平和を守り続けて70周年「日本が戦争をやめて平和の道を歩み始めた日」に毎年イベントを

「武力という抑止力」でしか国際関係のバランスを取ることができないという考え方は、もう古いのではないでしょうか

■ 戦後70年ー元特攻隊員の想い

「なんと95歳ですよ!自分でもビックリ」

つい先日のこと。長いメールの中ほどにその一文を目にしたとたん、パソコンを前に思わず頬がゆるんでしまいました。メールの送り主は元特攻隊員の岩井忠正さん。ご自身も死を覚悟し、若くして戦争の犠牲になった戦友を見送った経験をもつ岩井さんならではの、長生きされてきた率直な感想でしょう。

2014年11月21日に突然衆議院が解散された時、私たちは岩井さんをゲストとしてお招きし、「いつか来た道」を再び辿らないために、今できること!と題してイベントを開催しました。この時、「自由と民主主義を手にしていることを、もっと自覚した方がいい」ということを強調されました。岩井さんは、慶應義塾大学在学中に学徒出陣で海軍へ。心の中では体制に批判的であっても、当時は治安維持法があったから口にできなかったと言います。

「積極的な協力ではなくてもね、なにも言わない、本心を言わない沈黙による協力というのがあると思う。沈黙は中立ではないですよ。ひとつの協力なんだ」

「戦前に状況が似てきたとは言うけれど、国民が(自分の意見を発言する)権利を持っているという点で昔と全く違います。自由と民主主義を手にしていることを、もっと自覚したほうがいい」

右:岩井忠正さん。 左:同じく特攻隊員だった弟の忠熊さん。

■ 「自由と民主主義を手にしていることを、もっと自覚したほうがいい」

最近、岩井さんのこの言葉に呼応するかのように、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)をはじめとする若者の活躍が目立つようになってきました。本名を出し、自分の意見を主張するその姿は、まさに「自由と民主主義を手にしていることを自覚した姿」に違いありません。

岩井さんと同じように、彼らの登場を心強く思う戦争体験者は多いだろうなと思っていた矢先、特攻を目指していた方の新聞投書に目がとまりました。

安保法案が衆院を通過し、耐えられない思いでいる。だが、学生さんたちが反対のデモを始めたと知った時、特攻隊を目指す元予科練だった私は、うれしくて涙を流した。体の芯から燃える熱で、涙が湯になるようだった。オーイ、特攻で死んでいった先輩、同輩たち。「今こそ俺たちは生き返ったぞ」とむせび泣きしながら叫んだ。(中略)

学生さんたちに心から感謝する。今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ。ーー2015年7月18日 朝日新聞「声」欄 加藤敦美(86歳)

そう、時代が違えば自分の意志など主張できず、体制に従う事しか許されなかったのです。

声をあげ始めた若者の周囲にも、「政治は難しいしよく分からないから発言できない」「私はどっちにも染まらず中立でいたい」という声はあるようです。しかし、「本心を言わない沈黙による協力」という岩井さんの言葉を改めて思います。

「僕はそういう失敗をしたから、傍観者にはならないぞという覚悟をしています」と、今もさまざまな場所で95歳の岩井さんは声をあげ続けています。

■ 「戦争のない未来」をイメージ

私たちNPO法人ブリッジ・フォー・ピース(以下BFP)は、これまでの11年間で約300名の戦争体験者に取材・収録し、フィリピンと日本で上映ワークショップを開催(注1)して次世代につなげる活動をしてきました。すでに他界された方も多いですが、彼らに共通する想いがあります。

それは、「二度と同じ経験を誰にもしてほしくない」ということ。「戦争では何も解決できない」「武力によらない手段を」「戦争を知らんもんが、また始めようとしている」「今の政治家は自分が戦争に行くとは思っていない。だから戦争のできる国にしようとしている」「戦争は勝ち負けではない。人間が『死ぬ』ことだ。戦争をやめなければ、毎日人間が死ぬ。それが戦争なんですよ」......。

そして、戦場を体験した彼らは口をすっぱくして私に教えてくれました。

「武力ではなにも解決しない」

「盾は矛を呼ぶ」

ということを。

戦後70年が経ち、日本を安全で平和な国にするために「抑止力」として武力が必要だという議論があります。しかし、実際の戦争体験者の言葉に勝る説得力はありません。たとえ戦争という状態に踏み込む訳ではないと解釈を加えても、日本が巻き込まれていく可能性は誰も否定できません。むしろ、武力を前提とした"平和主義"では、平和が保たれないと危惧する声が日本全国に広がっています。隣国との良好な関係性づくりこそが「抑止力」として重要なことであり、対話を重ねて強固な関係構築をするのが政治の役割のはずですから、当然の声だと思います。

「武力という抑止力」でしか国際関係のバランスを取ることができないという考え方は、もう古いのではないでしょうか。現に若い世代は特有の水々しい感性と想像力で、「戦争のない未来」を描けているように見えます。これまでの固定概念に凝り固まらず、新しい社会システムのあり方が求められているのは、彼らのムーブメントから容易に感じとることができます。

「そんな夢物語のような未来が描けるはずはない」

そう思っている方がいたら、既存の社会システムに単に縛られているだけかもしれません。女性に参政権がなかった時代、今のような女性の活躍を想像できたでしょうか。黒人差別が色濃かった時代、今のように同じ学校に通えることを想像できたでしょうか。最初からできない理由ばかり探していては、最初の一歩を踏み出せません。新しい風が吹く前は、少数の人にしか輝かしい未来が見通せていないのが常だと思いますが、「戦争のない未来」を多くの人がイメージすることができたら、必ずいつか現実化するでしょう。

■ 戦後100年、次世代に「同じ平和」をバトンタッチするために

BFPでは、毎年8月16日、終戦記念日の翌日を「日本が戦争をやめて平和の道を歩み始めた日」として、イベントを開催していくことに決めました(注2)。

2015年8月16日は、平和を守り続けて70周年を記念する日です。

平和は当たり前にあるものではなく、たくさんの方々の犠牲の上にあり、かつ、「戦争は二度と繰り返してはならない」という想いによって守り続けられてきたからこそあるものです。そのことを改めて心に刻む日にしたいと思います。

日本のみならず、世界中の戦争がなくなるように願いをこめて、毎年イベントを開催します。100周年は、この目で必ず見届けるつもりです。

次の世代に「同じ平和」をバトンタッチできるかは、今を生きる私たち一人ひとりにかかっています。

注1:2010年にNPO法人化後は、他のアジア諸国との交流事業も実施しています。

注2:2015年8月16日は、愛知県岡崎市をメイン会場として開催。今後、同時多発的に全国各地で開催されるよう普及していきます。開催希望者はご連絡をお待ちしています。

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