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ここまで私を日本語に熱中させたのは、きっと「運命」 なんでしょうね。--アヴィリヤノヴァ・リュドミーラさん

2014年02月12日 17時06分 JST | 更新 2014年04月13日 18時12分 JST

さあ、待ちに待った「ソチ冬季五輪」が始まりました!大会初日には、フィギュアスケート団体の男子シングル・ショートプログラムで羽生結弦選手が堂々首位を獲得し、幸先の良いスタートを切った日本勢。2月23日まで、私たちMy Eyes Tokyoもテレビに釘付けの毎日となりそうです。今回は、そんな熱戦の舞台であるロシアにまつわるインタビューをお送りします。

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2012年の春にお招きいただいた、とあるロシア語サロン。「Russian Cafe」という名前で、毎月第1日曜にさいたま市内・JR浦和駅前のパルコ内にて行われていました(*現在は都内に場所を移し継続)。

伺ってみて、すごいと思いました。参加者の9割は日本人の方々で、素人でも明らかに分かるほどハイレベルなロシア語を話されていました。

そして招いてくれた私たちの友人から、参加者の一人であるアヴィリヤノヴァ・リュドミーラさんをご紹介いただきました。私たちはこれまでにロシア人含め外国人にたくさんお会いしてきましたが、リュドミーラさんの日本語はその中でも間違いなくトップクラス。もし電話で彼女とお話したら、ロシア人だとは思わないかもしれません。

寒い日々をくぐり抜けたこの日に出会った、まるで柔らかい春の日差しのように優しい口調で話すリュドミーラさんと、日本語でしばしの会話を楽しみました。

*インタビュー@浦和パルコ9階(さいたま市)

* 協力:高田屋嘉兵衛さん(Alexander Hey: Russian Cafeオーガナイザー兼代表)

■ 温かみを感じられる場所

この「Russian Cafe」は授業ではなく、あくまでおしゃべりを楽しむサロンです。ですから、ロシア文化に興味があれば、ロシア語が話せなくてもいいんです。今日は少し先生っぽく教える場面も出て来ましたが、元々は私も他の方々と同じ、一人の参加者に過ぎません。

元々は、ここの主催者の方と"日本ユーラシア協会"でのイベントで出会ったのがきっかけです。私は彼に「先生になって下さい」とは頼まれませんでした。私も他の方々と同じく「参加しませんか」とお願いされました。

参加者は、日本の文化ををロシア語で話してくれる。だから私にとってもここは、すごく勉強になる場所です。それに何より、皆さんが私の母国語で話して下さっている。しかも皆さんが、ここに参加する目的をきちんとお持ちです。だからとても温かみを感じます。私にとって貴重な場所です。だからRussian Cafeはこれからも続いてほしいし、もっと多くの人に参加していただければと思いますね。

■ 一寸法師

日本には合計で6〜7年住んでいます。その前にもロシアの大学で4年半、日本語を勉強してきました。今でも日本の気候には慣れませんね。夏は特に暑いです。だから年に1度は故郷に帰ります。気候は向こうの方が合っています。

小さい頃お父さんに、絵本を買ってもらいました。それが「一寸法師」だったんです。もちろんロシア語でしたが、「箸」や「着物」といった言葉は、そのまま発音をキリル文字で表していました。私はロシア人にしては背が小さくて"親指姫"って呼ばれていたから、一寸法師には親しみを覚えました。絵がロシアのおとぎ話のそれとは全く違うから、印象に残りました。大人になって日本に来た後にその絵本を見せたら「ちょっと中国っぽい」って言われたんですけど(笑)

中学生の頃、クラスでグループ別にいろんな国の文化について調べ、発表する授業がありました。私のグループはドイツについて調べ、友達が日本について調べました。その人たちの発表を聞いて、焼きもちというか、すごくうらやましくなったんです。「何で私は日本を選ばなかったんだろう」って。いえ、ドイツの文化を調べるグループを希望したのは私なんですよ。私の学校では英語またはドイツ語が必修科目になっていて、私はドイツ語を選びました。だからドイツの文化を調べようと思ったんです。

一寸法師の絵本は、遠い昔のことだったから、日本のことを忘れていました。でも友達の発表が素晴らしくて、再び日本への興味に火がつきました。

■ 留学を決意

大学受験の時、いろいろ調べました。その中で、日本語や中国語、韓国語を学べる大学を見つけました。そこで私は世界の歴史や文化をメインに学びながら、日本語も勉強しました。

その当時の日本語力はゼロでした。先生は主にロシア人でしたが、時々日本から音楽大学に留学に来ていた人たちが、非常勤として日本の歌や日本の習慣を身振り手振りで教えてくれました。だから日本語というよりは、日本の文化を勉強した感じです。宿題もそれほど多くなかったですし。

ですから、日本語はなかなか満足できるレベルまで上がりませんでした。ロシアの大学は5年制ですが、大学4年になっても全然話せなくて、例えば「冬は雪があるから、私は冬が好きなんです」ではなく「私は冬が好きです。雪があるからです」みたいに、決まった表現を継ぎ足すことしかできなかった。この「Russian Cafe」に参加している方々のロシア語の方がずっとずっと上です。

もっと自分の日本語能力を高めたい。だから私は、日本への留学を決めました。ロシアでの私の母校と姉妹校提携を結んでいる大学が札幌にあり、そこに留学しました。

その大学には、1年間の留学でした。日本語の習得やレベルアップが目的でしたが、最初の半年間は先生が何を言っているのか分からなくて、全然授業について行けませんでした。留学生のクラスだったにも関わらず、です。

それもあって、最初の半年間は辛かったですよ。とにかくロシアとは文化が違い過ぎます。今だって、その文化の壁を乗り越えられたかどうかは分かりません。

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@Russian Cafe

■ 日本語に関わる仕事を

帰国後、大学を修了してロシアの会社に就職しました。当時は、何でも良いから日本語と関わる仕事がしたいと考えていました。だけど実際は、そういう仕事は私の地元にはあまりにも少なかったんです。

その結果私が就いたのは、非常勤の日本語教師の仕事でした。他にも日本の会社と取引のある企業で仕事をしたり、ソフトウェア会社で日本語と関わりのあるプロジェクトに参加したりしました。

でも、そのソフトウェア会社での仕事を境に、日本語の仕事は無くなりました。社長は「あなたはドイツ語も出来ますから、良ければぜひこの会社に残って下さい」とおっしゃってくれましたが、私はどうしても日本語が使える仕事がしたかった。それは、そういう仕事をしなければ自分が満足できなかったからです。それに、ドイツ語もかなり忘れていましたし。

■ 無縁の場所、無縁の分野

まだまだ、私の日本語能力は十分じゃない。そう思った私は、日本の大学院に行くことにしました。場所は神戸です。姉妹校提携などのコネクションは全くない大学院でした。最初の半年は大学の留学生センターで日本語の復習をし、その次の半年で大学院入試の準備、それから修士課程が2年です。

私がそれまで勉強したのは文化、歴史、言葉です。一方で勉強してこなかったのは、非言語コミュニケーションの分野でした。言葉ではないコミュニケーションとは言え、各民族特有の特徴があります。私は言語と非言語の両面から、日本文化を勉強したいと思ったのです。

非言語コミュニケーションを勉強できる大学院はいくつかありましたが、神戸の大学を選んだのは、私の地元や母校とはまるで縁がないところで自分を試したかったこと、"関西弁"の世界にも身を置いてみたいと思ったこと、海も山もあり、大都会ではなく、その上国際都市であること、それでいて日本の文化を失っていないこと・・・これらが理由です。

神戸には3年間住みましたが、最高でした。私にとって第2の故郷になりました。もちろん関西で仕事を探しましたが、私の興味ある教育や国際交流の分野での就職は非常勤以外では難しかった。非常勤ではビザサポートを受けられません。ですのでそのような仕事を探しに、関東にまで範囲を広げました。それでようやく、貿易関係の会社に就職先を見つけました。それで、こちらに来たんです。

■ 私は日本語に合っている

先ほど申し上げたように、今でも文化の壁を乗り越えられたかどうかは分かりません。でも、日本に自分がいることに不自然さは感じません。

私は今まで日本のいろんなところで、ロシアの文化を伝えながら日本の文化も学んでいきましたが、その中で双方の文化の違いが表に出て来る。それが面白いんです。日本語にはすごく遠回しな表現が多いから、それに疲れてしまって日本語や日本が嫌になる人もいるでしょう。それでも私は構わないと思います。それは選択の自由ですね。

言葉は、あくまで文化を伝えたり学んだりする上での手段に過ぎません。それを分かっていながら、ここまで私を日本語に熱中させたのは、何ででしょう・・・きっと「運命」なんでしょうね。私自身、日本語にすごく合っているんです。日本語の言葉が大好きなんです。

これからも日本に住んで、日本語をもっと深めたいです。日本語に対する興味は尽きません。だから、もはや「勉強」ではないですね。

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@Russian Cafe

リュドミーラさんにとって、日本って何ですか?


「人」ですね。コミュニケーションをしながら、いろんな人とつながっています。そのコミュニケーションに飽きることが無いんです。いつも新鮮です。


このRussian Cafeでも、私は日本の人たちとつながっています。だから、この場所はずっと続いていてほしいですね。


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(2012年4月1日「My Eyes Tokyo」に掲載された記事を加筆修正の上で転載)