北京の街角から(その3)-「胡蝶の夢」と「邯鄲の夢」:研究員の眼

四半世紀ぶりに訪れた中国・北京、その中心部にある天安門広場は、大勢の観光客でにぎわっていた。

四半世紀ぶりに訪れた中国・北京、その中心部にある天安門広場は、大勢の観光客でにぎわっていた。昔に比べると街全体の印象はとても明るい。

2015年の中国への外国人観光客は年間5千7百万人にものぼり世界第4位を誇る。北京首都国際空港の利用者は年間約9千万人、市内には夥しい数のホテルがある。

北京には「故宮」「天壇公園」「頤和園」「万里の長城」など6つの世界遺産があり、歴史的建造物も多い。観光名所のひとつである景山公園などでは、地元の人々の暮らしも垣間見える。

一方で都市の近代化が著しい。多くの超高層ビルが立ち並び、高速道路や地下鉄が縦横無尽に走る。道路が車と自転車と人であふれかえることは以前と変わりないが、車は外国製の新車が目立ち、昔の練炭を運ぶ三輪リアカーは見当たらない。

人々のファッションはカラフルになり、街でよく見かけた公衆トイレは随分きれいになった。四半世紀という時間は、都市をこれほどまでに変えてしまうのかと改めて思い知らされ、まるで「夢」を見ているような気持ちになる。

中国には「夢」にまつわる故事が多い。「胡蝶の夢」もそのひとつだろう。

中国の戦国時代中期の古典『荘子』に、『昔、荘周夢に胡蝶となる。栩栩然として胡蝶なり。自ら喩しみて志に適える。周たるを知らざるなり。俄にして覚むれば、則ち蘧蘧然として周なり。知らず、周の夢に胡蝶となれるか、胡蝶の夢に周となれるかを』とある。

夢の中で胡蝶となった荘周は、目が覚めても、夢と現実の境界が判然としない。四半世紀ぶりにみる激変した北京の街は、まさに「胡蝶の夢」にも思える。

また、「邯鄲の夢」という故事がある。中国の戦国時代に立身出世を願う盧生という青年が、趙の都の「邯鄲」に向う途中の昼食時に転寝をし、成功と失敗を繰り返す波乱万丈の人生を送った夢をみた。しかし、目を覚ますと食事の粟の粥もまだ炊き上がっていなかったというのだ。盧生は人の世の栄枯盛衰は儚いと悟った。

この四半世紀の北京の凄まじい経済成長は、中国の長い歴史に比べるとあまりにも短期間の変化であり、「邯鄲の夢」になぞらえることもできるような気がする。

北京オリンピックを契機に、多くの「胡同(フートン)」や「四合院」などの歴史的な景観が消滅した。代わってできたさまざまな巨大建築物は、文化的所産なのか単なる経済的所産なのか。

東京の超高層ビルが数十年で解体される現実をみていると、百年後に北京の近未来的な建築物が「バブル」となって消え去らないとだれが断言できよう。

長い歴史を有するが故に何でも飲み込んでしまう巨大な中国、今日の繁栄が「儚い夢」ではなく、しっかり地に足の着いた持続可能なものであることを期待したい。

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(2017年7月18日「研究員の眼」より転載)

株式会社ニッセイ基礎研究所

社会研究部 主任研究員

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