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「大統領・朴槿恵」と「女性・朴槿恵」は別だ

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最近、大統領の弾劾と辞任を求める文章がフェイスブックに多く投稿されている。私は、いわゆる「朴槿恵-崔順実ゲート」の問題について、責任を要求する大統領の弾劾と辞任を支持する。私は政治的に彼女を一度も支持したことはなく、大統領選挙以降、「初の女性大統領」という看板が掲げられる度に、それが政治的アイコンとして消費されるだけだという思いを常に抱いていた。彼女が「生物学的に女性である」という事実が、自動的に「政治的変革性」になるものではないからだ。韓国を引っ張っていく指導者としての彼女の政治的力量の限界は、セウォル号沈没事故の以後、一層明らかになった。

正当な「政治的批判」そして、その批判対象に対する「ヘイトスピーチ」は、きちんと区別され分離されなくてはいけない。

ところが、最近フェイスブックやその他メディアでの、彼女に対する過剰な性的嫌悪の表現と筆舌に尽くしがたい悪口は、非常に不快だ。大統領の役割についての批判だけでなく、「女」として卑下する無数の表現に出くわしたからだ。女という「生物学的な性」の観点で、彼女の政治的指導力と結びつけて、ひどい悪口と差別的表現を行うことは、実際の政治的「進歩と改革」とは関係がない。改革の名であれ、どのような「名分」であれ、その批判的対象に向けたひどい性差別的価値観を正当化して再生産することが許されてはならない。したがって、正当な「政治的批判」そして、その批判対象に対する「ヘイトスピーチ」は、きちんと区別され分離されなくてはいけない。

フェイスブックやツイッターのようなSNSを通じた大衆的コミュニケーションは、一方では韓国社会の不要な厳粛主義を面白いほど飛び越え、「普通の人」の政治に対する無関心を揺さぶる機能を果たす。この点で、SNSは「脱厳粛主義的コミュニケーション空間」の機能を果たしながら、政治を私たちの日常領域に引き下げ、「市民政治の意識化」を広めるのに一部寄与したと思う。しかし、一方で、韓国は相変わらず徹底した「男性中心的社会」だということを複雑な思いで再確認させられる。

SNSを支配するいわゆる「オピニオンリーダー」たちは、ほとんどが男性であり、このオピニオンリーダーたちの性意識(gender consciousness)のレベルは、多くの場合大変に低いか、初めからゼロであったりする。男性中心社会が持っている特徴の一つは、同一の言語や表現、行為を、女性がした時と男性がした時、社会的反応が非常に相反するという点だ。つまり、二重の基準が作用しているのだ。今回の「朴槿恵ゲート」に向けられた性嫌悪的悪口と批判は、男性によるものだけではなく、家父長的な価値観を内面化した女性によってもしばしば行われている。批判的考察を通じた政治的・社会的な問題提起と、その批判対象者への嫌悪的な悪口は、そもそもスタートとゴールが異なる。

男性大統領が過ちを犯したときに、「やっぱり男が大統領だとだめだ」という結論にはつながらない。

もし、今の大統領が生物学的に男性だったら、女性である朴槿恵大統領に浴びせられる、筆舌に尽くしがたい女性卑下的な差別的表現が、今のようにSNSを埋め尽くすことはなかっただろう。例えば、男性大統領が過ちを犯したときに、「やっぱり男が大統領だとだめだ...」という結論にはつながらない。ところが、朴槿恵の生物学的女性性は「やっぱり女だとだめだ...」という結論に自然につながっていることがある。大統領の生物学的性によって、大統領の指導力に対する批判の「二重基準」が適用されるなら、それは他でもない「進歩と改革の名によって行われる性嫌悪」の行為だ。大統領の「生物学的性」を彼女の「大統領」という政治的役割から分離させなくてはいけない理由だ。

分離しなければ、結局「大統領としての朴槿恵」に対する政治批判的な言論が、彼女に対する性差別的で性嫌悪的な表現と結論まで正当化されてしまう結果をもたらすのだ。朴槿恵大統領の「生物学的女性性」は「必然的要素」ではなく、「偶然の要素」に過ぎない。

一部の改革の名のもとに、他の部分に対する抑圧、卑下、嫌悪が助長されたり、隠されたり、さらには「自然なもの」として扱われたりするケースは、人類の歴史で頻繁に起こってきた。今回の「朴槿恵-崔順実ゲート」は生物学的事件ではなく、政治的事件だ。その政治的事件への批判的で実践的な介入を通じて、韓国社会の民主意識の広まりと、社会政治的改革を遂げるための土壌が確保される契機となってほしいと思う。しかし、そうした崇高な名分があっても、批判対象に対する卑下と嫌悪が正当化されてはいけない。事実による政治的改革に向けて、私たちすべてが自覚し、常に考えていくべきことだ。

ハフポスト韓国版に掲載されたものを翻訳しました。