、仮想空間内の「土地」のやりとりに利用するフレームワークを作った。セカンドライフという「仮想の土地」に対する商業価値評価の高まりから、リンデンドルの価値も上がり、米ドルへの換金レートが高騰したことで、注目度はさらに高まった。

こうした仮想通貨の本質の一つは、「それに価値を認める人がどれだけいるか」にある。

リンデンドルの場合、2007年頃は1リンデンドル=270円となっていたが、現在は1ドル(100円)=220リンデンドルくらいになっているので、価値は約122分の1になっている。理由は、リンデンドルの価値担保の基準であった、セカンドライフという土地を顧みる人がほとんどいなくなったためだ。

ビットコインを冷ややかに見る人がいるのは、こうした性質を良く理解しているからだろう。ビットコインは純然たる「仮想の通貨」であり、前出の例でいえば「麻雀の点棒」と同じだ。それに価値を認める人がいなければ価値が生まれない。ゲーム内通貨なら、ゲーム内のアイテムと交換することもできるが、ビットコインではそれもできない。ビットコインはこれまで出てきた「通貨的なもの」と異なり、中心的な企業がいたり、国家がバックアップしたりしているわけではない。計算によってどこからともなく生み出され、それに価値がつく。正体不明の「中本哲史」氏が書いた論文に基づいて実装された、「誰かが管理しているわけではない」仮想通貨である。価値を担保する人も、損失を補填してくれる人もいない。それを「お金」と呼ぶには抵抗があるのも当然だ。

だが、「お金」の価値は、本当に担保されているのだろうか? 国家破綻クラスのインフレは、ほとんどの場合国家の失政から生まれる。普段我々が使っている通貨は、日々価値が変動しており、不変なものではない。

そうした要素を考えると、使う人々がそれに価値を認めるならば、国が生み出したものであろうがネットから生まれたものであろうが、麻雀の点棒であろうが「通貨たり得る」可能性はあるのだ。

ビットコインは、そうした「通貨たり得る条件はなにか」をシンプルに記述したものだ。国家や既存コミュニティの価値観にとらわれないことに価値を認めるネットワークコミュニティから見れば、痛快な発想だ。だから、そうしたことをクールに思う人々は、ある種の「敬意の発露」として、ビットコインのやりとりを行っていた。雑駁に言えば、冗談でありごっこ遊びだ。

だが、そこに投機的な資金が流れ込み、市場が拡大すると、「貨幣流通のシミュレーション」としての価値は下がり、ビットコインを蓄積して価値上昇を待つ投機的な動きが広がった。

マウントゴックスの騒動は、そんな中で起きたことだ。ビットコインの複製はきわめて難しい。だが、ビットコインの取引を媒介するマウントゴックスのような企業が堅牢であることは担保されていない。「世界最大のビットコイン取引所」であったマウントゴックスは稚拙な管理体制で運営されており、その結果、顧客から集めたはずのビットコインはどこかに盗まれ、消えてしまった。構造的にいえば「通貨は偽造されていないが、通貨取引を行った銀行の経営が杜撰で破綻した」ことと同様である。

企業や国家の隆盛に引きずられない通貨を生み出せる、という発想は、金融系の人々にとっても魅力的なことだ。国際間決済の敷居を下げるにも役立つ。マウントゴックスの破綻によってビットコインのイメージは急落したが、それでも、金融の専門家がビットコインを評価するのは、そうした「既存通貨に対するリスクヘッジ」の側面があるからだ。投機的な側面も、金融系の人々から見れば、通貨の持つ当たり前の機能が、ビットコインでも求められた……ということに過ぎない。

要は、暗号通貨の可能性と、ビットコインという通貨で起きた失敗とは、わけて考えなければいけない、ということである。同様のことは、2000年代半ば、コンテンツ流通の世界でも起きた。金子勇氏が開発したP2P型コンテンツ流通システム「Winny」は、その優れた構造により、大量のコンテンツを自由に流通させる可能性を世に示した。だが、不適切なコンテンツの流通を止める仕組みが実装される前に世の中に広まった結果、違法コピーコンテンツや個人情報流出の問題が指弾され、様々な問題が発生した。「技術としての可能性」と「ひとつの実装の問題」を分けて評価できなかったことが、様々な人々に不幸な結果をもたらした。

騒ぎの後、日本でも、暗号通貨の法的な扱いに関する議論が行われている。現状、政府・自民党は、暗号通貨を通貨ではなく「価値を持つ電磁的記録(価値記録)」と位置付け、ビットコイン取引に関する立法、現行法の改正は行わない見通しだ。消費者保護の観点でいえば、問題は「いかに取引所の信頼をするか」に集約され、取引所を届け出制事業にするなどの方策が検討されている。技術が生み出す価値をスポイルせず、問題が発生する可能性を減らす意味では、妥当な判断だと感じる。

「ビットコインは嫌いでも、暗号通貨は嫌いにならないでください」

結局、そういうことなんじゃないかと思うのだ。

暗号が通貨になる「ビットコイン」のからくり 西田宗千佳/吉本佳生著

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