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9月17日を「親日家の日」に!世界一の親日家の生誕を記念して。

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日本を愛して止まない人物を表現する言葉に「親日家」がある。日本国民の場合は「愛国心」などの言葉が使われても「親日家」いう言葉は使わない。「親日家」は、日本を愛でる日本人ではない、人物を表現する言葉として使われているのである。海外にもこの「親日家」に匹敵する言葉なども存在している。フランスで使われる「タタミゼ」、中華民国や台湾で使われる「哈日族」なども、ニュアンスの違いはあっても「親日家」と読み替えることが出来よう。

メディアなどにおいて一般的に「親日家」と紹介されるのは、むろんこの国を活動拠点の一つにしている外国出身の俳優、歌手、経営者や研究者などである。ざっと思い出す範囲でジョンレノン、レディー・ガガ、ビルゲイツやドナルド・キーンなどが言われたように記憶している。もちろん、親日家は、著名人に限らない。有名無名合わせて「親日家」と呼べる人は無数にいる。

「親日家」の「親日度」をはかることは難しい。親日家に対しての無礼なことでもある。しかし図るまでもなく「世界一の親日家」は明確である。誰なのかなど悩む必要は全くない。「世界一は」我々が日常で「親日家」と表現している人からは軽く群を抜き、別次元として存在している。

彼の名は、J.R.ジャヤワルダナ。南の小国スリランカの大統領となった人物でもある。ジャヤワルダナと日本を結びつけた最初のご縁が訪れたのは今から66年前の1951年。当時の日本は、大戦後の傷がまだ生々しく、焼け野原と化していた。

そんな中で開かれた日本の後の運命を左右する一つの歴史的な会議。サンフランシコ講和会議である。戦後における日本の国際社会の復活を議論した場である。世界の大国が自己利益のために日本を振り回そうする中で、壇上に立った一人の褐色肌の一人の青年。スリランカを代表して会議に参加した当時44歳のジャヤワルダナである。

講演の中で「憎しみは、憎しみによってではなく愛によって消える」というブッダの言葉を口にした。対日賠償権を自ら放棄し、日本分割案についても反対し、日本の真の自由と独立の支持を声高々に訴えた。日本への寛大な演説を聞き、日本の全権であった吉田茂は涙した。瞬く間に、小国からのこの男性は会議のヒーローになった。

会議におけるジャヤワルダナの存在がいかに大きかったかがあくる日の新聞を見ても一目瞭然である。読売新聞は一面に「ジャヤワルダナの大きな写真付きで「兄弟愛を訴えた!」と一面記事に大きく報じた。国内誌に限らず多くの海外誌も続いた。

ニュースウィーク誌は「ジャヤワルダナはこの会議の花形であった!」とタイム誌は「この会議において、最も有能なアジアの代表者は、スリランカのジャヤワルダナ氏であった。細身の身体つきの人で、その軟らかな言葉の裏に、カミソリのような鋭さをひそめていた。」とソルトレーク・トリビューン新聞は「スリランカ代表ジャヤワルダナの理路整然たる演説は、この会議における最も歴史的発言として後世に伝えられるであろう。彼はいたる所でソ連の虚勢を突き、有効にブッダの教えを引用して日本に対する慈悲ある講和を求めた。」と伝えた。

サンフランシコから帰国するなり、吉田全権は筆を執り、ジャヤワルダナ宛に御礼状を認めた。そこには「...サンフランシコ会議において閣下が述べられた、自由を求めるアジアの熱情、スリランカ政府の日本に対する寛大なる立場に感動いたしました。心からの謝意を捧げます。全日本国民も閣下の高潔なる発言に感銘いたしておる次第でございます。...」と書いてあった。

また別の機会にも、「...サンフランシコにおける対日講和会議に於いて、閣下が雄弁に披れきされましたスリランカの日本に対する好意、同情、友好の念を日本国民は忘れることができません。...」とジャヤワルダナに日本の気持ちを伝えていた。吉田が書いた『回想十年』(中公文庫)にも51年の会議の出来事を振り返り「日本に知己ありと思った」ジャヤワルダナのことに触れている。

1906年9月17日に、スリランカの首都コロンボで最高裁の判事の息子として産み落とされたジャヤワルダナだが、大学を卒業して弁護士になり、後に政界入りをした。政治家になって間もなくその才能がかわれ、英国より独立後の初代内閣の大蔵大臣に。後に農業食糧大臣、国務・国防大臣、歴任、1977年に71歳で議院内閣制の元での首相になり、大統領制を導入して初代大統領になる。それからは11年近くスリランカの大統領を勤め、首相の時期も合わせると、12年近く国のトップを務めた。

スリランカで未だかつて最も愛された大統領の称号を国民により付けられた。ジャヤワルダナが語った言葉に「私には守るべき家柄や占めるべき財産もなく、王冠を被せる王子や王妃もいない。私の子孫も、財産も、王冠を被せる王子や王妃は国民である。」というものがある。ジャヤワルダナの政治家としての資質、そして国民に愛された理由が安易に推測できる。

事実、ジャヤワルダナは、個人の懐を肥やした跡もなく、二世三世を政界に送り込むこともなく、ジャヤワルダナは一家から出た最初で最後の政治家となった。彼が当時住んでいた家でさえも今では国の管轄下にある。ジャヤワルダナは、1996年に90歳でこの世を去った。遺言に基づいて川の側で火葬され、遺灰を川に流された。銅像などを建てないようにというのも遺言であった。

ジャヤワルダナは、1951年のご縁以来、絶えず日本と、そして日本人とのご縁を大事にし、発展させてきた。現天皇皇后両陛下が皇太子妃殿下の時代にスリランカにお招きもされた。日本が好きで、公式非公式問わず幾度も日本を訪れた。「日本は素晴らしい国だ」と私なども直に聞かされたことがある。この国を誰よりも愛していたに違いない。

しかし、ジャヤワルダナに限らず、死んでしまったら日本を愛することもそこで終わりを告げることになる。が、この人間の場合は例外である。死んだ後、角膜を日本人に渡して、この国を見続けることを願ったのだった。ジャヤワルダナの角膜が彼の遺言通り、実際に長野県の日本人に移植され、今でも日本を愛情一杯に見続けているに違いない。

世界には、大勢の親日家がいる。しかしこれほどまでにこの国を愛した人物がいただろうか。故に「世界一の親日家」と称するに相応しいのである。

2016年9月17日、ジャヤワルダナは生誕110年を迎える。スリランカでも日本でも式典が開かれている。是非機会を作って訪れてみてはいかがだろうか。

中には「ジャヤワルダナ」という名前を覚えにくいという日本人もいるかもしれない。そんな皆様のために一つ秘策を伝授したい。実はジャヤワルダナ大統領のフルネームは、ジューニアス リチャード ジャヤワルダナ、すなわちJRジャヤワルダナである。

「JR」となると、日本全国津々浦々に走っている電車と同じ名前である。事実スリランカの国民もジャヤワルダナ大統領を頭文字のJRで呼ぶことが一般的である。生誕の記念日にならなくてもJRを利用する際に「世界一の親日家」に思いをはせてはいかがでしょうか。

ジャヤワルダナ大統領を紹介されるテレビ放送があります。「世界一の親日家・ジャヤワルダナ大統領」『テレビ寺子屋』にて。放送日(変更可能性有り)は次の通りです。

- 09月25日(日) 4時30分~ 高知さんさんテレビ
- 09月25日(日) 5時30分~ 秋田テレビ
- 09月25日(日) 6時15分~ さくらんぼテレビ
- 10月09日(日) 5時10分~ フジテレビ
- 10月30日(日) 4時00分~ テレビ新広島
- 11月06日(日) 5時30分~ テレビ愛媛
- 11月20日(日) 5時30分~ 新潟総合テレビ
- 12月09日(金) 7時30分~ とちぎテレビ