広告を考える

残り半分の疑問

マーケティング担当者の半分以上がデジタル技術を使った戦略に自信がないー。コンピューターソフトの会社アドビシステムズによる最近の調査がそう伝えている。ソフトウェアをもっと販売したがっている「アドビ社が手がけた調査だから、そんな結果が出るのだろう」といってしまうのは早計だ。

広告の次の広告への試みは、静かにはじまっている

この試みがすべてではないし完璧なものだと言うつもりもないが、少なくとも、これからの広告、広告の次の広告のひとつの形を示しているのだと言える。この事例は、さっきの「大阪の虎柄のおばちゃん」の例みたいにわかりやすく派手ではない。けれども、こんな風に静かにあちこちで、広告は進化していくのかもしれないね。

お金を「多く使う」より「善く使いたい」。それが21世紀なんだろうね

努力して出世して高い収入を得たら「多く使う」。そのことに大した価値がない、さほど意味がないことをぼくたちは知ってしまった。そんなことをしても、リーマンショックや震災で簡単に物事がひっくり返るし、それよりも何か「善い」事にエネルギーを注いだ方がいい。いままでは道徳の教科書の中の考え方だったのが、普通に受けとめる考え方になった。それがデータに現れているのだ。

つまり"数"以外の価値をつけられるか〜『5年後、メディアは稼げるか』を読んで(その2)

メディアの未来は、ウェブに習うとかソーシャルだとか言うと、よくわからない、数値的なものに捉えがちだが、もっと素朴なことなのかもしれない。ぼくたちがたどってきたアナログな時代の道筋にこそヒントがあるかもしれないと思うと、また面白くなってきたじゃないか。

広告はパーツになりむにゃむにゃしたコミュニティの入口になる(ハフィントンポストに書いたことの続き)

これまでの広告は、日々の暮らしの中に突然乱入してきて「これいいっす!すげえいいっす!」と叫び続けるのが基本姿勢だった。でも消費に冷めた人びとには、そんなことだけでは効かない。代わりに、楽しそうなコミュニティをむにゃむにゃと作り上げるのだ。