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アジア体験的トイレ考 経済発展の結果、普及する水洗トイレ

格差にともない広がり方はまだら模様

2017年12月22日 16時46分 JST | 更新 2017年12月22日 17時06分 JST

シンガポール建国の父、リー・クアンユー元首相は生前、「東南アジアにとって20世紀最大の発明はなにか。それはエアコンだ」と語っていた。エアコンが暑さから人々を解放し、より長時間の勤務や思考を可能にした結果、経済が大きく成長したというのだ。東南アジアで暮らした体感からすると、うなずかされる考察である。そのひそみに倣えば、経済発展の要因がエアコンなら、その結果は水洗トイレの普及ではないかと私は考える。もちろん経済発展に伴う格差の拡大と同様に、トイレの広がり具合も各地でまだら模様だ。アジアでは、携帯電話の普及率が家庭用トイレのそれをはるかに上回る現実が横たわる。

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バンコク中心部に「ターミナル21」という商業施設がある。地下鉄と高架鉄道が交差するアソーク駅につながり、各階をローマ、パリ、東京、ロンドン、イスタンブール、サンフランシスコと名付け、売り場をそれぞれの都市の雰囲気で飾りつけている。

開業後1年半たった2013年に初めてこのモールを訪れた私はトイレに入って驚いた。個室のすべてに日本製の温水洗浄機が備えられているのだ。中東からアジアにかけてよくみかけるホース式の手動洗浄機ではない。いわゆるウォシュレットだ。4年後のいまなら他の都市でもそうした施設があるかもしれない。だが当時、日本でこそデパートなどだれでも入れる公共のトイレに温水設備はあったが、アジアでは高級ホテルの部屋はともかく、大衆が利用する場所では考えられないことだった。私はトイレに座りながら、この街の、そしてアジアの変容に感じ入った。

私が初めてバンコクを訪れたのは1977年の1月だった。滞在した安宿は、ファランポーン駅近くの中華街にあり、香港の九龍城ほどではないにしろ、苦力と売春婦が跋扈する魔窟を思わせるたたずまいだった。宿のトイレは共用。水洗ではなく、紙もなかった。

その3か月前の1976年10月、王宮近くのタマサート大学で集会を開いていた学生らが右翼集団や警察官らに襲撃、虐殺され、その直後にクーデターで軍が実権を握っていた。1973年に民主化を求める学生らの決起を発端に退陣、亡命に追い込まれたタノーム元首相の帰国に反対する集会だった。「血の水曜日」と呼ばれる事件の余韻が残る街は、よどんで暗く感じられた。

1980年代、90年代にもたびたびバンコクを訪れ、2005年から4年間は新聞社の特派員として駐在した。その間にも軍と反政府団体が街頭で衝突する流血の惨事や、戦車が道行くクーデターがあった。それでもビルはぐんぐん高くなり、道路や鉄道は整備されていった。町はきれいに華やかかになった。そしてこの便座!

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私がアジアのトイレに関心を抱くようになったのは、大学を休学して放浪していたインドでの出来事がきっかけだ。1976年の暮れ、タージマハールを訪れるため、乗り合いバスでデリーからアグラへ向かった。当時の道はがたがたで埃っぽかった。道中便意を催し、休憩時にトイレを探したが、ない。致し方なく藪に飛び込んでコトを済ませ、持ち歩いていたトイレットペーパーをリュックサックから取り出そうとした瞬間、野ブタがうめきながら私の排泄物めがけて突進してきた。私はしゃがんだまま必死に逃げた。野外でしたのは人生で初めてだった。恐怖が頭に焼き付く痛烈な体験だった。

余談だが、カンボジアでは高床式の家のトイレで大便をすると階下で飼っている豚がすぐ処理してくれた。フィリピンとマレーシアの境界のスールー海の浮かぶシタンカイ島では、養殖生け簀のうえにトイレが設置してあり、ポトンと落ちると魚が一斉に食いつく。夕食には豚や魚が食卓にのるのだが,どれもまあふつうに美味しかった。

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2013年、私はデリーからアグラ行きのバスに再び乗った。国連が「世界トイレの日」(11月19日)を制定した機会に、原体験をたどりながらインドのトイレ事情を調べ、新聞のコラムに書くためだ。

この路線はすでに片道4車線の高速道路が敷かれ、渋滞もなく快適だった。サービスエリアがあると停車し、トイレを観察した。個室にはどこもホース式の洗浄機がついていた。一部で便座がなく、水の流れない便器もあったが、まずは合格点だ。37年を経て、道もトイレも相当整備されているなと思ったが、これはあくまで幹線の話だ。

続いてデリーから列車と車を乗り継ぎ、同国北西部に広がるタール砂漠近郊を訪ねた。ラジャスタン州チュル県の村々が全世帯にトイレを設置し、「脱・野外排泄」を相次いで宣言したからだ。

乾いた大地を水牛やラクダ、ヤギがゆったりと歩く。点在する家々には確かに真新しいコンクリート製のトイレ兼水浴び場が別棟として建てられていた。天井にタンクが備えられ、井戸からの水がくみ上げられている。

この地の女性は結婚すると薄いベールで顔を隠す習慣がある。チャンゴイ村の主婦ムケッシュ・シンさんはその隙間から、トイレが設置された2カ月前の感激をぼそっと語ってくれた。

「人生が変わった」

それまでは壊れた水浴び場しかなかった。暗いうちに起きて、1キロ以上も離れたところに用を足しに行った。お客さんが来ても同じように外に行ってもらうほかなく恥ずかしかった。主婦バンワリ・デビさんも「トイレが出来るまでは毎朝2キロは歩いて用を足していたが、周囲がくさかった」と話した。

村は人口3870人。デビ・ラム村長によると、870世帯のうち45世帯が半年余りで一気にトイレを建設した。その結果、全戸の設置が確認され、県から表彰された。

チャンゴイ村だけではない。人口約200万人のチュル県の900村のうち約半数が、わずかの間に「脱」を宣言した。2012年12月に就任したロヒット・グプタ県長官が、「脱」100%の目標を掲げ、ロゴを定めて「チョコチュル」(美しいチュル)キャンペーンを進めた結果だ。

キャンペーンプログラムは、5日間のコースで公衆衛生の臨時スタッフを養成し、村々に派遣する。トイレの大切さを説き、建設を促す。住民が自宅でトイレの建設に取りかかれば、労賃を払うほか、完成したトイレの写真や書類を提出すれば国庫から9100ルピーを支払う。村人からボランティアを募り、野外で排泄する人の数をチェックしてもらう。役所の職員に担当地区を割り振り、定期的に巡回。野外排泄がなくなったと確認すれば、村を表彰する。県庁の壁に村のリストを大きく掲示し、脱・宣言した村を色分けしてゆく。住民の尊厳とプライドに訴え、村単位の競争を促した。

グプタ長官は「外でやる方がリフレッシュ出来る、家を汚さなくて済む、と考える人は多い。建設もさることながら、習慣を変えることが大切だ」と説明した。グプタ氏は名門インド工科大を出てドイツに留学。モトローラの関連会社に勤めたエリートだが、やりがいを求めて公僕の道を選んだ。

トイレ設置の推進は、一部の自治体が熱心だ。県主催の合同結婚式に参加する新郎は自宅にトイレがあることを証明しなければならない「ノートイレ ノー花嫁」キャンペーンを展開する自治体もある。だが全国を見渡せは、劣悪な環境改善の道のりは険しい。

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世界保健機関(WHO)と国連児童基金(ユニセフ)が全世界を対象に実施した2014年の調査では、日常的に野外排泄をする世界の人口(10.08 億人)のうち、約 60%(約 5.97 億人)がインドに集中する。2011年のインド国勢調査では、自宅にトイレを持たない世帯の割合は53.1%と過半数。さらに49.8%の家庭は公共トイレを利用するでもなく、野外排泄を習慣としている。

トイレがないなどの衛生環境の悪さが原因で、インド国内で5歳以下の子ども1600人が毎日、下痢、コレラ、腸チフスなどで死んでいる(インド政府の2013年の調査)。国連は世界で2000人の子どもが毎日、同様の症状で死んでいるとしており、その多くがインドということになる。

衛生問題とともに、インドでは性犯罪との関連も見逃せない。

2014 年 5 月、デリーから300㌔南東のウッタル・プラデシュ州バダウン地区の村で、14歳と12歳のいとこ同士の少女2人が5人の男に集団レイプされ殺害された。遺体はマンゴーの木にぶら下げられていた。2人の自宅にはトイレがなく、夕食後、用を足すために近くの畑に向かうところで被害にあった。

インドの性犯罪のむごさはしばしばニュースとなるが、自宅にトイレのない女性が深夜や未明に外出して用を足す際に狙われるケースが被害の相当数を占める。チュル県の女性や、続いて取材した「脱・野外」宣言のハリヤナ州ハルマティラ村の女性らも、トイレがなかったころはトラックの運転手らから猥褻な言葉を掛けられるのが怖かったと口をそろえていた。インドのNGOが2012年に調査したところ、デリーのスラムに住む少女の7割が、野外排泄中に男からひわいな言葉を掛けられ、そのうち半分がもっと深刻な被害にあっていたという。

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ニューデリーに本拠を置く「スラブ・インターナショナル」はトイレ環境の改善と、汚物を運ぶ不可触民と呼ばれる人々の解放をめざすNGOだ。1970年の創設以来、全国130万の家庭にトイレを設置し、8000カ所の公衆トイレを建設してきた。解放した人々の職業訓練校やその子どもたちが通う学校も創設した。本部には、世界のトイレの歴史をたどる「トイレ博物館」が併設されている。その展示によると、「水洗トイレはインドで発明された」という。だがトイレに関していえば、いま世界で最も遅れた国はインドだ。スラブの創始者ビンデシワル・パタク氏は「政府はいつも計画倒れ。口だけだ」と批判する。「トイレのグル」(導師)と称され活動家の言葉は重い。

むろん政府が何もしてこなかったわけではない。初代首相ジャワハルラール・ネルーはドイツを訪れた際、祖国が発展するのはいつかと尋ねられて、「インドの全世帯にトイレが設置された時です」と答えたという。

つまり独立後間もないころから政府にも問題意識があったわけだ。1986年には「中央地方衛生プログラム」を策定し、野外排泄撲滅に乗り出した。ネ独立時にネルーが率いた国民会議派のマンモハン・シン政権は2011年、「クリーン・インディア・キャンペーン」を始めた。2022年までに野外排泄を根絶するとして公衆衛生予算を増やし、自治体の動きを後押しした。

2014年5月の総選挙で、ナレンドラ・モディ氏率いる人民党が国民会議派を大差で破り、政権の座についた。国民会議派の政策の多くを批判してきたモディ氏だが、トイレについては前政権を引き継ぎ、より力を入れると表明した。モディ氏は「寺よりトイレ」と宣言し、国民を驚かせた。ヒンドゥー教至上主義者とみられてきたモディ氏が宗教より衛生を優先させると宣言したからだ。

モディ首相は「我々の母親や姉妹が野外で排泄しなければならないことほどの苦痛はありえようか」「独立から60年たっても男女別のトイレを学校に設置することができず、それゆえに学齢期の女子学生が学業を断念している」と演説し、「スワッチ・バラット・アビーヤン」(Swachh Bharat Abhiyan=クリーン・インディア運動)をスタートさせた。国父マハトマ・ガンディーの生誕150周年となる2019年10月2日までに、1・96兆ルピーを支出し、1200万のトイレを地方に設置。小中学校のトイレや公衆トイレなどを整備するとともに、家庭内にトイレを設けるよう啓蒙活動も展開するとした。

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トイレ対策に力を入れる背景には、国連などからたびたび野外排泄の多さを指摘され、威信が傷つけられたと感じる大国意識がありそうだ。先に紹介したWHOとユニセフの調査報告書には、 1990年から2012年までの23年間に、野外排泄の大幅な削減に成功した10か国が記載されている。ネパールでは86%から40%に、バングラデシュでは34%から3%に、パキスタンでは52%から23%に減っている。一方インドは74%から48%と、近隣諸国に比しても改善が進んでいない現実が突き付けられている。

経済的な損失が半端でないことも政府や官僚に+意識されつつあるようだ。世界銀行グループの調査(2016年)によると、インドでは、トイレや野外排泄の場所を探す時間が、国内総生産(GDP) の20%に相当する100億ドル以上の生産性損失となっているという。

それでもモディ首相の掛け声ほどには、運動は進展していないようだ。政府は2016年3月末までの1年間に、都市部の世帯に250万のトイレを設置する目標を掲げていたが、都市開発省によると、年度末までに実際に設置できたのは132万にとどまり、目標を46%下回った。

ニューデリーやムンバイには高層ビルや巨大モールが林立する。地下鉄が走り、新幹線が計画されている。核兵器を開発し、人工衛星を飛ばすIT大国であり、世界最大の民主主義国家を標榜するインドで、国民の半数以上がトイレのない暮らしをしている。私は、トイレと野外排泄の取材で滞在中に面談した政治家や官僚、学者らにこの現状について問い続けた。「それってちょっとおかしくないですか?」。自宅にトイレがあり、野外排泄と縁がないであろう相手方は一様に憮然とした顔つきになり、「インドはまだ途上国だから」と、不快そうに言葉を濁した。

「トイレで人生が変わった」。その経験はタール砂漠の村の主婦だけのものではない。地域や貧富を超え、戦後のアジアで共有されてきた記憶のひとつではないか。

「西欧による世界史支配の終焉」を唱えるシンガポールのリー・クアンユー公共政策大学院のキショール・マブバニ院長は、著書で子ども時代をこう振り返っていた。

「暮らしがいつ近代世界に入ったと思うかと尋ねられたら、間違いなくわたしはトイレが水洗式になった日だと答えるだろう。その日、わたしの生活は、魔法のように変化した。前よりも尊厳ある人生を送れるような気分になり、いつ来客があっても前ほど困惑せずにすむようになった」。

来客への羞恥ということでいえば、フィリピンのイメルダ・マルコス元大統領夫人(現下院議員)の伝記のなかに、夫マルコス氏が初めて夫人の実家を訪ねた時、トイレが洋式でなくて恥ずかしい思いをした、というくだりがあった。後年、同国下院の部屋で夫人にインタビューしたとき、議員の部屋には通常設けられていないトイレを特別に設けていたことが印象に残っている。

昨今、外国を旅してトイレの汚さにうんざりする日本人は多い。とはいえ日本でも国鉄(現JR)時代の駅や車両のトイレなどは相当汚く、できれば使いたくない代物だった。10年余前まで垂れ流し式の列車も走っていた。中国で、隣との仕切りのないトイレに閉口した旅行者は多いだろうが、習近平政権も「トイレ革命」を推進しており、都市部を中心に状況は急激に改善されているという。

経済発展につれ、アジアの公衆トイレすべてが快適になる。そんな日が早く来ることを願う。

(注)この文は、2017年12月発行の「近畿大学国際学部紀要第2号」掲載の原稿に一部手を加えたものです。文中登場人物の肩書や人口、世帯数などのデータは取材当時のままです。