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「ノー」と言われ続けたノーベリウム

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アルフレッド・ノーベルの名を冠した102番元素ノーベリウム(No)は、ソ連、スウェーデン、米国のいずれかで、1950年代もしくは1960年代に「初めて」発見された。Noの発見をめぐる数十年にわたる混乱を、ストックホルム大学(スウェーデン)のBrett F. Thorntonとウースター工科大学(米国)のShawn C. Burdetteが詳しく解説する。

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Credit: ALEX WING

1956年、Georgy Flerov率いるモスクワ(ソ連)の研究チームは、当時開発されたばかりの重イオンビーム技術を用いて、プルトニウムの同位体241Puに酸素の同位体16Oを衝突させる実験を行った。その結果、102番目の新元素が作り出された可能性があったことから、研究チームはその名称として、同年3月に他界したフランスの化学者Irène Joliot-Curie(1935年にノーベル化学賞を受賞)に敬意を表し、「ジョリオチウム(Jo)」を検討していたという。

しかしながら、後にFlerov自身が述べているとおり、初期のデータは不確かなもので、それが広く知れ渡ることはなかった。冷戦時代のさなか、Joliot-Curie夫妻がソ連の積極的な支持者であったことを考えると、Joという名前が実際に使われていれば、おそらく西側諸国で相当物議を醸すことになっただろう。

翌年7月、今度はストックホルムのノーベル物理学研究所(スウェーデン)の研究チームが、キュリウムの同位体244Cmと炭素の同位体13Cを融合させることによって、102番元素の同位体251102または253102を合成したと主張した(参考文献1)。このチームには英国や米国のアルゴンヌ国立研究所の研究者たちも含まれており、研究チームが新元素名として、ノーベル物理学研究所や同研究所名の由来でもあるAlfred Nobelにちなんだ「ノーベリウム(No)」を提案したところ、この名前は瞬く間に広がった。

新元素No発見の報告に関心を持ったローレンス・バークレー国立研究所(米国)のGlenn SeaborgおよびAlbert Ghiorso率いる超重元素グループは、すぐにこの成果の再現を試みた。ところが、数か月間に及ぶ再現実験は全てが失敗に終わり、不信感を抱いた研究グループは、この元素には『nobelievium(「信じられない元素」を意味する造語)』という名前の方がふさわしいのでは、と密かにささやいていたという。

再現実験をあきらめた彼らは、新たな実験として102番元素の別の同位体の合成を開始。1958年に、244Cmと12Cの融合で254102の合成に成功したことを報告した(参考文献2)。

1960年代初頭、モスクワ郊外に新たに設立されたドゥブナ合同原子核研究所では、同研究所に移ったFlerovらのチームが、新型の重イオン加速器を用いて実験を行っていた。一連の実験の結果、彼らは1958年のバークレー・チームによる新元素発見の報告が誤りである可能性を見いだす。バークレー・チームが反応生成物を誤認し、実際に生成されたものは254102ではなかったのではないかと考えたのだ。

実験で新元素を生成したとしても、その同位体や半減期の特定が間違っていれば、果たしてその発見は有効だろうか? 

ドゥブナ・チームにとって、その答えは「ノー」だった。彼らはIUPACの「No」承認は性急だったと批判、102番新元素は彼らが発見したもので、その名前は「Jo」であるべきだと強く主張した。

自分たちの研究が否定され、ライバルチームに発見を主張されたことで、バークレーのGhiorsoらは動揺、新たな実験を開始するとともに過去のデータを調べ直した。間もなく彼らは、半減期と同位体の特定に一部誤りがあったこと、再検討後のデータ解析結果はドゥブナ・チームの結果に近いものであることに気付く。

これを受け、バークレー・チームは反論の中で、慣習にならった「元素発見の優先権」を強調しつつも、ストックホルム・チームが名付けたNoでもかまわないという譲歩の姿勢を見せた(参考文献3)。しかしソ連では、この反論は完全に無視され、102番元素の発見はドゥブナ・チームの功績として公式にたたえられた。

その後、102番元素をめぐる緊張状態は、何も動きがないまま数十年にわたり続いた。こうした超重元素の名前に関する論争は他にも複数存在し、いずれも解決の兆しが見られないことから、IUPACは1990年初め、全ての超フェルミウム元素の発見を審査し直すことにした。

そんな中、ドゥブナ・チームは自分たちの102番元素発見の詳細を改めて発表する(参考文献4)。この発表では、「No」という名前は一切使われておらず、バークレー・チームが得た評価は「根拠のないもの」と評されていた。

その後IUPACは、長期にわたる再審査を経て、102番元素の発見を決定的にしたのは1966年のドゥブナ・チームによる2報の報告である、と結論付ける(参考文献5)。これに対しバークレー・チームは、自らの主張を撤回しないだけでなく、この判断は元素発見の優先権への「事後の干渉」だとしてIUPACを非難した。

バークレー・チームは、1958年の時点ではストックホルム・チームがその前年に行った244Cmと13Cの融合実験の結果を否定していたが、1967年になって同じ反応を方法を改良して実施したところ、253Noの合成に成功する。

合成反応が同じであるにもかかわらず、ストックホルム・チームは異なる半減期の生成物を単離していたことになる(参考文献6)。従って、102番元素を初めて合成したのはストックホルム・チームだった可能性があるが、ではなぜ誰もが納得できるような単離ができなかったのか。

ストックホルム・チームが用いた、陽イオン交換カラムで3価アクチノイドイオンを分離する方法は、アクチノイドの精製プロトコルとして1950年代には十分確立されていた。ただ残念なことに、Noは3価よりも2価の方が水溶液中で熱力学的に安定であるため(参考文献7)、ストックホルム・チームが合成したNoはおそらく、No2+として交換体を素通りし、知らないうちに溶出してしまったのだろう。

結果論になるが、これは、周期表から元素の性質を予想できるという、また別の例といえる。通常、電子はエネルギーの低い軌道から順に詰まっていくが、遷移金属では複数の軌道でエネルギー準位が接近しているため、時折電子の入る順序が入れ替わることがある。

Noも、Cu+やAg+d殻がそうであるように、6dに入るはずの電子が5f殻に入ってこの殻を満たすことにより、No2+の状態で安定になると予想される。

Noの既知の同位体で最も長い半減期を持つのは259Noの58分であり、そのため語源が同じだからといって、ノーベル賞のメダルにNoを使うことはできない。発見や命名権をめぐる一連の衝突にもかかわらず、102番元素は今も変わらず「ノーベリウム」と呼ばれている。この呼び名はおそらく今後も変わらないだろう。

Nature Chemistry 6, (2014年7月号) | doi:10.1038/nchem.1979

原文: Nobelium non-believers

著者: BRETT F. THORNTON, SHAWN C. BURDETTE

参考文献
  1. Fields, P. R. et al. Phys. Rev. 107, 1460-1462 (1957).
  2. Ghiorso, A., Sikkeland, T., Walton, J. R. & Seaborg, G. T. Phys. Rev. Lett. 1, 18-21 (1958).
  3. Ghiorso, A. & Sikkeland, T. Phys. Today 20, 25-32 (September, 1967).
  4. Flerov, G. N. et al. Radiochim. Acta 56, 111-124 (1992).
  5. Wilkinson, D. H. et al. Pure Appl. Chem. 65, 1757-1814 (1993).
  6. Ghiorso, A., Sikkeland, T. & Nurmia, M. J. Phys. Rev. Lett. 18, 401-404 (1967).
  7. Maly, J., Sikkeland, T., Silva, R. & Ghiorso, A. Science 160, 1114-1115 (1968).

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