赤ちゃんを抱っこして寝る。なんて素晴らしい瞬間なんだろう。パパより

6カ月ほど経った頃、娘は何かひらめいたようだった。

私たちの娘は2歳になる頃、ドアノブのひねり方がわかるようになった。

その背丈は、小さな指でノブを器用につかむには十分過ぎるほど大きくなっていた。まだ幼いのに、とても頭がいいことを証明するようなものだ。

しかし興味深いことに、娘は新しく発見した「ドアノブをひねる」という能力を、自分のベッドルームから脱出するために使おうとしなかった。娘が自力で部屋を出入りできるようになったので、私と妻のリディアは、ふたりの平穏な夜が終わってしまうだろうと思っていた。きっと毎晩、一晩中家の中をウロウロして、今まで知らなかった自由を楽しむことだろうと考えていた。でも、そうはならなかった。

6カ月ほど経った頃、娘は何かひらめいたようだった。ドアノブをひねるということでドアを開けられることに気づき、それだけでなく、ママとパパがどこで眠っているのかを知ったのだ。

彼女は、その2つの事実を頭の中で組み合わせ、ある晩の午前3時過ぎ、私たちの寝室にやってきた。

普段からドアに近い側に眠るのは妻のリディアなので、よちよち入ってきた娘を迎えたのはリディアだった。リディアは娘をうまく子供部屋のベッドに連れ戻したが、2歳児の子供はなかなか頑固で、それ以降、週1回は私たちの部屋にやって来るようになった。

娘もこちらを伺いながら試していたのだろう。どこまで論理的に考えていたかはわからないが、なんとなく(親の寝室に行くことが好ましく無いと)本能的に察知していたのかもしれない。

そしてついに娘は、わかりきった事実に気付いてしまったのだ。パパの方が気が弱いということに――。

何回か挑戦してママの反対にあった後に、娘は新しいアプローチ方法に着手した。私たちの寝室に入り......ベッドにもぐりこむ。でも今度はパパの側に。そして私に身体を寄せてきた。

私はというと、娘を抱き上げて子供部屋に連れて行くのではなく、ぎゅっと抱っこして毛布で包み込んだのだった。

娘は自分の親指を口に入れて、眠りに落ちた。

安心。

温かい。

(その後何時間にも渡り、私は娘から蹴られたり、おならをされたりし続けたけれど、でも、そんなのは気にならなかった)

これにより、私たちの平穏な日々は終わったのだった。

娘が部屋を訪れるのは朝5時から3時に早まり、夜は11時から10時になり、週に1回から毎晩に変わった。時間は早くなり、頻度は高くなった。

リディアが起きているときは、娘を子供部屋に連れて行った。

これは私とリディアの間で、小さな論争の種にはなったけれど。リディアは育児に関する本を読んだり、教育や悪い習慣などについて話したりするのが好きだ。私は、わかるけれど、あんまりそういうことには興味が無い。

娘は今、3歳だ。

きっと、明日にでも13歳になってしまうだろう。

時間はあっという間だから。こうやって抱っこしていられるのもきっと長くない。娘が私をぎゅっとしてくれるのも、ずっとは続かないかもしれない。思春期を迎える頃には、お父さんなんて見たくもないだろうし、話したくもなくなるかもしれない。

だから、この瞬間はとても大切で、無駄にしたくないのだ。

もし娘が夜、抱っこされて温もりに包まれたいのなら、どうして私が否定できるだろうか。

妻は、難しい表情を浮かべる。私たちの1歳の息子が、いつ寝室に現れるかと考えているのだ。

「その頃までに娘をしつけておかないと、ベッドが狭くなりすぎるわ」

そうだね。

私はその日を楽しみにしている。

このブログはハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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