21世紀の人権を再定義する。

世界人権宣言の採択から65年経つが、世界中で人権侵害は続いている。「人権」は次のステージに移行する時期を迎えているのかもしれない。

(写真:耿念方)

年末になると日本のあちこちで「人権尊重」の言葉を見かける。12月10日が世界人権デーで、この日までの1週間は人権週間と定められている。この時期は、全国で一斉に人権にまつわる催し物が開催される。私なども講演の依頼で出かけることが多い。

1948年12月10日の第3回国際連合総会で、すべての人民とすべての国が達成すべき基本的人権についての「世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)」が採択された。21世紀は「人権の世紀」と言われる。世界人権宣言の採択から数えるとすでに65歳を迎えている。人間で言うと前期高齢者で、成熟したお年頃である。

かつての戦争の反省を踏まえはじまった志も空しく、世界中で人権が侵害され、命すら簡単に奪う。世界のどこかで常に人々が殺し合い、憎しみの連鎖が増幅するばかりである。日本でも人権啓発活動の努力が続けられているにもかかわらずヘイトスピーチなどの新たな問題も出てきている。人権の大切さを今まで以上に声を張り上げて訴える必要が必ずある。

私自身も長年人権活動の近くにいた人間の1人である。そんな中で強く思うことが一つある。「人権」は次のステージに移行すべき時期に来ている時期に来ているのではないかということである。そのことが現在まで、長年の努力が続けられても中々結果に結びつかなかったことも、画期的に解決してくれるのではないかと考える。

「人権」は、どこか他人事になっていたのではないだろうか。人権イベントに集まる大多数にとっての人権は「他者のための人権」、「自分には関係ない人権」だったのではないだろうか。例えば、舞台で喋る外国人の話を聞いている会場の人々は、外国人のために出来ることを考える。そこには自分にとってのメリットはない。

相手のための、他者のための人権という無意識の気持ちが、多数派を人権に対し義務的にさせてしまい、活動に参加することも腰を重くさせたのではないか。人権の集いに人集めに苦労する多くの主催者の話を聞いた。

無論、いままで同様に、誰しもが侵害されてはならない人権があるというメッセージを掲げた取り組み、これは引き続き行う必要がある。しかし、人権が成熟した今はそこで留まることなく進化する必要がある。つまり人権世紀の人権は、他者のためだけのものではない。自分のためでもある。いや、むしろ自分のためであることを強調すべきである。

新しい時代の「人権」の定義は、我々の周りにある違いを自分の中に取り込むことによって、自分自身が、強く、やさしく、しなやかに、美しく、豊かになる「人として自分の権利」それが、"新"時代の人権なのである。近江商人は持続可能な組み合わせを「三方よし」と言う。人権も「三方よし」でなくてはならない。「手前よし」、「相手よし」、「世間よし」である必要がある。その組み合わせで初めて人権も持続可能になっていく。繰り返しになるが、人権は自分のためであるという発想はもっとも大事である。

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