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母国を愛するからこそ 日本を愛せるのだと思います。――ババホジャエヴァ・オルズグルさん

2013年11月08日 21時31分 JST | 更新 2014年01月08日 19時12分 JST

東京で活躍する外国人のインタビュー「東京対談」。皆様、大変ご無沙汰しております。今回久々にご紹介させていただくのは、シルクロードからやってきた"才色兼備"ババホジャエヴァ・オルズグルさんです。

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東洋と西洋の交差点、中央アジアウズベキスタンは、実は "ぶどうの原産地"と言われています(*詳しくはこちら)。そこで生産されるワインを、日本に輸入・販売している唯一の専門業者を、オルズグルさんは経営しています。

笑顔がとびきり明るいオルズグルさんを私たちにご紹介くださったのは、ロシアでのビジネス経験が豊富で、様々な国の出身の方々とこれまでお仕事をされてきた、油屋康さんという方。あるイベントで油屋さんと出会い、私たちがMy Eyes Tokyoについてお話した瞬間、油屋さんはロシア語で電話を入れていました(笑)その電話の向こうにいたのが、オルズグルさんでした。

冒頭で"才色兼備"という言葉を使いましたが、オルズグルさんは14歳で国内トップクラスの大学に入学。学業の傍らで、携帯電話販売や通訳、貿易業など、ビジネス面でも才覚を発揮。そんな"デキル女"らしく、初対面の時はビシッとスーツで決めていたオルズグルさん。しかし流暢な日本語を機関銃のごとく繰り出すその姿は、まるで芸人さんのようでした(笑)それもそのはず、オルズグルさんは「SMAP x SMAP」などの超人気番組にも出演するタレントさんとしても活躍しているのです。でも普段の彼女は日本で呼び親しまれている「オルちゃん」キャラ大放出。そのフレンドリーさのおかげで、一気に距離が縮まりました。

*インタビュー@八丁堀(中央区)

■ワインで母国に貢献

私がウズベキスタンの大学院で経済学を研究していた頃、日本的経営に関する論文を書きました。トヨタを例に挙げて、"かんばん方式"や終身雇用制度、年功序列などを研究しました。そして私なりに出した結論が「日本的経営はウズベキスタンでも受け入れられる」ということでした。なぜなら日本人とウズベキスタン人は性格が似ているからです。チームワークを大事にし、他者のために働き、年上の人を敬う・・・私たちも持っている共通の美徳です。

私がウズベキスタンワインを日本に輸入し、日本で販売する仕事を始めたのは、もちろん私が両国の架け橋になりたいという気持ちがあったことが大きな理由ですが、私は日本から母国に貢献したいし、ウズベキスタンの輸出力のポテンシャルを高めたいのです。私は母国に対する愛国心が強いですから。

両国の関係は良好ですが、私の国のことをもっと日本の皆さんにお伝えして、日本に新しいものをもたらしたいと思っています。

■日本への深い愛

私は日本人を尊敬しています。何故なら、このような素晴らしい国を作ったからです。国は勝手に育たないでしょう?そこに住む人たちが作り上げていくものだと思います。だから私は日本人が好きなんです。

私が大好きな日本の歴史。これを築いてきたのも日本人です。同じく日本の伝統も好きです。折り紙や生け花は、他の国では有り得ない。折り紙は文字通り、たった一枚の紙を折るだけで様々なものが生まれるし、生け花は花束を芸術にまで高めたものですよね。私が大好きな温泉も、熱いお湯は自然に湧き出しますが、そのそばに宿泊施設などを作ったのは日本人です。自然環境の素晴らしさを上手に活用して"文化"を作り上げる。そういう日本人に、私は惹かれたのです。

そこまで私をトリコにした日本との出会いは、母国で偶然目にした、当時は全く理解できず、その存在すら知らなかった"日本語"でした。

■絵のように美しい日本語

私が通っていた高校には、日本と同じように部活があるのですが、ウズベキスタンでも珍しい"日本語クラブ"がありました。当時私は、フランス語とウズベキスタンの民族舞踊のクラブに入っていたのですが、たまたま日本語クラブを覗いたんです。部屋には黒板があり、そこには見たこともない文字がたくさん並んでいました。今ではもちろんそれらが平仮名であることは分かるのですが、私はその文字の美しさに惹かれました。クラブの人に「この美しい文字はどこの文字なんですか?」と聞いたら、日本語だと。「こんなに美しい文字がこの世にあるんだ・・・」と思いました。それらが美しい絵画に見えて、気がついたら30分もその文字に見とれていたのです。私は迷わずその日本語クラブに入りました。そして私は、14才でタシケント国立東洋学大学日本語学科に入学しました。

■「彼氏は日本語」

後に専攻を経済学に変えてからも、日本語の勉強は続けました。当時は30分で平仮名の50音を全て覚えたし、1日に漢字50個以上を覚えていました。しかもほとんどメモせずに、文字を"絵"として頭に焼き付けて覚えていました。その絵にストーリーを付けたのです。例えば"優"という漢字なら「人に優しくしたら、100(百)人に愛される」というふうに覚えました。そういうストーリーをいろんな漢字に無理矢理当てはめて覚えたので、漢字のテストは得意でした。

でも私に日本語を勉強するきっかけを与えてくれたのは、平仮名です。私が日本語で好きなのは、漢字と平仮名が組み合わさっていること。曲線美の平仮名と、全体的に四角い印象のある漢字は、さながらやわらかい甘口の白ワインとブルーチーズの複雑なハーモニーのようです。

私が日本語の勉強を続けてきた、その原動力は、日本語への"愛"に他なりません。私が高校の教室で平仮名を目にして、日本語に一目惚れしてしまった。だからもっともっと知りたくなる。これって、人に対しても同じですよね。大学時代、私は4つ星のホテルで英語・日本語の通訳として働いていたのですが、夜遅く帰宅してからも朝まで日本語を勉強しました。友達とも一切遊びませんでした。パーティーに行くくらいなら、1分1秒でも日本語と一緒にいたかった。当時の私はいつも友達に言っていました。「私の彼氏は、日本語なのよ」と。

ただ当時は、日本に来ることは全く考えていませんでした。一番最初に申し上げたように私は愛国心が強いですから、ウズベキスタンにいながら日本と交流する仕事がしたいと思っていました。

しかしその後、紆余曲折を経て就いた旅行業の仕事がきっかけで今の主人(日本人)と知り合い、日本に来ました。

■"恩人"との出会い

日本語は勉強していたけど、実際の日本での生活は、右も左も分からないところからスタートしました。そんな中、私は就職活動を始めました。

日本の会社は日本人でも外国人でも、新卒を採りたがります。一方で私は日本の大学を出ていないし、さらに社会人経験があったので既卒者扱い。でも当時は21歳だったので中途採用としては若過ぎる・・・ものすごく不利な状況だったのです。私は面接で落とされ続けました。しかも私が不採用になったのは、いずれも日本では国際的とされる会社でした。

そんな何もかもが上手くいかない状況で出会ったのが、当時外国人の優秀な人材を日本企業に紹介する仕事をしていた油屋康さんでした。インターネットで"外国人""採用"で検索したら、彼が経営していた会社がトップに出てきたのです。

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"恩人"の油屋康さんと

油屋さんは私に言いました。「普通の就職活動をして上手くいかないのなら、普通でないことをやってみたらどうだろう?」そこで教えて下さったのが"会社のトップにいきなりアプローチする""履歴書に加えて提案書も出す"など、とにかく他の人よりも目立つことでした。

そして私は、ある会社を受けました。"朝礼""ラジオ体操""制服"に象徴される、いわゆる非常にドメスティックで日本的な大手物流企業でした。

1次面接の時、面接官に「ウチは男性社会ですが、いいんですか?」と聞かれました。私は言いました。「私を"男"だと思って下さい!」。そして2次面接で、私はその会社のコマーシャルソングを面接官の前で歌い、加えてその会社の沿革を述べました。3次面接では「もし私がこの会社に入れなかったら、入れるまで何遍でも受けに来ます」と言いました。そして遂に、日本の社会の勉強を基礎からするために、その会社に新入社員として入社しました。

■「やらずに後悔するより、やって失敗した方がいい」

しかし一方で、心のどこかで子供の頃の「自分の手でビジネスをし、新しいものを生み出して人の役に立ちたい」という思いがくすぶっていたのです。シルクロードの商人の血が濃いのでしょうね(笑)ただ、安定している仕事を捨てる勇気がなかなか出ませんでした。

そんな頃に、東日本大震災が起きました。自分がいつ死ぬかなんて、分からない - そう強く感じました。「やっておきたいことは、今日やっておこう。やらなかったことで後悔するよりは、やって失敗した方がいい」そう思いました。

私がワインの輸入販売を選んだのは、単純な理由です。まず、ウズベキスタンワインが好きだったこと。そして私の好きなウズベキスタンワインが、友人の開いていたワイン会に並んでいなかったこと。「ここに私の国のワインが並んだら面白いだろうな」と思ったのです。そこで意を決して会社を辞め、2011年8月に自分の会社「合同会社GALABA(ウズベキスタン語で"勝利"の意)」を25才で立ち上げました。

そして、ウズベキスタンのワイナリーと契約を結びにウズベキスタンへ発ちました。それから色々なことを乗り越えながら国内のワイナリー6社と契約を結びました。

ウズベキスタンからのワイン輸入の前例は、ほとんどありませんでした。そんな中で日本の基準に合う原材料表や製造工程表、輸入用のワインの後ろラベルなどをゼロから作り、検疫所や税務署、税関の間を何回も往復しました。そして、ウズベキスタンワインを日本で正式に輸入・販売できる唯一の業者となったのです。

■失敗は全て"勉強"

私は失敗を敗北とはみなしません。失敗は全て"勉強"です。私が大学に入学した頃に、いろいろあって実家のお金が尽きてしまい、そのために働かなければならなくなりました。そんな時、私は思いました。「周りの人たちはみんな遊んでいるのに、何で私だけ働かなくちゃいけないんだろう」と。子どもらしい人生を歩めなかったことへの、心残りがあったのです。他にも私がウズベキスタン時代に働いていた会社が潰れたり、日本で大変な思いで就職活動をしたりしました。

でもそれらを悲観するのではなく"勉強"と捉えたら、それらは他の人には無い"経験"に変わります。だからこそ、こうしてインタビューを受けることもできるのです。これからも、日本の皆さんに私の母国のワインをご紹介していきたいと思います。

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ウズベキスタンワインの試飲会にて

オルズグルさんにとって、日本って何ですか?

"2番目の家"です。

母国は私が生まれ育ったウズベキスタン。これはいつまでも変わりません。

母国を愛するからこそ、日本も愛せるのだと思いますから。

【オルズグルさん関連リンク】

合同会社GALABA:http://www.galaba.co.jp/

*オンラインショップ: http://galaba.shop-pro.jp/

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(※2013年10月26日「My Eyes Tokyo」に掲載された記事を転載しました)