自動運転の普及と津波避難対策-完全自動運転が普及した社会を想像する。その1:研究員の眼

自動運転に関する文献も増える中、完全自動運転が普及した社会が見えてくる。想像を膨らませ、完全自動運転が当たり前になった社会を、まちづくりの視点から考えてみたい。

以前、自動運転に触れたコラムを執筆したが、それからたった3年ほどしか経っていないのに、ずいぶん現実味を増してきた。

既に一部の操作を自動化した乗用車が市販され、自動運転技術に関する話題を目にする機会も増えて、消費者の期待感も高まっている気がする。

開発に取り組む主要企業が、2020年頃には、ドライバーが操作にまったく関与しない完全自動運転を実用化させると目標を示している。このスピード感からすると、実用化後さほどの年数を経ずに、誰もが自動運転を利用しているようになるのではないか。

自動運転に関する文献も増える中、そこからは次のような、完全自動運転が普及した社会が見えてくる。

自動運転は移送サービスとして人々に提供されるため、自動車そのものを個人で保有する必要はない。サービスを利用する人は手元の端末から時間、場所を指定すると、そこに無人のクルマがやってくる。

移動中は自由に過ごすことができるため、例えば車内全体をスクリーンにしてスポーツ観戦をしたり、事前に予約しておけばファストフードを用意してくれ、食事をしたりといったことも可能だ。筋トレしながら移動したいという希望には、それに合わせた車両を選択できる。

目的地を決めかねている時でも、例えば、母へのプレゼントを購入したいと希望を伝えれば、クルマの方が行先の選択肢を提示してくれる。移動中にそうした様々な付加サービスを利用することができる。

自動運転車はインターネットでお互いつながっており、人工知能が周辺の交通環境をリアルタイムに解析し、最適なルートを自ら選択して走行する。

クルマ同士で協調しているため事故や渋滞の原因になることは事前に回避する。そのためクルマが原因の交通事故はほとんどなくなり、通常は渋滞が発生することもない。目的地で利用者が降りると、次の利用者のもとへとクルマが立ち去っていく。

以上は、やや筆者の空想も入っているが、ここからはもう少し空想ではなく想像を膨らませて、このような完全自動運転が当たり前になった社会を、まちづくりの視点から考えてみたい。

11月22日に発生した福島県沖を震源とする地震では、津波警報が出され、東日本大震災を教訓に多くの人が高台に避難した。

一方で、地域によっては、徒歩での避難を呼びかけたにもかかわらず自家用車での避難者が多数を占めたところもあったという。

徒歩での避難を前提にするのは、東日本大震災で自家用車での避難が集中し渋滞が発生したことで、逃げ遅れたケースがあったためだ。

しかし、今回の地震で自家用車での避難を選択した人にも理由があるのではないか。避難場所から離れ、小さい子どもや高齢者がいる家庭では、行けるところまで時間と距離を稼ぐことを考えたかもしれない。

その際、普段は家族の人数に合わせて数台所有しているところを1台に乗り合わせる配慮があったことも想像できる。

そう考えると、日頃から自家用車が無ければ移動に支障があって生活できないような地域では、避難に自家用車を使わないとするところに無理があるようにも感じる。むしろ避難場所や避難ルートを増やすことが重要な対策になるのではないか。

将来、完全自動運転が普及したとしても、避難場所が限定的で、そこへのルートが限られていれば、やはり渋滞は避けられないだろう。

津波警報が出されたら直ちに完全自動運転のクルマが各家庭に迎えに来るということは考えにくい。

むしろ、一般の自動運転システムは停止され、事前に登録された徒歩による避難が困難な人にのみ、直ちに避難用のクルマが駆けつけるという姿に現実味を感じる。

そこで私たちがこれからしなければならないことは、自動運転技術の進歩に期待しつつ、現状の地域特性に応じて、より身近な場所に避難場所や避難ルートを地道に確保していくことではないかと思うのである。

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(2016年12月16日「研究員の眼」より転載)

株式会社ニッセイ基礎研究所

社会研究部 准主任研究員

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