温暖化を封じ込め、エネルギー転換を実現する道:2015年パリ合意を展望して

原発の再稼働やエネルギー・ミックスでの位置付けが決まらないから再エネにも力が入らない。この停滞は早く解消するべきだ。
ASSOCIATED PRESS

■ 基本設計が問題...

周知の通り、京都議定書では国別に削減キャップを設定し、政府が責任を持って自国の温室効果ガス排出を数量的に削減する。来年のパリの合意でも基本はそうなるだろう。実はこの仕組みが問題の根源だ。何故なら、政府は元々自由な経済活動を簡単に規制できないからだ。管理経済でない以上どの政府も本当に責任を持って削減数値を約束はできないのだ。だから責任範囲を小さくし、安全プレーに徹しようとする。全員参加のパリ合意では180か国が安全プレーに徹するだろう。安全プレーを合計しても2℃実現への科学に整合するはずがない。

要するに手段と目的は整合していないのだ。その上さらに、歴史責任論に由来する相互糾弾劇が繰り広げられる。先進国は重たい責任を負うべきだという議論だ。その結果、名状しがたい混沌が支配する。地球環境を守る最も根源的な作業であるのに、相当にずさんなことがまかり通っている。先進国で精々5%程度を削減する京都議定書の仕組みでギガトン・ギャップに立ち向かおうとしているのだから元々無理があるのだ。

コストもこの戦いの敵だ。国別削減ではコストが大きくかかる。政府責任で「管理経済まがい」のことをやるのだから当然だ。どんな経営者でも市場で価格が生まれ、競争が働いてこそ効率的だと思っている。市場で価格が収れんし、企業の創意工夫が効率投資を刺激するからだ。しかし、コスト論は市場や価格を排除し、国家の規制政策と多数の仮定の条件を設定し、モデル計算で「コストは膨大になる」と論じてきた。

こういう「コスト膨大論」も安全プレーに直結している。市場原理を導入したらよほど安価にできるハナシが「カネ喰いモンスター」の扱いになっている。市場中心の制度設計をあえて排除するから歪んだ結論になる。そしてこれが2℃等は実現出来ないという厭世観念を生んでいる。

もう一つの問題は貧困国の救済だ。京都議定書と同じくパリ合意でも先進国が国庫から支援をすることになる。これがないと途上国や貧困国は協力しないという姿勢だ。一体、先進国の恒常的な財政危機の中で、毎年1000億ドルから5000億ドル規模(世銀などの推計)の必要資金の内、どれだけ提供することが出来るのか?

誰もが困惑してしまうこの混乱は、午後11時59分頃、双方にメンツが立つような妥協に流れ込む。妥協の山が積み上がり、これが問題を複雑にする。要するに目的に整合していない制度を前提にしているから、2℃も実現しないし、コストも膨大になる。貧困国も救済されない。それに何よりも時間切れが心配だ....

■ もっと先を見てみると

しかし、一呼吸おいて考えようではないか?新しい事実が色々ある。例えば、化石燃料に置き換わるべき再エネ(再生可能エネルギーのこと)の技術体系はとっくに日常化し、その値段は急激に安くなっている。今後ますます加速がつくだろう。然るに、ここ20年くらいの間、次のような議論であった ...途上国の成長には化石燃料の燃焼が絶対不可欠だ。だから先進国は早く化石燃料の燃焼を止めて、炭素スペースを途上国に渡せ... と。

しかし現実には、途上国は次第に蛙飛び(leap-frogging)を始めている。化石燃料時代を経由しないで一気に再エネ時代に突入している。それが出来るようになってきた。CO2の排出にピークを打つと決めた中国も要するに化石燃料時代に長く居座る気持ちでないことを示している。そうだ、化石燃料は次第に重要ではなくなる代物なのだ...。

ということは何を意味するのか?沢山のことを意味するが、国際交渉との関係でいえば、化石燃料の燃焼量を国別に決め、複雑で大がかりな管理経済の仕組みを全球的に作ったりして大丈夫なのか?ということだ。2030年や2040年の時点でUNFCCCは殆ど無用の巨大遺構になっているのではないか?先細りの炭素予算の「分捕り合戦」みたいなことを主権国家がやっていいのか? そんなことは市場にやらせて、企業から炭素予算の使用料を取り立て、その資金で、再エネをさらに低廉化したり、途上国や貧困国を助ける方が賢明ではないのか?

■ 全球で炭素市場を作る

そういう長い先のことを考えると、本当はパリ合意は現行の京都議定書の延長線上で考えるべきではないだろう。何故なら、減衰資源たる化石燃料の分配などは市場に任せた方が賢明だからだ。その方が、世界経済のためになるし、全ての企業のためになる。燃焼できる量が全球的に限定されてきた化石燃料は、それを使用して最大の付加価値生産ができる企業に使用させて、企業から使用料を取り立てて、技術革新や貧困国の再エネ大量購入資金に使った方が賢明だ。

具体的にどうやるのか?仕組みは簡単だ。先ず、国別のキャップを止める。つまり政府の責任体制を止めるのだ。そして全球で2℃実現用のキャップを設定し、それに180カ国の政府が共同で所有権を設定し、それを排出権の形で市場で売却し、化石燃料を燃焼する者に負担させ、収益を貧困国や技術開発にまわす。ポイントはそれだけだ。

2℃等の実現が目的になると、CO2を排出出来る大気空間の量(2℃用炭素予算)は数量的に有限化する。これに政府間会議は共同の所有権を設定し、化石燃料の上流供給者[1]に購入させる。上流供給者は当該燃料を下流経済に供給する時、支払った炭素予算購入価格(炭素価格)を下流に転嫁する。全世界的にこれが行われるので2℃用炭素予算の価格は均一化し、世界経済全体に炭素価格が反映される。この結果、炭素含有製品を使用する者が最終的に炭素価格を負担することになる。

2℃等を実現する限度までではあるが、とにかく大気を汚染して炭素製品を作り、利益を手にしている者(企業)、そして、それを使用して便益を手にする者(消費者)は当然大気汚染のコストを負担するべきだ。全球で上流型の炭素市場を作れば、炭素の排出に値段がつき、外部不経済は世界経済に内部化され、汚染者がそれを負担することになる。こうして世界中の環境経済学の教科書の冒頭に書かれている原則が実現する。

現在ほとんどの国で、汚染者はそういうコストを負担していない。むしろ、政府が諸々の規制・制度を作り、財政資金を動員して削減の実現のために主体的に東奔西走している。本来の負担義務者が負担していないで、義務者でない政府が汚染者に排出を削減させる責任を負っている。炭素に値段がついていないためだ。これが最大の問題だ。

全球で炭素市場を作ると2℃等の温度目標は自動的に実現する。2℃用炭素予算は限度があるので、使っていくと値段がどんどん上がる。すると最終的には炭素製品の価格も上昇するから消費者は炭素製品を使わないようになる。企業も同じことだ。値段が上がっても利益が出る企業が炭素予算(排出権)を購入し、化石燃料を燃焼して炭素製品を作るが、利益が出ない企業は利益確保のために効率化投資をする。こうして2℃等の温度目標は最も費用効果的に実現する。これが今日、世界中でコンセンサスを得ている炭素に値段を付けることの意味合いだ。

さらに重要な点は、政府間会議に炭素予算(排出権)の売却収入が入ってくることだ。会議の合意によって貧困国対策や革新技術の研究開発に使うことが出来る。それは膨大な資金となる。これが途上国に分配されれば再エネの大規模な需要拡大に繋がり、直ちに一層のコスト低減を引き起こす。CCS(炭素貯留)等の研究開発にも大きな弾みになる。技術移転への「死の谷」は克服できるだろう。膨大な新規資金が生まれ「脱炭素マーシャル・プラン」のような姿になるだろう。この過程で途上国の大部分は「蛙飛び」を実現して、化石燃料の時代を経由しないでクリーンな持続成長を実現する。

世銀やIMF等が政府資金を集めて貧困国等に分配している時に、政府間会議が炭素予算の売却資金を集めて分配するのはダメだということにはならないだろう。危機に陥っている先進国の国庫から十分な資金が来る可能性はない。先進国の歴史責任をいくら激しく糾弾してもこの現実は覆せない。こういう抜本的な発想の転換をしない限り途上国や貧困国は救われないだろう[2]。

■ もう一つの解決:長期ネット・フェーズ・アウトを

もう一つの解決は全ての国が2050年とか2100年までに温室効果ガスの排出のフェーズ・アウトをする約束だ。「ネット・フェーズ・アウト」は「ネット・ゼロ・エミション」とか「Climate Neutrality」と呼ばれたりするが基本的には同じ概念である。いずれも全球で温室効果ガス排出をゼロにするという概念である。「ネット」とはCCSや森林の涵養による温室効果ガス吸収力を差し引いてゼロにするという考え方である。以下では簡便化のため、単に「フェーズ・アウト」という用語を使用するが、これは「ネット・フェーズ・アウト」のことである。

この関係では2つの議論がある。ファルハナ・ヤミン等の専門家グループは「2050年全球フェーズ・アウト」を提案している[3]。この場合、2℃は85%の確率で実現し、1.5℃は50%の確率で実現するとされている。もう1つの議論はIPCC第5次評価報告書の示唆に基づくものである。IPCCは全球排出量を2050年の時点で40-70%削減(2010年比)し、2100年までに100%削減する場合、2℃は66%の確率で実現するというシナリオを提供している[4]。

ファルハナ等の制度設計では、各国は自国が排出している温室効果ガスを2050年までにネットでゼロにすると約束し、4年ごとに実現計画を国際審査・評価のプロセスにかけて、全球での排出のネット・ゼロを実現するというものである。この提案と一体をなすECOFYS文書[5]は、2050年までに温室効果ガスのフェーズ・アウトは技術的にも経済的にも可能だと論じている。現有の技術メニューを分析し、それを活用してほぼ100%のフェーズ・アウトが全球で可能であり、それは2050年まで毎年の全球GDPの1〜5%までのコストで実現できると論じている。

フェーズ・アウト方式は現行の国別削減方式とは根本的に異なる制度である。国別削減方式では2℃実現への全球的な必要削減総量を主として歴史責任(CBDR, Common but Differentiated Responsibilities)や能力などを基準にして各国に分担させようとするものである。この方式では国別の負担量とその相対比較が最大の問題となる。その上、冒頭で論じた通り、政府は安全プレーをするから2℃目標等は達成できない可能性が高い。国別に削減量を割り当てる方式は結局縮小均衡に至るだろう。

フェーズ・アウト方式は国別に負担を分担するのではなく、自分の排出量に責任を持ち、それをゼロにするものだ。要するに「自己責任」で汚染処理するということだ。元々環境問題は汚染者がその責任で解決するべきものだ。それに新興国の排出が急増している時、歴史責任論は時代遅れになっている。今後長きにわたり歴史責任論が支配して行くなら温暖化防止は不可能だ。今や、フェーズ・アウトという自己責任を新興国にも要求するべきだ。今は受け入れないとしても、彼らの排出がさらに急増したら世界の空気は変わるだろう。むしろ変えなければならない。

長期フェーズ・アウト方式は経済的にも必然性がある。長期に自己責任だということになれば、各国は異なる事情に配慮して長期的で柔軟な脱炭素政策を立案できる。再エネよる全面的な置き換えなどを自国の経済情勢や経済条件に合致した形で立案できる。現行方式で5〜8年ごとに短期に削減量をコミットすることの非経済性は明らかだ。長期フェーズ・アウト方式の方が自国の成長政策、雇用政策、革新技術導入政策などと整合した再エネ導入政策を採用できる。明らかにより良い資源の配分が実現するだろう。

しかし、長期フェーズ・アウト制度の最大の優位点はどの国も「脱炭素政策」にオーナーシップを持てるということだ。現行の負担分担方式ではどの国も約束した限度でしか地球救済事業に責任がない。例えば日本の京都議定書時代の6%は日本の脱炭素・低炭素化政策とはほとんど関係がなかった。オーナーシップが欠落した制度だ。フェーズ・アウト方式において初めて、自分の国を2050年までに脱炭素・低炭素化するのだという「政策の自己責任性(オーナーシップ)」を自覚するに至る。全ての国がそのようなオーナーシップを自覚することが結局地球を温暖化の危機から救済することになる。5〜8年ごとにCOPで大喧嘩して○○%と云った部分責任を負うのに比べ優位性は明らかだ。

フェーズ・アウト方式は理屈が通っているし、2℃を実現するので、国連の交渉の場で支持者を増やしている。今回のリマでの交渉結果、パリでの合意文書にその概念が含まれる可能性が強まった[6]。貧困国を含め60か国近くが支持しているとされている。

■ フェーズ・アウトは出来るのか?技術とコストから

ところでフェーズ・アウトは本当に出来るのか? 世界は何を議論しているのか?簡単に言うと2050年とか2080年頃までにフェーズ・アウトは実現が可能だとしている。しかもそれは現有技術とか近傍にある技術で可能であり、その上、それらの再エネ技術は急速に低廉化し化石燃料との価格競争力が確立していると論じている。

技術論では、1976年エモリ―・ロビンスが「ソフト・エネルギー・パス」という概念で省エネルギーと再エネで化石燃料と原子力による中央集権型エネルギー・システムを代替できると論じた。その後、2011年マーク・ジェイコブソンらの科学者が風力、水力、太陽光で世界のエネルギー需要をまかなえると論じた。この辺から議論が加速した。その後多くの学者、専門家、研究機関などが「100%再エネ」は可能だという議論を始めた。2013年には、これらの多数の文献を綿密に精査した分析結果が発表された[7]。この分析では次のように述べている:

「世界中で大規模な脱炭素化が始まっているが、その実現を妨げているモノは技術ではない。それは気候変動否定論、化石燃料ロビー、政治的怠慢、強欲なエネルギー消費、旧式のエネルギー・インフラ、資金面の問題等である」

長期的フェーズ・アウト(「100%再エネ」に同義)が現有技術でほぼ可能だとする分析は多数あるが、最も新しいものとして「Deep Decarbonization Pathway Project(DDPP))がある[8]。これは全球排出量の70%を占める15か国の実態を多数の専門家を動員しておこなった分析である。米国に関する分析では温室効果ガスの排出を商業化されているか、近く商業化される技術で2050年には80%削減できる(90年比)としている。

一方コストはどうか?2014年8月、世界トップの投資銀行であるUBSとシティ・グループは別々に、太陽光発電を軸とする再エネが急速な価格低下をもたらし、「エネルギー革命」が起きつつあると投資家に伝えた[9]。大型集中発電装置は恐竜のように早晩死滅するので、新しいエネルギー革命に乗り換えるべきだと論じた。世界的な名門投資銀行であるラザードは共通基準エネルギー原価(LCOE)を2008年以来継続して計測した結果、太陽光などの再エネ価格が劇的に低下し続けていて、今や補助金なしに従来型の大規模発電と競争できるまでになっていることを詳細に報じている[10]。ここでも大規模集中型の発電装置は時代遅れになっていくと予測している。一見、衝撃的に見えるがこれが世界のエネルギー投資の最前線の認識だ。

日本を含む先進国はおおむね2050年までに温室効果ガス排出を80〜95%の規模で削減すると公表している。例えば、ドイツでは2025年までには再エネを40~45%、2035年には55~60%に引き上げる計画だ。目標年を2050年とか2080年にすると、ほぼ100%再エネに接近するだろう。EUは全体で95%まで削減すると公表している。また、世界的な産業組織も100%再エネは可能だと論じている。

ドイツに関しては、電気料金の上昇や電力網への対策の必要性が叫ばれているが、再エネ急速導入の方向性に全く揺らぎはない。国民は電力コストの上昇は脱炭素社会実現へのコストだとして受け止めている始末だ。ドイツ最大の電力会社E.ON社は最近原子力と化石燃料部門を分社化し、再エネ専門会社に転換した。ドイツのような有数の工業国が、色々な問題を抱えているが、100%再エネへの道を怯まないで歩んでいるという大きな図柄は注目される。

貧困国はそのエネルギー経済の微少性からして支援があれば早い段階で脱炭素化するだろう。中国やインド、その他の新興国が期限内にフェーズ・アウト出来るかどうかは疑問が残る。しかし、今後30年から50年かけてこれらの新興国が脱炭素化出来ないという断定も出来ない。

■ 日本は2050年再エネ85%を国家目標に

日本は一体どうするべきか?日本の議論の停滞は明らかに原発を巡る問題に帰着する。原発の再稼働やエネルギー・ミックスでの位置付けが決まらないから再エネにも力が入らない。この停滞は早く解消するべきだ。

一橋大学大学院の橘川教授は2030年の原発依存度は15%だとしている[11]。ここがそうならば残り85%は2050年までに再エネにするという国家方針を決めるべきだ。それに日本経済研究センターは11月4日、日本経済は構造変化を経て2050年でのエネルギー消費を40%減に減らせると発表した[12]。これは大きなことである。2050年には今のエネルギー消費を4割減らせるということだ。残るエネルギー需要を再エネで賄うようなことが日本に出来ないはずがない。しかも省エネは成長のバネだと認定している。

国家目標としたら膨大な新しい知恵や手法が次々と編み出される。政策の可能性が広がり、企業の創意工夫が新しい需要を生む事態になる。戦後の日本の成長の原体験だ。再エネ批判論者からは現実に諸条件を見れば実現に限界があるとか暴走するべきでないという議論が巻き起こるだろう。

しかし、手を胸に当てて考えるべきだ。原発が推進され始めた当初全てのことが分かっていたのではない。全ての将来展望を見極めてから作業を開始したのではない。放射性廃棄物の処理の見極めもつけないで、「とにかく、進め」という号令でやってきた。どうして再エネではそれが許されないのか?本当にエネルギーの安全保障を目指すなら「2050年再エネ85%」を国家方針として掲げ、あらゆる施策を急速にとるべきだ。それにパリ合意では長期フェーズ・アウトの要求が全ての国に降りかぶってくる可能性もある。

ドイツは事情が違うという議論がある。事情が違うのは明らかだ。しかし、日本が見落としているのはドイツ国民の意思が明白な国家の意思[13]になっている点だ。問題も負担もある。しかし、色々と工夫しながら大目的に突き進んでいる。そして財政を健全化し、世界競争で勝利し、人々は豊かな自然の中で日本とはかけ離れた余裕のある人生を送っている。国家の意思が国民の気持ちを反映する度合いが高いからだ。正しくエネルギー・デモクラシーをやっているようだ。同じことは日本でも出来るだろう。要はデッカイ国家的図柄を設定して国民的行動を始めることだ。

化石燃料の輸入者と自国の化石燃料生産がある場合にはその国内向け出荷者。

この全球上流型炭素市場は筆者と安本皓信氏(前日本機械工業会副会長)の共同提案である:"A new market-based climate change solution achieving 2°C and equity"。また、ウイキペディアにはこの提案の解説が掲載されている:Wikipedia "Carbon price"。

"Possible Elements of a 2015 Legal Agreement on Climate Change", Erik Haites, Farhana Yamin & Niklas Hohne, WORKING PAPERS N°16/2013. IDDRI, 2013. 24 p

IPCC第5次評価報告書「政策決定者向け要約」表SPM.1

"Feasibility of Phasing out GHG Emissions by mid-century" By: Niklas Höhne, Pieter van Breevoort, Yvonne Deng , Julia Larkin, Gesine Hänsel Date: 2 October 2013

"Lima call for climate action"を参照。また、フェーズ・アウト方式の主唱者はFarhana Yamin 女史であるが、彼女の主張をノルウェー政府や島嶼国政府が全面的に支持してパリ合意に組み込もうとしている。筆者も当初から支持してきた。彼女に関するワシントン・ポスト紙の記事:"A climate idea comes of age: Zero emissions"

"Post Carbon Pathways: Towards a Just and Resilient Post Carbon Future" John Wiseman et al(April 2013)University of Melbourne.

"Pathways to Deep Decarbonization 2014 Report" および "Pathways to Deep Decarbonization in the United States" を参照。

"Big power out, solar in: UBS urges investors to join renewables revolution" および "Energy 2020: The Revolution Will Not Be Televised as Disruptors Multiply" を参照。

"Lazard's Levelized Cost of Energy Analysis - Version 8.0. September 2014" を参照。

橘川武郎「安倍内閣のエネルギー・原発政策」2014.12.03

日本経済研究センター「経済構造変化で2050年度のエネルギー消費、40%減に:省エネルギーは成長のバネ」2014.11.04

再エネの導入へのドイツの国家の意思については下記の山家公雄氏の論考に負った:「エネルギー世界の新潮流」日経ビジネスオンライン

Energy Democracy <http://www.energy-democracy.jp> は、左右でもなく市場原理主義でも市場否定でもない「プログレッシブ」を場のエートスとする、創造的で未来志向の言論を積み重ね、新しい時代・新しい社会の知的コモンセンスを積み上げていくメディアです。

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