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ナチスと美術品

2015年11月06日 16時59分 JST | 更新 2016年11月05日 18時12分 JST
Naoko Fukuda

11月、ナチス美術をめぐる二本の映画、「ミケランジェロ・プロジェクト」(11月6日)と「黄金のアデーレ 名画の帰還」(11月27日)が公開される。

前者はジョージ・クルーニー主演、原作は「モニュメンツ・メン」。ナチスドイツが欧州各国から略奪した大量の美術品を救い出し、元の所有者に返還を促す米軍の特殊班をめぐるストーリー。 後者は、ウイーンからアメリカへ亡命した高齢の女性、マリア・アルトマン(1916-2011)が、家族で所有していたクリムトの作品(伯母がモデル)がナチスに没収され、戦後はウイーンの美術館にあった絵画を取り戻す過程を描いたもので、ヘレン・ミレンが好演している。両作品ともに欧米では随分前に公開されている。

二つの映画を見る予備知識として、ナチスの美術品略奪の経緯を頭に入れておくと理解しやすいかもしれない。

ナチスは、欧州で、併合・侵略した国々から美術品を没収・収集した。ヒットラーが思いいれのある街、オーストリア、リンツに巨大な美術館を建設する野望のため、ヒットラーとナンバー2のゲーリングの美術収集をめぐるライバル化、その他ナチス幹部のあいだの「美術収集熱」、外貨を稼ぐためなどである。

排斥したユダヤ人コレクターの美術品からのみならず、博物館や美術館、図書館、修道院、教会などからあらゆる調度品を略奪したのだから、推定65万点ともいう途方もない数であった。植民地化や戦争で美術品が略奪されることは世の常とはいえ、これほど組織的に略奪されたことはなかった。

第二次世界大戦でドイツの敗戦が濃くなっていくと、米国とソ連はドイツ占領へ向けてさまざまな計画を立ち上げていた。戦後の宇宙開発競争につながることになる米国のドイツ人科学者争奪戦「ペーパークリップ作戦」はよく知られているが、1944年6月に結成されたある美術特殊部隊については、アメリカの歴史研究家が2009年に著書「モニュメンツ・メン」を出版するまで、一般にはあまり知られていなかった。

連合軍内に設けられた特殊班、「記念建造物、美術品、文書に関する調査部隊(通称、「モニュメンツ・メン」)は行方不明になった美術品の数々の保管先を調べ、安全な場所に移動させ、元の持ち主に返還するという役目を担っていた。終戦へ向けてナチス幹部がいっせいに逃げだし、連合軍が到着するまでの空白の期間、一般市民からの略奪が多発したが、なによりもロシア軍が保管場所にやって来る前に見つけなければならなかった。

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「ミケランジェロ・プロジェクト」の原作、「モニュメンツ・メン」

映画「ミケランジェロ・プロジェクト」はかなりの部分を脚色し、わかりやすくコンパクトにまとめてあった。実際に連合軍がドイツでみつけた美術品の隠し場所は1400ヶ所以上であったというから地理的に途方もなく拡散し、その数は途方もないものであったと推測される。美術品は、ミュンヘンにあった元総統官邸を中央集積所Central Collecting Point(CCP)として、集められた。

モニュメンツ・メンはピーク時で400人ほど、活動期間もわずか四年あまりで解散されたことを考えると、大量の美術品の目録を作り、来歴調査をして元の所有者に返還するという作業は混乱を極め、戦後の再建が急がれた中、美術返還は完璧とはいえなかった。

実は今も、行方がわからなくなったと思われていた美術品がひょっこり「発見」されることがある。三年前、偶然が重なり、ミュンヘンのある個人宅から1500点あまりの美術品が見つかった。保有していたのは、ナチス時代に略奪美術品の売買を任されていた4人の美術商の一人の息子であった。詳しくは拙稿新潮45の11月号、拙稿「ナチス略奪美術品」の深い闇‥に記した。

大量の美術品が個人宅にあったことで、どういう経緯でそれだけの美術品が70年以上も人目に触れることなく、ミュンヘンの住宅地のアパートにあったのか、ドイツ政府は美術品の来歴調査を行うチーム、「タスク・フォース」を二年前に設けた。美術品のうち、三分の一ほどがナチスによる略奪美術品の疑いがあったためだ。

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かつて美術品の闇市があったというミュンヘン、シュバービング

地区の住宅で、大量のいわくつき美術品が見つかった

しかし、昨年、美術品を「所有していた人物」が亡くなり、遺言でスイス、ベルンの美術館に寄贈されることが決まり、タスク・フォースも今年末で解散されることになった。二年間に元の持ち主に返還された美術品はわずか2点。ナチス略奪美術品として返還請求がある百点以上がまだ未決定のままだ。

ナチスの圧政で、命からがら国外への逃亡を試みた人々が美術品の返還を求め、実際に作品を取り戻す裁判はいかに長い時間と忍耐が試されるのかは「黄金のアデーレ 名画の帰還」で描かれているマリア・アルトマン(1916-2011)のケースからよく理解できる。7年間の裁判の末、ウイーンの美術館にあったクリムト作「アデーレの肖像」を取り戻せたのも、アルトマンが長命でかつ、熱血の若手弁護士のねばりのおかげであろう。しかし、裁判費用捻出のために売却。現在はNYの美術館「ノイエ・ギャラリー」に展示されている。

今もナチスのために行方がわからなくなった美術品は、少なくとも10万点はあるという。