ドゥテルテ大統領付き映像ディレクターが撮ったフィリピンの真実

頼れるセーフティネットは家族だけという現実をも、この映画は忠実に描いている。

カンヌ国際映画祭をはじめ、世界中の映画祭で多数の賞を受賞してきたフィリピンの社会派映画監督ブリランテ・メンドーサ氏の作品「ローサは密告された」が7月29日から全国で順次公開される。

フィリピンに関心のある人には必見の映画である。ロドリゴ・ドゥテルテ大統領が進める「麻薬撲滅戦争」の背景が活写され、千人単位の死者を出しながらもなお圧倒的多数の国民がそれを支持するわけを垣間見ることができるからだ。

ドゥテルテ大統領は7月24日、下院本会議場で就任2年目の施政方針演説(SONA)に臨んだ。2時間に及ぶ演説の冒頭で強調したのは、麻薬撲滅戦争の継続だった。

「若者の人生を台無しにし、家族と地域社会を崩壊させる諸悪と苦難の根源」と麻薬汚染を規定。巻き添えも含めて多くの死者が出ている事態に対する米国などの批判に反論し、作戦の貫徹を誓った。

大統領の施政方針演説はフィリピン政界にとって1年で最大のイベントであり、日本の首相の施政方針演説とは雰囲気のまったく異なる華やかなお祭りだ。議員やその妻、多くのセレブリティが招かれ、議場は華やかな雰囲気に包まれる。

レッドカーペットを歩くハリウッドのようなファッションショー化がエスカレートしていたため、ドゥテルテ大統領は昨年に続いて、今年も華美に走らないよう議員らに求めたほどだ。

メディアも数日前から硬軟取り混ぜSONAの話題を取り上げる。一方、反政府団体も毎年、この時をねらって会場周辺に大規模なデモを仕掛け、騒然とする。

そのSONAの様子を撮影する映像ディレクターに、ドゥテルテ大統領が指名したのはメンドーサ氏だった。

大統領がミンダナオ島ダバオ市長時代に面談したことはあるものの親しいというほどではないというメンドーサ氏を指名したのは、世界的に注目される監督というだけではなく、「ローサは密告された」が映し出す麻薬汚染のリアリティに大統領が共感したのではないかと私は想像する。

フィリピンはここ数年、アジアで1,2を争う高い経済成長を続けている。マニラ首都圏のグローバルシティやマカティのビジネス街では、建設ラッシュのオフィスビルやコンドミニアムが高さを競う一方、一歩裏道に入れば、いまだに不法占拠のあばら家が密集し、雨が降れば道は川になる。

主人公の一家が住む地域は、マニラの標準からすれば、庶民が暮らす平均的なまちである。そこでのごくありふれた日常が誇張なく映し出される。

いや、日常だったと過去形にしたほうがいいだろう。2016年6月のドゥテルテ政権誕生以前に撮影されたからだ。それ以降なら、主人公一家や、登場する麻薬の密売人はその場で射殺されていたかもしれない。

映画のなかで密売人が一方的に警官に殴り倒される。警察署を訪れた密売人の妻が抗議すると、警官は答える。「だんなの方から殴ぐりかかってきた」

ドゥテルテ政権発足以来、今年4月までに全国で約9000件の殺人があった。約3000人は警官による射殺だ。政権の進める麻薬撲滅戦争に絡んだ殺害、裁判を経ない超法規的殺人が多くを占める。警察の弁明はいつも同じだ。「容疑者が抵抗した」

警官のほか、自警団と呼ばれる暗殺隊、密売組織のメンバーが末端の密売人や使用者を殺すケースがほとんどだ。多くは口封じをも目的とした殺人とみられる。警官が口封じで人々を殺す理由は、この映画をみれば納得できるはずだ。

警察の腐敗は底なしである。密売人の上前をはねるだけでなく、釈放の条件に金を要求する。押収した覚せい剤を横流しするのも常識だ。大げさな作り話ではない下町の現実である。

大統領は、麻薬犯罪者に対して「お前らを殺してやる」と宣言している。口封じのために、これまで脅してきた密売人らを殺す警官にお墨付きを与えているようなものだ。

それでも世論調査で大統領の支持率や麻薬撲滅戦争への肯定は8割に近い。

それだけ麻薬汚染が蔓延しているということだ。都市部でもいまだに大家族が多いフィリピンで、家族のなかに一人や二人、SHABU(覚せい剤は日本語からきた名前で呼ばれる)の使用者がいても驚くことではない。

そうした輩は往々にして仕事もなく、家族のお荷物だ。一家の足を引っ張る存在を何とかしてほしい。切実な願いを庶民が強権の大統領に託しているように私には思える。

人の命が軽い現実もある。巻き添えで子供が死んだケースがあったが、警察が真剣に犯人を追うわけでも、メディアが地道に責任を追及するわけでもない。運が悪い人間は死ぬ。その原因や構造を突き詰める余裕が政府にも社会にもない。

ドゥテルテ氏はダバオの治安を改善した手腕が評価されてきた。大統領就任後、マニラも以前より安全になったと感じる市民がいる。大統領が怖いからSHABUをやめたという使用者や密売人の声も聞く。

それでは、ドゥテルテ政権は麻薬撲滅戦争に勝利するだろうか?

私は楽観していない。この一年、麻薬取引を背後で仕切る警察や政治家、大物の麻薬王が殺されたり捕まったりというニュースにはほとんど接しないからだ。まして警察の腐敗が改善されたわけでもない。

大統領は、超法規的殺人を批判する欧米諸国や人権団体を罵倒するだけでなく、実行犯の警官やその後ろにいる警察幹部らをかばいさえしている。麻薬汚染の根っこにある警察の腐敗に立ち向かう意思はないようにみえる。根本から立て直すことを不可能と感じているのかもしれない。

物語のもうひとつのテーマは、家族の絆だ。だがそれは必ずしも美しいものとは限らない。家族のためには警察に友人を売り渡し、体も売る。警察を含めた国家や政府が信用されていないこの国で、頼れるセーフティネットは家族だけという現実をも、この映画は忠実に描いている。すべてがリアルな映画である。

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